第2話 放浪

 風が、焼けた草の上を吹き抜けた。空はまだ裂けたままで、黒い亀裂が雲のように地平まで伸びている。だが、犬ヌヌヌ犬と猫ネネネ猫は放浪の旅へと歩き始めていた。旅の第一歩は、飢えと渇きを凌ぐための一歩でもあった。


 「まずは、水と食料……それに、頭を覆う寝床だな」

 犬ヌヌヌ犬が呟く。焚き火の薪を拾いながら、周囲の森を見回す。猫ネネネ猫は、腰に包丁のような細身の短剣を下げ、背には小さな袋を背負っていた。


 「この辺り、田畑も村も焼けてるわ。魔物のせいね」

 「うむ、近江の地は既に壊滅に近い……だが、あの川を辿れば、まだ人の暮らしが残っている可能性はある」

 「水辺なら魚も獲れるし、植物も多いはず。山菜も探してみる」


 ふたりは川へと向かった。途中、ぬかるんだ地面に不気味な足跡が点々と残っていたが、今はそれを気にする余裕はない。川辺に着くと、清らかな水がまだかすかに流れていた。魔導の影が薄かったのか、魚も数匹跳ねていた。


 「ろ過すれば、水は飲めそうだな。猫ネネネ猫、網は作れそうか」

 「ある程度の蔓と枝があれば、簡易的なものは作れるわ。あなたは罠でも張ってきて」


 頷いた犬ヌヌヌ犬は、素早く地形を読み、川辺の岩陰に罠を三つ仕掛けた。針金の代わりに植物の繊維を使い、仕掛けを踏めば小石が頭上から落ちてくるよう工夫されたものだ。猫ネネネ猫は川辺で動きやすい石を拾い、平らな岩に並べて乾かしていた。


 「ここを仮の寝床にする?林の中じゃ、魔物の気配が強すぎるわ」

 「それがいい。開けた地のほうが、奴らの奇襲には気づきやすい」

 「でも、野宿よ。あなた、野宿苦手でしょ?」

 「……むぅ、耳の中に蟻が入るのが苦手なだけだ」


 ネネネ猫はくすりと笑った。こんな状況でも、彼女は時々笑う。それに犬ヌヌヌ犬は癒やされるのだ。

 

 やがて日が傾き、簡易な網で捕えた魚と、山際で採れたキノコや山菜が夕餉となった。焚き火の炎がゆらゆらと揺れ、夜風が虫の音を連れてくる。


 「……明日から、どうする?」

 「まずは、人が残っている村を探そう。情報も必要だ。異界と繋がった裂け目……あれはこの地の構造そのものを歪ませている」

 「生き残ってる人たちも、戦ってるのかな」

 「きっとな……だが、戦うだけでは駄目だ。理由を知り、止めねばならぬ。異界との融合がなぜ起こったのか、それを解かねば……世界は終わる」


 焚き火にくべられた薪がぱちりと音を立てる。その光に照らされ、猫ネネネ猫が犬ヌヌヌ犬の隣にそっと寄り添った。


 「ねえ……私たち、間に合うよね」

 「ああ。必ず、間に合わせる」


 彼の眼には、ただの炎ではない、戦火の向こうに続く未来が映っていた。空は裂けたままだ。だが、心は折れていない。侍と猫の放浪は、静かに、だが確かに進んでいた。


 ——そして、二人の行く先には、また新たなる敵が潜んでいた。

 次に待ち受けるは、鏡の森。

 かつて、犬ヌヌヌ犬が「学び舎」としていた場所が、今や異界の呪いに飲み込まれていると噂されていたのだ。

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