彼のウワサ 8
秋本先輩の事故の話を聞いた翌日、午後の講義の無い私は先輩のお見舞いに行くことにした。幸い莉緒の伝手で入院先の病院は分かっていたので、駅前で花と見舞品を購入してからバスで病院へ向かうことにした。
大学から駅まではシャトルバスも出ているが、件の雑木林をじっくり確認したかったので徒歩で駅まで向かう。道中、雑木林の近くまで来ると周囲には規制線が張られ、警官も立っていて物々しい雰囲気が漂っている。更に進むとブレーキ痕がはっきりと刻まれた箇所があり、数日前の事故の痕跡を生々しく残していた。その光景を目にし、先輩の安否について良からぬ想像をしてしまった私は、沈んだ気分を振り払うように早足で駅へと向かった。
「初めて来たけど…大きいわねー」
駅前からバスに揺られること約30分、目的地近くのバス停に降り立った私は眼前にそびえ立つ建物の大きさに感嘆していた。
秋本先輩が入院しているという病院はこの地域で一番大きい総合病院で、小高い丘の上にあった。正面には車寄せが設けられた大きなエントランス。奥に見える受付カウンターも広々として何人もの人がやり取りをしている。背後に見える病棟は7階建ての棟が3つ連なっていて、さながら白亜の城のようにも見えた。
自動ドアをくぐり中に入るとひんやりとした空気が体を包み、5月の陽気で少し汗ばんでいた体から熱が引いていく感覚がした。そのまま真っ直ぐ受付に向かう。
「こんにちは。本日はどういったご用件でしょうか?」
「知り合いが入院していると聞いてお見舞いに来まして。秋本渉という人なんですが」
「承知致しました。失礼ですが患者様とはどういったご関係でしょうか?」
受付の女性にそう聞かれ、一瞬言葉が詰まる。
「…友人です。大学の」
「かしこまりました。それでしたらこちらの入館届に記入をお願いします。それと念のため身分証を確認させて頂けますでしょうか」
「わかりました」
私はリュックから財布を取り出し、中から大学の学生証を引き抜くと受付の女性に手渡した。彼女がそれを確認している間に、今度は渡された入館届に名前や電話番号を記載していく。記入された入館届を手渡すと、それを確認した彼女はニッコリと微笑みながら
「…はい、確認させて頂きました。秋本様の病室は5023号室になります。右手のエレベーターで5階までお上りください。館内ではこちらの入館証を常に首から下げてくださいね。退館時にはこちらの受付へ返却をお願いします」
そう言って「入館証(見舞客用)」と書かれたプレートが入った首かけ紐付きの名札入れを差し出してきた。礼を言いつつそれを受け取った後、私は一つ気になっていたことを聞いてみた。
「ちなみに、秋本さんって搬送時は意識が無かったって聞いたんですけど…意識が回復したかどうかって分かりますか?」
「申し訳ありません、そういった内容は受付では把握しておりませんので…。担当医師に連絡して確認することもできますが、担当者が不在の場合もあり確認に時間がかかることもあります。どうなさいますか?」
「…いえ、直接病室に向かいます。ありがとうございました」
そう言って私は彼女に軽く頭を下げ、エレベーターへと足を向けた。
5階へ上がり5023号室の前までやってきた。中からは人の声や物音などはなく、秋本先輩が起きているのかも分からない。もしやまだ意識が戻っていない…?
悪い想像を振り払い、意を決してコンコンと扉をノックすると―――
「…はーい?」
と呑気な返事があった。
もう意識は戻っているのか、と若干安堵しつつ「失礼します」とスライドドアを開け中に入っていく。
「…あれ、君は…」
「ご無沙汰しています。水野です」
ベッドの上で上半身を上げて迎えてくれた病衣姿の秋本先輩は、頭に包帯を巻き頬に大きなガーゼを付けているものの、比較的元気そうに見えた。大事の無いようで私も安心した。
「たまたま友達から事故のことを聞いたので、お見舞いに来ました。ご迷惑でしたか?」
「それでわざわざ来てくれたのかい。ありがとう、嬉しいよ」
若干声のトーンが弱弱しいものの、先輩は明るく私を迎え入れてくれた。
先輩の病室は小さいながらも個室だった。窓は少しだけ開けられ流れ込む風がカーテンを揺らしている。私は先輩にお見舞いの品として持参した花籠を見せ、断りを入れて窓辺のチェストの上に置かせてもらった。
それに加えて
「これ、先輩のお気に召すかわかりませんが…」
そういって私は両手で先輩に紙袋を手渡した。中身は駅前の本屋で購入したハードカバーの小説。数年前から人気の社会派小説作家がつい先日出した新作だ。
お見舞いの差し入れの定番と言えばフルーツ…とも考えたが、先輩ならこちらの方が喜んでもらえるかなと思いこれにした。既に読んでいたらどうしようかとも考えたが、中身を確認し口元をほころばせている様子を見るにその考えは杞憂だったようだ。
「ありがとう。実は本が読みたくて仕方なかったんだ。実家が少し遠いんで入院手続き以外の用事は頼みにくかったんだけど、知り合いも少ないから本を持ってきてくれなんて頼める人もいなくてね。この作品も楽しみにしていたものだから、ありがたく読ませてもらうよ」
先ほどより若干元気そうになった先輩の姿を見てホッとする。悪いと思いながらも、新しい本を手に入れ喜ぶ姿が小さい子どものようで微笑ましいと感じてしまった。
「容体はいかがですか?」
「幸い打撲と擦り傷、肋骨数本のひびで済んだから今週末には退院できる予定だよ」
「大事が無くて良かったです」
そう私が微笑むと、先輩は何故か神妙な表情になり私の顔を覗き込んできた。
「あ、あの…私の顔に何か?」
「…君の厚意を疑うワケではないんだけど、君がここに来たのは何か知りたいことがあるからじゃないのかい?」
そう言われ私は思わずドキッとした。
確かに聞きたいことがあるのは事実だが、そんなにも顔に出ていたのだろうか…?
「な、なんでそう思うんですか?」
私が上擦った声になりながらそう聞くと、何故か先輩は目を逸らしながら
「何というか…雰囲気かな? 刑事さん達と同じ、何か知りたいことがありそうというか…そんな雰囲気がしたから」
なんて言ってのけた。
私は少しバツの悪さを感じながらも、バレてしまったなら仕方ないと開き直り事故について気になっていたことを聞くことにした。
「実は…友人から事故現場に居合わせた人の証言を聞いたんですが、先輩が車に撥ねられた直後に雑木林から黒ずくめの人物がバットのようなものを持って現れたそうです。目撃者は警察にそれを説明したそうですが、事故直後で混乱していたのではないかとまともに取り合ってもらえなかったらしくて…」
真剣に耳を傾ける先輩に、私は尋ねる。
「…単刀直入に聞きます。秋本先輩、あの夜なぜ車の前に飛び出したんですか? それと雑木林から現れた黒ずくめの男に心当たりはありませんか?」
それを聞き入れた先輩は
「…その2つの質問の答えは1つで済むかな」
そう言うと一つ深呼吸をした。
「あの日、俺は大学から駅までの帰り道で誰かに尾行されていたんだ。暗がりに差し掛かったところで襲われそうになったんで振り切ろうと雑木林を使って近道をしようとしたんだが、雑木林を抜けたところで現れた車とぶつかってしまって」
「な……」
―——襲われた!? どういうことだ!?
いや、それが本当なら今回の事故はただの交通事故ではなく障害事件———!?
「そ、それ警察には…!?」
「もちろん話したよ、昨日のうちにね。刑事さん達は大騒ぎだったよ、急いで周辺を調査しないとって言ってた」
確かに、ただの交通事故と思っていたのに悪意のある第三者がいたとなれば大騒ぎになるだろう。初動調査の誤りで犯人を逃しでもしたら大問題だ。もしかして、今日雑木林周辺に規制線が張られていたのは本格的な調査が始まったからだったのか。
「…その、先輩を襲おうとした人物に心当たりは?」
「警察にも話したけど、正直心当たりは無いなぁ。あまり恨みを買うようなことはした記憶はないんだけど」
確かに”図書館のヌシ”とか言われているだけあって人畜無害そうな見た目だしな。
「ではその人物のことで何か覚えていることありませんか? 服装とか背格好とか」
「それが、俺はその相手を直接見てないんだ」
「…は?」
見ていない? 一切?
「いや、俺が逃げたのってなんて言うか…殺気?みたいなものを感じて咄嗟に全力で駆け出しただけで、追いかけてきた人物を直接は見ていないんだ。警察にも同じように言ったんだけど、納得できないみたいな顔をされたよ」
「ええ…」
でも確かに『殺気を感じ取ったので逃げました』なんて証言、どこの中学生だよと言いたくなる。それを聞かされた刑事の呆れ顔が目に浮かぶようだった。
「…では、その人物が持っていたバットのようなものも見ていないんですね」
「そうだね、そんなもの持っていたなんて、逃げて正解だったなぁ」
命の危機かもしれなかったというのに、何だか呑気な人だ。
「あ、でも男性であることには多分間違いないよ。雑木林の中で悪態をついている声を聞いたからね」
「はぁ…」
それが正確な情報かどうかと言われると怪しいところだが…暗闇で何者かに襲われるなんて状況に陥ったら誰でもパニックになるであろうし仕方ないか。
「…ところで、俺からも一つ質問してもいいかな?」
「? はい、どうぞ」
話が一段落したかなと思ったタイミングで、今度は秋本先輩が問いかけてきた。
「君は何故、この話をそこまで気にするんだい? わざわざ郊外の病院にまで僕に話を聞きに来るなんて、単なる野次馬根性にしては随分気合が入っているよね?」
そう言いながら先輩は試すような眼差しでこちらを見つめている。…私は目を逸らさず、できるだけ真剣な目で彼を見つめ返しながら答えた。
「…信じて貰えるかわかりませんが、今日ここまで来たのは秋本先輩のお見舞いのためというのが一番の理由です。先輩とのお話は楽しかったですし、色々な本も紹介して頂けましたから。…でも、今の彼氏が私が先輩と会うことを嫌がっていたので…最近は図書館に寄り付かなくなっていました。事情を話せず申し訳ありません」
そう言って私は深く頭を下げた。
「事故の話を聞こうと思ったのはあくまでついでですが…その目撃者の女性が、警察に自分の証言を信じて貰えないというのが不憫に思えたというか…先輩のお見舞いに行って、そのついでに何か証言の裏付けになるようなことが分かればと思ったんです」
その言葉に嘘はない。誰に頼まれたわけでもないが、自分の用事のついでにその子の発言が嘘でないと証明できるようなことがあるなら、それくらいお安い御用だ。
「…そっか」
先輩は真剣な表情を崩しフッと笑うと
「君は優しいんだな」
朗らかに笑顔でそう言った。
…その先輩の言葉に、私は何だか無性に恥ずかしくなって
「…た、大したことじゃないです…」
赤くなった顔を伏せながら、そう返すのが精一杯だった。
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