第10話 事件は突然訪れる
「シェリル、俺たちは学校に用があって来た訳じゃないんだよ」
子ども達の質問に答え終わったポールとジョンは、来客室のソファに力なく伸びていた。
いつもは元気な2人が、子どもたちの元気にあてられてぐったりしているのが面白い。
シェリルはお茶を用意し、机に置いた。
「お疲れ様。おかげで子どもたちにいい経験を積ませてあげることができたわ」
「……話、聞いてるか?」
「聞いてるわよ。それで、何の用」
「これからマーヴィンの家に行く」
あっ、と顔を上げた私にポールが頷いた。
「様子が気になるんだろう? エイミーも連れていっていいか」
マーヴィンが泥棒扱いされた日。保身のためとはいえ、小さな嘘に加担した。
そのことが、小さなとげのように胸に刺さって抜けないでいる。
「いい、ですか?」
あれからマーヴィンとオズワルドがどう過ごしているのか、教室の様子を観察していたけれど、特に問題はなさそうだった。
とはいえ、家庭環境が良くなっている兆しはなく、マーヴィンの弟や妹は時々たてがみや衣服がグチャグチャになっていることもあって、生活の大変さがにじみ出ていた。
私はシェリルの顔を覗き込む。
「エイミーが行きたいのなら止めはしないわ」
「許可は出た、よし、俺たちと一緒に行こう」
跳ねるような勢いで立ち上がるジョンに、シェリルが待ったをかけた。
「これ、持っていって」
ポケットから取り出したのは、木で作られた櫛だった。
細長くて薄い長方形の木の板に、歯が一列に並んでいる。まろやかな歯の先端部分や、等間隔に空けられた隙間、木の艶加減などから推測するに、とても上等なものであるように見える。
「マーヴィンの父親が作っていたものよ」
「職人さんだったんですか?」
「櫛やブラシを作るのが得意だった、とマーヴィンから聞いたことがあったの。授業でね、お父さんやお母さんの仕事について調べる時間があって、その時に持ってきてくれたの」
大人になったら、どんな職業に就くのかを考える。それも教育の一部だ。
「だからさっき、俺たち警察官へも質問してたのか」
「そうよ。別に私の思いつきなだけじゃないんだから」
不機嫌そうなシェリルにこれ以上何かを言うべきではないと判断したポールは、うっすら苦笑いを浮かべて口を閉じた。
「あまりにも見事な櫛だったから見せてもらったんだけど、返すのを忘れてたの。それに、私が持っているより、エイミーが持っているほうが何かいいことに使ってくれそうな気がして。最近のあなたを見ていて、この櫛のことを思い出したの」
手渡された櫛を見返す。
この櫛で馬のたてがみを梳いてみたらどうだろうか。
マーヴィンはまだ子どもだから、それほど長くはないけれど、馬も大人になるほどたてがみは長くなる。
そんなブラッシングで、マーヴィンやその家族とコミュニケーションをとることで、私が役に立てるかもしれない。
希望の光が胸に宿った。
それと同時に、人間界を思い出した。
競馬で走る馬の中には、たてがみを切って短くしたり、結わえたりしている子もいた。風を切り走って行く競走馬のたてがみほど、美しいものはない。
馬のブラッシングはしたことがないけど、やりがいはありそうだ。
「おい、行くぞ」
つい、うっとりと馬が走る美しい光景を思い出していた私は、ポールの号令にぴょんと跳ねた。
「はいっ」
「私は家で美味しい晩ご飯を作って待ってるわ。ポールとジョンは責任持ってエイミーと一緒に帰ってくるのよ」
「……俺たち、そんな子どもじゃねぇよ」
ぼそりと呟いたジョンに、ポールがまなじりを下げた。
警察犬だから匂いを辿って家まで行くのかと思った。
「いや、匂いというよりは、道を覚えているから」
犬好きが過ぎて、時々異世界であることを忘れてしまう。
これだから記憶喪失は、というような呆れた視線を感じて、恥ずかしくてうつむいた。
警察官に連れられた迷子のように歩いていると、スカートのポケットに入れた櫛の重さを感じた。
私が持っていた方がいい、とシェリルに言われたけれど、まずは持ち主に返すのが筋だろう。そのつもりだった。
「いつも2人で警らしてるんですか?」
「俺たちが住んでいる街でもあり、俺たちの所轄でもあるからな」
ジョンの横顔が頼もしい。
学校から歩いて10分ぐらいのところに、マーヴィンの家があるらしい。
歩いていると、岩肌をむき出しにした小高い丘のふもとに家があった。背の高い草が周囲に点在して、どこか寂しげだった。
そこが、マーヴィンの家だと言われるよりも前に、野太い男の怒鳴り声が聞こえてきた。私たちは、耳を澄ませるため立ち止まった。
「もう俺は、息子でもなんでもねぇんだ、好きに酒のませろぉ」
続いて、食器が割れるような音と、何かがぶつかるような音。
「いかん。暴れてるぞ」
「俺たちだけでも先に行こう」
私は、邪魔にならないように2人の後を追いかけた。
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