参 捨てる仙あれば拾う仙あり


 ここで否が応でもふり払うべきだったのかもしれないが、次いで耳が拾った弱々しい科白せりふ紅鸞こうらんの体はぴたりととまってしまう。


「……あなたの気持ちはわかっています。僕としても無理を言っていることは承知の上です。ですが、一世いっせい一代いちだいの大仕事にぜひ美人の助力をあおぎたく……やはり、だめでしょうか」


 ときどき天喜はずるい、と紅鸞は思う。

 お得意の口説きに失敗してしゅんとする彼はもはや龍というよりも悪戯いたずらを叱られた人の子のようだ。

 まだ幼かった頃の彼は生来の美しさだけが先立っていたが、龍族らしい威厳を身につけてからは見違えるほど立派な美丈夫になってしまったとばかり思っていた。

 しかし、すっかり恐懼きょうくしてこちらの顔色を窺う彼には威厳の欠片かけらもない。

 それが幼い頃の泣き虫弱虫だった天喜を彷彿ほうふつさせ、紅鸞の頭の中の天秤てんびんをぐらりとり動かしている。

 優しくて臆病おくびょうな天喜が他人を引き留めてでも頼みたいことを、昔から弟のように彼の面倒を見ていた紅鸞が断れるはずもなかった。


 それに今の天喜は何をしていてもとにかく目立つのだ。

 見目麗しい彼は楼閣の門をくぐる前から周囲の注目を集めていたが、今は四方八方から天喜をあわれむ視線と「あの女大丈夫か?」という視線がひしひしと紅鸞の背中に突き刺さっている。

 これでは完全に亭主ていしゅの言うことを聞かないばかりか、癇癪かんしゃくを起こして困らせている悪妻の図である。

 しかしながら、誤解を解くためにわざわざ説明して回るわけにもいかず、紅鸞はたっぷりと沈黙した後にしぶしぶ紫檀したんの椅子に腰を下ろした。


「……今回の『神婚』が終わるまでの間だけよ、それで十分でしょ?」


 しぼんでしまった花がたちまちよみがえるようにぱっと美しい笑顔が咲いた。


「あなたの助力に感謝します、美人!」


 これはあくまでも、今後の密やかな放浪生活を守るために引き受けたのだ。

 終われば今度こそ見つからないどこか遠いところへ行って、縁結びからきっぱり足を洗う。神都にももう決して戻らない。

 だから、今回だけ。この一回だけの辛抱だ。


 紅鸞は自分にそう言い聞かせて、己の右手を包みこむように強くにぎりしめた天喜の両手をそっと離した。


「でも、急に媒酌ばいしゃく人をやれだなんて言われても、うまくできるかどうか心配よ。だって、私はあなたとは違ってもう何十年も縁結びをしてない……正式な月下げっか氷仙ひょうせんの証だって持ってないんだもの」


 紅鸞は天喜の腰にちらりと目をやる。

 二本の赤い糸で左右対称の輪を作り、余った糸を垂れ下げる形で編みこまれた同心結どうしんむすびの中心で、月のように冴え冴えとした白璧はくへきが光っている。

 古くから良縁を象徴する同心結はれっきとした月下氷仙の証だ。当然のことながら、今の紅鸞は身につけていない。


「『神婚』が執り行われるのは除夕おおみそかの夜、およそ一年後です。まだまだ時間もたっぷりとあるので、今から場数を踏んでいけばいいだけのこと」


 天喜は淡くぼんやりとした朱の光を抱く花鳥の燈籠とうろうを流し目で見つめる。


「人の世はもうすぐ元宵節げんしょうせつを迎えます。この日は仲の良い男女で連れ立って出かけるのが古くからのならわしです。しかし、毎年良い相手にめぐりえず途方に暮れる人間も少なくはありません。ほら、あそこにも」


 その視線の先にあったのは、年季の入った楼閣の壁に浮かび上がるひとつの影法師だ。

 卓に突っ伏して情けなくもぞもぞとうごめく黒い輪郭りんかくに、紅鸞は思わず眉をひそめる。


「うう、どうして……ぼくは広い屋敷も、金子も持っているのに……どうして良い伴侶はんりょだけが見つからないんだ……」


 紅鸞たちの卓から少し離れたところで、身なりのいい若い男がともの者をふたりはべらせ、朝っぱらから酒を舐めていた。

 憂鬱ゆううつのせいで干からびたなめくじのようになっている様子は見るにえず、供の者も何と声をかければよいかはかりかねているようだった。


「これで縁談も四回目だ……この世に良縁はあるはず……でも、縁結びの神様はどうしてぼくのもとに来てくださらないのだろう……」

「ここは神都。神様ならいつでもあなたのすぐそばにいますよ。当然、縁結びの神様も、ね」


 気がつけば、向かいの席に座っていたはずの天喜がいなくなっている。

 いつの間にかあの大量にあったきのこ料理もひとりで平らげてしまったらしい。


「あ、ちょっと……」


 紅鸞はすぐにその背中を追いかけたが時すでに遅し。

 泣きらしたのに加えて寝不足らしく、くっきりとしたくまに縁取られた男の両目は、すでに颯爽さっそうと現れた麗君にくぎづけになっていた。


「あなたは……?」

「僕は月下氷仙の天喜と申します。こちらの美人は僕の同伴パートナー。この神都で媒酌を行っている者です」


 媒酌、の言葉に男は白眼を炯々けいけいと光らせる。


「ここで出会ったのも何かの縁。よろしければ、あなたの悩みを僕たちに聞かせてくださいませんか?」


 天喜はまた蝶を誘う花のようにふわりと破顔すると、自然な会話の流れで男の素性と現在の状況を事細かに聞き出した。


 男の名はらく瀚遠かんえん。実家は主に塩を売って生計を立てる大商家で、彼はその次男坊らしい。

 さすがに神都一の月下氷仙というだけあって、天喜の話術は側から見ていても舌を巻くほど見事だ。

 父母はどのような人物なのか、今は何をしているのか、どのような縁談を望んでいるのか、己の知りたい情報を次々と引き出していく。

 なかには「これまでに動物を救ったことはあるか」などという奇妙な質問もいくつかあったが、微醺びくん を帯びていた洛氏は特に気に留めもせずに口をよく回らせた。

 天喜のたくみな話術のおかげで、いくらもしないうちに洛氏自身には何も問題はなく、善良な人間であると明らかになった。


 ひと通り彼のことをたずね終えた天喜はしばらく黙って思索しさくを巡らせていたようだが、不意にはたと手を打つ。


「そうだ。先日、知府ちふはく様も娘の縁談に頭を悩ませていると相談にいらっしゃいましたが、彼女ならば家柄も器量もあなたの条件に合うと思いますよ」

「ほ、本当ですか!?」


 洛氏が勢い余って身を乗り出すと、給仕をしていた宿屋の主人が奥からひょいと顔をのぞかせ、軽快に笑った。


「天喜氷仙に縁さだめをしてもらえるなんて、お前は幸せものだなあ! ここいらじゃ一番有名な媒酌人だぞ。天喜氷仙に任せておけば、もう成功したも同然だ」

「ああ、よかった……本当によかった! 無事に縁談がまとまったあかつきには、報酬の方は任せてください!」


 悲哀ひあいの涙を満面の笑みでかわかし、洛氏は薄い胸をこぶしで軽くたたいた。


「ふふ、我々にとっては、ひとりでも多く良縁に恵まれることが何よりも喜ばしいことなのです。明日、ちょうど所用があって白家を訪ねるので、その折にあなたのことをご紹介しましょう。次の元宵に一緒に出かけて、お互いの相性を確かめてみてはいかがですか?」

「感謝します、天喜氷仙様! そうだ、それなら早速いい服を準備しないと!」


 まるで草原を跳ねるうさぎのようにとんとん拍子びょうしで進む話に、いつの間にか蚊帳かやの外に放り出されていた紅鸞はもはや抵抗を諦めて傍観ぼうかんするしかなかった。


 ◆ ◇ ◆


 この国において、男女の結婚のかぎにぎっているのはまさしく媒酌人である。

 旧記に「男女行媒こうばい有るにあらざれば、名を相知らず」「男女媒無ければ交わらず」とあるように、何かと制限の多い若い男女は、仲人なこうどなくしては赤い糸で結ばれた運命の相手を探すことすらままならない。

 ゆえに、月下氷仙は男仙女仙で一組になり、同伴パートナーと連携して迷えるひとり者に相応しい相手を探し出す。

 探し出した相手同士に姻縁いんえんがあるとわかれば、赤い糸を手繰たぐって結ぶことで、晴れて月老げつろう神君しんくんに祝福された新たな夫婦が誕生するというわけだ。


 翌朝、天喜とともに白家へ訪問することになった紅鸞は、前で彼が歩くたびに揺れる同心結を眺めながらぼんやりと考えにふけっていた。


 かつて月下氷仙として紅鸞が最後にあれを振りかざしたのももう数十年前だ。

 縁結びも媒酌も、先代の『神婚』と同時に起こったある事件をきっかけにりてしまった。

 それからは月老神君に与えられた大切な使命も無造作にうち捨てて、必死で何かから逃げるような放浪ほうろうの旅に明け暮れる日々。

 きっと、もう仙としての力もほとんど残っていない。

 見る影もなく凋落ちょうらくした小仙しょうせんに、世間も天喜も一体何を望んでいるというのだろう。

 紅鸞にははなはだ疑問であった。


「ねえ、本当にこの道で合ってるの? どんどん人気ひとけがなくなっているような気がするんだけど……」


 天喜の後について道を歩いているうちに、紅鸞はふと周囲の明かりが不自然なほど少なくなっていることに気づいた。

 つい先ほど大きく整備された通りから少し脇道に入ったばかりだ。

 このあたりの土地勘はもうないが、のきつらねる店のようすから、神都の中央からはまだそれほど離れていないはず。

 それにもかかわらず、まるでこの世から人間だけがさっぱり消えてしまったかのように、出歩く人の子ひとり見当たらない。


「どうか安心してください、合っていますよ。白家の屋敷へ向かう前に少し寄りたいところがあるのです」


 振り向きはせずに声だけで答えて、天喜は迷いなく前を進み続ける。

 いつものようにやわらかく笑う気配はしたものの、彼の声はどこか糸を張り詰めたように緊張している。

 いや、違う。どちらかというと、空気そのものが凍りついているような。


 何度か角を曲がっているうちに、胸中でくすぶっていた違和感がだんだんと確信に近いものに変わっていった。


 天喜はある裏路地まで入ったところで、その場でひざをつき、ふところから小さな瓢箪ひょうたんを取り出した。

 地面に向かってそれをかたむけ、何かに中の水を注いでいく。

 彼のすぐ後ろから覗きこむように首を伸ばしていた紅鸞は、そこにあったものの正体を見て拍子ひょうし抜けした。


 裏路地にぽつんとたたずんでいたのは、一枚一枚の花弁を扇子せんすのように大きく開き、咲き誇る大輪の白牡丹ぼたんだった。


「見てください、美人。百花の王はやはりいつ見ても気高く美しい。神都が牡丹の品評ひんぴょうにぎわう季節ももうじきですね。古い雅人がじんのことをこうたたえました――『だ牡丹のみ真の国色有り、花開く時節とき京城けいじょうを動かす』」


 天喜の言葉に呼応こおうするように、ふっとあたりの空気が揺らいだ。

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