第3話

イグライシア王国の軍隊が再び国境を越えた。


「ここから先は魔物が跋扈する大地である。気を引き締めよ」


勇者の声が軍隊全体へと染み渡っていく。

魔物は人を殺す獣。この十年、幾度も兵を挙げ掃討に向かうが、未だ殺し尽くせない。そればかりか、魔物の王、魔王に、敗北した事実もある。

だが、兵士に恐れの色はない。

むしろ、敵を討ち滅ぼさんと勇ましく胸を張って進んでいく。


負けた記憶も新しいはずだ。それでも、離反者は極端に少なく済んだのは、勇者の存在が非常に大きい。

勇者の姿は、おとぎ話の英雄を彷彿とさせる。そして、前回の戦争で、魔王と戦い生き残り、撤退の指揮を取り王国兵を多く生かしたことも噂になっている。

勇者の後ろを歩く兵士たちは、選ばれた戦士であると錯覚していく。正義の味方が負けないように、自分たちの命を失われないと、本気で信じ込んでいるのである。

この狂信とも取れる勇者への信頼は、軍隊を一つにした。


「勇者様、ここから先依然、敵影はありません」


「勇者様、隊列に遅れはありません」


軍や周囲の状況が、次々に報告される。些細なことであっても逃すことない。勇者の耳に入れなければ、という強い使命感に駆られているのだ。


「有用な情報を感謝する」


そして、勇者は全ての報告を優しく聞く。時には頭も下げて配下を労った。

兵士たちは、英雄に心優しい姿を見て、さらに心酔していく。


軍の緊張の糸は弛まない。

兵士同士の意思疎通を怠らず、警戒と索敵を繰り返す。


「勇者様、獣の群れを発見いたしました」


故に、魔物の群れを見つけても、おおよそ冷静である。

眼の前にいる魔物は平穏そのものである。勇者の策が功を奏し、敵は油断どころか攻撃されている自覚すらないようだ。


見つからないように囲い込み、一斉に奇襲するのである。弓矢と魔法で遠くから射掛け、混乱を生み、これに乗じて剣や槍で突撃し殺していく。


獣は死に物狂いの抗を見せる。有事の中にいる兵士とは準備が違う。一匹の獣がどれだけ強かれど、多数の兵力を以て押し潰される。


そうやって、獣を殺し尽くす。

そして、討ち取った証拠も取らない。炎で焼き焦がし灰にし、土塊同然で打ち捨てた。

この場には建物や、田畑だけといった、魔物と呼ぶ生物の営みの跡だけが残った。

王国軍の束の間の勝利となる。


ここで兵士たちのなかには違和感を感じるものもいる。

魔物は我々と同じような姿形をしていた。家を持ち、家畜を飼い、仲間には温和な笑顔を見せていた。少なくともここには凶悪な獣など一匹たりともいなかった。刃を向ける必要があるのかと疑義を持つ。


勇者は、その感情を知っている。前回の戦争で自分の中に芽生えたものであった。

故にそういう者は見れば分かった。

そして、軍隊から心の離れた兵士の元へ行き、勇者はその兵士のために語りかける。


「この獣は魔物である。人と同じ見た目をし、同じように言葉を操るが、我らと同じではない。討ち漏らせば、いずれ君たちの親、妻、友、子らを失うこととなる。辛いであろうが、協力してほしい。これは我々の明日を守る戦いなのだ」


これを聞いて兵士たちは理解する。

魔王は勇者の敵。すなわち、悪しき存在だ。この世から消さねばならない。

悪しき存在を支持する者は全て魔物であり、これもまた討ち払う必要がある。女だろうと、子供であろうと、老人であろうとも関係ない。死体にしなければ、悪は途絶えることがない。逆に魔王の支配のなかにいる魔物を滅べせば、世界は平和になるのだ。

この殺戮はやはり正当だ。

自らが死んでも成し遂げなくてはいけない偉業なのだ。


軍の末端に至るまで勇者に身を捧げた集団は、快進撃を続けた。

進めば進むほど、殺人が戦争が上達する。生物の弱点が分かるようになり、殺しの効率が上がる。連携の鋭さが増し、短時間で敵を包囲、殲滅できるようになった。

強さの自覚が芽生え、殺害が蚊でも潰す娯楽かのように変わっていく。


だが、侵攻は止まった。

これは、身を隠すため、森林を進んでいるからではない。

圧倒できていた敵が、殺せなくなってきた。

この抵抗は、敵の地理的な優位だけでは説明がつかない。

この奇襲で始まった侵攻を察知し、速急に組み立てた軍が動いているということだろう。

勇者は改めて魔王の手腕に感服する。


「そろそろ仕掛けが効いているだろう。上手くやってくれよ」


そして、伝令が勇者に駆け寄り一報が入る。


「報告します。第二軍、壊滅。おおよそ、二千程度の騎馬兵がこちらに向かってきております」


陣中の誰もが耳を疑った。

第二軍は本命の軍隊だ。勇者の軍勢という大きな光の影に隠したもう一つの軍隊。個の強さと軍の強さを兼ね備えた一万ほどの軍隊である。

この報告が事実であれば、敗北は必定。

勇者が指揮を執るこの軍隊は数が多いだけの張りぼて。奇襲攻撃ならば、まだ通用するが正面から軍隊を受ける能力は有していない。最初から囮としての機能しかないのだ。

だが、勇者は止まるわけにはいかなかった。


「この者を殺せ」


隣の兵士に命じる。これを聞いた兵士は困惑した。


「幾ら魔王と言えど、ここまで早急に対処できるはずかない。この報告は嘘である。此奴は魔王に買われたのだ。国を売った売国奴である」


勇者がそう言い放つ。


「違います、勇者様。私は、私は……」


伝令の顔から血の気が瞬時に引いた。そして、首を振る。

だが、その言葉を信じる者は誰もいなかった。


伝令は陣中から引き離される。

勇者の目の届かぬところへ引き摺られた。


「やめてくれ、頼む!本当のことなんだ!」


取り押さえられ、声だけで抵抗した。

それも、通用せずに、ただ悲鳴を上げた。

そして、途絶える。

血塗れの兵士だけが帰り、死罪にされた事実だけがここにあった。


「第二軍は予定通り、魔王の首を狙う。我々は一人でも多くの魔物の目をここに集めろ。それが使命である」


勇者はそう言った。

だが、実際は伝令の言葉は事実であった。


後ろから来た二千の騎馬が、砂煙を上げている。

正面の魔物は壁のように守りの陣形に変わり、勇者軍は騎馬と挟み撃ちに合う。

軍隊は簡単に擦り潰れた。兵の大半を失った。

生き残った兵も、ちりじりに逃げ出した。集まり殿軍を作ろうとするが、もう逃す兵士も残っていない。

どれだけの兵士が国に帰れるだろうか。ただ一人も帰れる見通しは立たなかった。


勇者は戦場にただ一人残った。戦うためではない。待っているのだ。

そこに魔王が姿を現した。

勇者には、軍隊が瓦解してなお、目には希望が映る。


勇者は抵抗もせずに、捕虜として連れ去られた。


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