恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない

つくばね なごり

第一章

第一話


 高校生活初めての、夏休みまであと少し。

 きょうも、一年生のクラスが並ぶ長い廊下は。

 教室の扉が開くたびに流れ出る、エアコンの冷気と。

 開放された窓から入る外の熱気が、複雑に混じり合う。


高嶺たかね由衣ゆいさん、わざわざありがとう」

 職員室で頼まれた配布物を渡しに訪れた、三組の扉の前で。

 日直の女の子が、律儀にわたしをフルネームで呼ぶ。

「あぁ、気にしないでいいよ」

「でも助かったから、ありがとう」


 頭にバンダナを巻いた子は、そういうと。

 もう一度やわらかな笑顔を添えて、わたしを見る。

 思いのほか、その仕草がかわいくて。

「い、いや〜。平気だってこれくらい」

 そう答えながら、わたしも慌てて笑顔を作る。


 三組の女の子は、まだわたしとなにか話したそうだったけれど。

「……由衣ちゃん、大変!」

「も〜、どうしよう!」

 バタバタとわたしのクラスから、走ってきた女子たちが。

「非常事態!」

「事件だよ!」

 その言葉とは裏腹に、目をキラキラさせながら次々と口にする。


「……なんだか、大変そうだね」

 バンダナの子に、そういわれて。

「ごめんね!」

 わたしは短く答え、小さく手を振ってから。

 なにかが待ち受けている、一年一組へとやや大股で歩き出す。



 ……間違いない。

 あの『能天気男』が、またなにかやらかした。

 わたしは歩みを早めると。

 あけっ放し教室のうしろ扉から中に入る。

 すると、ほんのコンマ何秒かの静寂が訪れて。

 好奇と興奮が激しく入り混じった視線が、一気にわたしに集中する。


 いったい、今度はなんなのよ?

 わたしは、クラスの『情報屋』・山川やまかわしゅんをにらみつける。

 その口が、葉っぱを入れすぎたトノサマバッタみたいにモゴモゴしている。

 いいからさぁ、とっとといいなよ!



「……は? 略奪? 逃走? なんなのそれ!」

「お、怒らないでくれよぉ〜。俺はただ、その場にいただけだし……」

「いたんでしょ? だったらボケっと突っ立ってないで、その辺の柱にでもくくりつけときなよ!」

 クラスの男子たちが、巻き添えを避けようと教室から続々と避難していく。

 あぁ、一学期もあと少しだったのに……。

 これじゃ、『アイツ』のいうとおり。

 わたしの、『黙っていればめちゃくちゃかわいい』とかいうキャラ……。

 どう考えても、完全崩壊じゃん!



 ……例によって『事件』は。

 わたしが教室を離れていた、わずかな時間のあいだの出来事だったらしい。

 もちろん原因は、『あの』先輩。

 だけじゃなくて……。


 あの『ふたり』の、先輩たちだった……。




 ……パタパタパタパタ。

 ん?

 僕の教室の横にある、非常階段を。

 聞き覚えのあるテンポで、『あの』先輩がおりてくる気配がして。

 続いて非常扉が、慌ただしく開いた気がしたと思ったら。


 席のすぐ隣にある、廊下側の腰高窓が突然ガラリと開く。

海原うなはらくん! いますぐわたしときて!」

 先輩は、そういうと。

 無防備だった僕の右腕を、勢いよく引っ張る。

 ガン!

 もし扉だったら、たとえそんな派手な音がしても割と痛くないだろうけれど。

 今回はなんというか、もっと鈍い音がして。

「うっ……」

 コンクリートの壁に腰から下を強打した僕は、一瞬それ以上の言葉を失う。


「……ご、ごめんなさい」

 声の主は二年一組、三藤みふじ月子つきこ

 僕の所属する『放送部』副部長だ。

「い、生きているわよね? 海原くん?」

「はい。な、なんとか……」

 ふと、三藤先輩は窓から僕を引っ張ったことに気がついたらしい。

 小さく息を吸い、突然冷静な声になると。

「次は窓ではなく、扉をあけてから腕を引っ張ることにするわ」

 そう、僕に告げるけれど……。

 まだ少し、論理に飛躍があるような気がする。


「あの……。そもそも引っ張るのをやめませんか?」

「仕方ないでしょう、急いでいるの」

 これがこの春の衝撃的な出会いから、親睦を深めてきた成果と呼ぶべきか。

 先輩はとてもやさしいときと、容赦ないときを巧みに混ぜ合わせて。

 独自の理論で、僕に接してくれる。




 ……パタパタパタパタ。

 また非常階段のほうで、別の聞き覚えのある足音がしたと思うと。

 教室の前扉がガラリと開いて、クラスの女子たちが思わず歓声をあげる。

 三年一組、都木とき美也みや

 最上級生のあいだで、男女を問わず人望厚く。

 その他の学年にも基本的に、憧れの存在みたいな扱いをされているけれど。

 こと、『放送部』においては……。


「海原君、あなたが必要なの!」

「えっ?」

「いいから! わたしと一緒にきて!」

 都木先輩は、いうが早いか。

 コンクリートにぶつけた痛みの残る、僕の右腕をもう一度勢いよく引っ張り。

 衆目の中、そのまま廊下を進み出す。


 カチ、カチ、カチ……。

 教室の中の皆が固まった、数カウント。

 腰高窓の前で三藤先輩がフリーズしていた、数カウント。

 我に返った三藤先輩が、すでに遠く影になりつつある僕に向かって。

 透き通った声で、大きく叫んだひとことは……。

「海原くん、お願い! わたしを置いていかないで!」




「……も、もう話さなくていいからさ、山川」

「えっ? 高嶺さん。せっかくいい感じで、盛り上がってきたのに?」

「盛り上がりとかいらないから! 黙ってなよ!」

「は、はい! す、すいません……」

 あ、頭が頭痛する。

 馬から落馬したっていい……。


 山川が、若干脚色した気はするけれど。

 わたしと、中学以来の同級生。しかも四年連続同じクラスで。

 この春から『わたしと』同じ『放送部』に入った、あの男。

 しかもなぜか部長になった海原うなはらすばるの身に起こったことは、だいたいわかった。

 それに、間違いなくあの『ふたり』は。

 周りにとんでもなく誤解されそうな、セリフを残して消えたなんて自覚。

 これっぽっちも、ないだろう……。


「ほんと。部室の外でやるなんて、困ったふたりだよねぇ〜」

「えっ? せ、先輩!」

 気がつくと、両手で頭を抱えるわたしの前に。

 ある意味部内で唯一『頼れる』先輩、春香はるか陽子ようこが。

 いつもどおりの苦笑いを浮かべながら、立っている。


「じゃ、わたしたちもいこっか?」

「え? いまからですか?」

「あ、そうそう。でもその前に」

 陽子先輩は、思い出したようにくるりとその場で一回転すると。

 まるでお花畑の中にいる少女のような笑顔になって、クラス全員に話し出す。

藤峰ふじみね佳織かおり先生からの伝言でね、このあと授業は自習でお願いします」

「おおっ!」

 いつのまにか教室に戻ってきていた男子たちが、盛り上がる。

 自習だから喜んでんの? それとも陽子先輩を見られたから?


 先輩は、そんな男子たちにわたしじゃできないほほえみを見せてから。

「自習の内容は。うしろにいる長岡ながおかじん先輩が運んでいる、夏休みのプリントを始めてもらっていいそうです。じゃぁ、みんなよろしくね!」

 明るく声をあげて、教室の後ろの扉に手のひらを向ける。

 すると、確かに……。

 都木先輩と同じ三年一組で、男子バレー部部長。余分な情報だけど、都木先輩に振られた過去を持つ長岡先輩が。

 ものすごい量のプリントを抱えて、立っている。

「由衣ちゃん。振られたっていう情報は、もう忘れてあげてね……」

 小さな声で、陽子先輩が釘をさす。

 えっ? わたし、口に出したっけ?


「じゃぁ、あとは長岡先輩」

「お、おぅ……。ま、任せとけ……」

 あれ?

 長岡先輩に、やさしく手を振る陽子先輩を横目で見ながら。

 なんだかこれまでとは、雰囲気が違う気がしたけれど。

「いくよ、由衣ちゃん」

 そううながされたわたしは、それ以上考える時間がなくて。

 このときはまだ、違和感の『正体』まではつかめなかった。




 ……一年生の廊下から階段をのぼり、中央廊下に入ったところで。

 始業を告げる、チャイムが鳴る。


「でね、由衣ちゃん……」

「はい?」

 えっ、なに?

 陽子先輩の声のトーンが、突然下がって……。

 さっきみたいなお花畑、どこにいったの?


「この先のことは、絶対に他言無用だよ」

「ど、どうしていきなりそんなに怖い声なんですか?」

「いけば、わかるよ……」

 そういって、それっきり黙ってしまった先輩のあとを。

 一転、わたしは足取り重く歩いていく。



 そして到着したのは、やはり……。

 手書き文字で『機器室』と記された。


 例の、あの部屋だった……。



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