透明色のグラデーション
叶けい
1.無気力
―千晃―
今日もまた、朝が来た。
薄っすら瞼を開くと、見慣れた青い天井が視界に入る。カーテンの隙間から差し込む日差しが強い。
とっくに梅雨入りしたはずなのに、今日はまた随分と天気が良さそうだ。雨なら、引きこもる理由になるのに。
腹の虫が鳴るので、仕方なくベッドから起き上がった。脱色したばかりで軋む髪をかき上げ、臍の上までずり上がったタンクトップの裾を引っ張る。
寝巻き代わりに履いているスウェットは皺だらけで、ウエストの紐は片側だけが長く出ていた。
あくびを噛み殺しながら台所を覗くが、誰かがいる気配は無い。介護施設で働く母親は、いつが休みでいつが仕事なのか、よく分からない。お陰で、曜日感覚は狂いっぱなしだ。
―それは自分が学生でもなく、働いてもいないからなのだが。
毎朝食べているコーンフレークの箱を手に取る。
口を縛ってある輪ゴムを解き、器に適当な量を出したところでダイニングテーブルの置き手紙に気がついた。
『牛乳ない、買ってきて』
見ると、シンクの隅に空の牛乳パックが倒れていた。ずぼらで大雑把な母親の性分を思い出し、ため息が漏れる。仕方がないのでコンビニまで買いに出る事にした。
目にかかるくらいに伸びた前髪が、潮風に吹かれてなびく。
牛乳一本だけ入れたビニール袋が揺れて、一歩踏み出すたび太腿に当たる。徒歩二十分程度の距離にコンビニがあるのは、便利な方だ。人口千人程度のこの小さな島に、たった一件しかないのだから。
生まれ育ったこの島は、東京の港からフェリーで約八時間かかる距離にある。
小学校と中学校はあるが、高校は無い。隣の島までフェリーで通うか、寮がある所へ行くしかない。特にこだわりが無かった俺は、地元から通う方を選んだ。
卒業後はスポーツ推薦で東京の大学へ入学したものの―今は再び、地元へ戻って来ている。
港に近づくと、丁度定期船の出航時間だったらしい。遠ざかる船の後ろ姿を見送りながら、ゆっくりと海辺の歩道を歩いていく。
透き通るようなコバルトブルーの水面が、風に揺らいで波紋を作る。東京に着き、くすんだ海の色に衝撃を受けたのは、まだ昨日の事のような気がしていたのに。
あれからもう、二年が経つ―。
目を閉じれば、まだ鮮明に記憶はそこにあった。
バスケットシューズが体育館の床を擦る音や、ボールの感触、滝水の様に流れる汗の匂い。今はもう海の香りしかしない。
けれど、耳元にはっきりと、ボールがゴール板にぶつかる幻聴が聞こえてくる……―。
―違う。
目を開けた。目の前には、朝焼けに反射して光る水面が揺れている。でも今、確かにボールが跳ねる音が聞こえてきた。
辺りを見渡す。こんな朝早い時間に、道路でボール遊びをする子どもがいるわけがない。
だとしたら。
道路を挟んで反対側に、家一軒分程度の広さの空き地がある。車の通りが無いのをいい事に堂々と車道を横切り、背高く伸びた雑草だらけの細い道を進んで行く。
近づくと、今度ははっきり、ボールが弾む音がした。そして、砂利を踏む誰かの足音も。
―最後にここへ来たのは、一体いつだっただろう。
島に帰って来てから、無意識に足が遠ざかっていた。
楽しかった記憶も、苦しかった事も全て。
この空き地にある、バスケットゴールに置いてきた。
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