第8話 お隣さんとの晩ご飯

 ほんのり湯気がたつ角切りのニンジンやカブ、ブロッコリーをスプーンですくって口に運ぶ。

「……おいしい」

 人間界ではコンビニ飯で過ごしてきたので、野菜たっぷりのヘルシーメニューに慣れるか不安だったけれど、あっさり覆された。

 給食のメニューもそうだったが、シェリルが作ってくれるご飯は、獣人になった体でも美味しいと感じる。素材本来の味が、濃厚に感じられるからだろうか。

 それに、目の前で何も言わずガツガツと食べ進める警察犬たちが何よりの調味料だった。


「良かったわ」

 私と同じように、いや、私以上に仕事で疲れているであろうシェリルは、そんな気配をみじんも感じさせることなく、花が咲くようにふんわりと微笑んだ。

 給食を作った時も思ったのだが、料理は楽しい。

 料理作れない、無理! と思い込んでいただけで、特に凝った調理なんかしなくてもいいのかもしれない。

 美味しそうに食べてくれる、腹ぺこの相手がいれば。


「……うまかった」

「うん」

「食べるの早いわね、2人とも」

 お皿は舐めた後のように、ピカピカのからっぽ。満腹になった警察犬たちは、椅子の背もたれを存分に活用して、体をぐぅっと伸ばした。

 そのお腹を撫でまわしたい、という私の密かな欲望は胸にしまう。


「今日は、ジョンが珍しく仕事で失敗したんだ」

「あ、お前、それ言うなよ!」

「あらぁ、いいじゃない。聞かせてよ」

 話す気満々のポールと、聞く気満々のシェリルを前にして、ジョンは恥ずかしげに鼻先を両手で覆った。

「お前ら面白がってるだけだろ」

「いつもの警らに出かけたんだが、道を間違えてな」

 事件や事故を未然に防ぐため、戸外に出てパトロールを行う警ら活動。そんな仕事も2人でペア活動することが多いらしい。

 ポールが先輩面をしていて、微笑ましい。

「ちょっとぼーっとしてたんだよ」

「しょうがないわよ、色々あったんだから」


 やっぱり私のことを気に病んでいるんだろうか。

 大事な妹さんの記憶を奪ってしまった私のことを。

「そんな……、どうってことない」

 申し訳なさそうにジョンは私の視線から逃げる。


「そういえば学校でもね、ちょっとあったわ」

 シェリルは、マーヴィンのことを2人に説明した。

 給食室でアウレーネが話していたのは、マーヴィンの父親はケガして働けないことと、祖父は長く病気を患っていることだったが。

「給食を作る時に余ったお野菜を持たせていたけれど、これからは少し方法を変えたほうがいいかもしれないわね」

 うーん、と低い唸り声が響く。

「私、マーヴィンの嘘に加担してしまって……」

 それを本人が気にしていなければいいのだが、と項垂れる。


「マーヴィンの家か。確か、父親が時々酒飲んで暴れてるっていう通報があったはずだ。今度2人で様子を見に行くことにしよう。いいよな、ジョン」

「もちろんだ」

 異世界も人間界と変わらないんだなぁ。

 お酒を飲んで暴れる人もいれば、病気で寝付く人、その介護につく人、色んな人が生活しているのだ。

 私は運よく助けてくれる仲間がいたけれど、そうでない人だってたくさんいる。


「それでね、子どもたちが騒いだ時に、エイミーのおかげで平和に解決できたのよ」

「そ、そんなやめてください。私、たいしたことしてませんから」

 急に自分に矛先を向けられて、顔から火が出るかと思った。

「朝もね、私の寝癖をなおしてくれたの。だからほら、見て」

 シェリルは長い毛を手で持ち上げ、ふぁさりと掻き上げる。

 朝のブラッシングで整えた毛並みは、夜になっても保たれていた。

「ね。全然違うでしょ?」

「ん……あ、おう」

「そうだな……多分」


 反応が鈍い。

 人間界にもこういう男子いたなぁ。女子が髪を切っても、気づかないばかりか褒めることもなくて、怒られるやつ。

 まぁ、2人は一応褒めてはいるみたいだけれど。

 案の定、シェリルは不満げに鼻先の皺を寄せている。

「あなたたちも体験してみればいいのよ」

「え? 俺たち?」

「エイミー、この鈍くさい人たちもブラッシングしてあげて」


 実際に自分が体験すればわかる、と思っているようだ。

 それは確かにそうかもしれない、と私は朝も使った洗面台のブラシを持ってくる。

 何より、2人のためにブラッシングできるのが嬉しい。少しでも、何かをお返ししたかったから。

 愛犬クロの換毛期は、それはそれは凄かった。綿毛のようにホワホワした塊が、ブラシで梳くたびに産まれるのだ。

 そういえば、この世界にも換毛期はあるのだろうか。

 いつも春めいた爽やかな気温だけれど、もっと暑くなったり、もっと寒くなったりという季節のようなものは?

 モフモフした獣人にとって、結構大事なことのような気がする。


 と、つい余計なことを考えていたら目の前で固まっていたジョンが振り返った。

「どうしたんだ? やらないのか?」

「あ、はい、すいません」

 私はブラシを片手に、大人しく身をかがめているジョンの背後に回る。

 とりあえず頭の部分だけでも、とブラシを入れた。おそらくこの感触は、自分ではまともにやったことがないのだろう。所々塊になっている。力を入れすぎることなく、少しずつ解きほぐしていく。

 何度か往復させるうちに、緊張していたジョンの皮膚が緩んでいくのがわかった。

「おう、これ、いいな」

「でしょ?」

 得意げに鼻息を吐き出すシェリルに、私は小さく笑った。


 ブラッシングは毛流れを整えて、見た目を良くする効果もあるが、スキンシップやマッサージとしての効果もある。

 トリマーサロンでも、初めてのお客様にリラックスして施術を受けてもらうために、大事な工程だった。

 力を加減して、優しく撫でるようにブラシを動かす。

 ジョンとの信頼関係も築けるといいな、と思いながら。


「次はポールもやってもらえよ」

 やたらさっぱりした顔で、ジョンが勧める。

「俺は……いいよ」

「なに遠慮してんのよ、ねぇ、いいわよね、エイミー」

「はい、大丈夫です」

 何度かキョロキョロと視線を彷徨わせていたポールは、小さく息を吐き出し腕組みをした。

「……好きにしろ」

 ジャーマンシェパードも換毛期は凄かった気がする。

 トリミングサロンでシャンプーだけでも、と連れてこられた子に、前もってブラッシングしたところ小山のように毛が取れたことを思い出した。


 私は、ポールの頭頂部から慎重にブラシを動かす。

 真っ黒の毛を梳かしていくと、流れるような艶が出て、そもそもの骨格の良さ、筋肉の付き方がわかるようになった。

「あら、あなた、なんだかすごく格好いいわよ」

「……照れるからやめろ」

 仲の良い先輩が頬を赤らめている様子を、隠れてジョンも笑っている。

「エイミーは本当にブラッシングが上手ね」

「……いえ」

 今度は私が照れる番だった。褒められ慣れていないので、何を言ったらいいのかわからず、つい下を向いてしまう。


「活発だったエイミーとは印象が違うけれど、今のエイミーもとても素敵よ」

 褒められると何も言えなくなる私を気遣ってくれたのはわかる。

 シェリルには悪気はない。

 ただ、妹の記憶を奪ってしまった私にとっては、その言葉でなごやかな気持ちが、急にどんよりと沈んだものになってしまった。

 ちらりとジョンを見る。

 ブラッシングでさっぱりしていた顔が、曇っているのは明白だった。

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