第52話 ラウル、心臓が止まる

「レジェス宮中伯ぅぅぅ!!」


「ソレル宮中伯?」


 涙と鼻水を垂らしながら、がばっとラウルに抱きついてきたのはソレル宮中伯だった。かつてのラウルの同僚で、ラウルが辞して以降も宮中伯の任を務め続けている男だ。


 娘のプリシラを王太子妃として送り込み、王家の親戚となって位人臣くらいじんしんを極めた……かのように見えるソレル宮中伯だが、今はべそべそと半泣きになっている。


「どうか公職にお戻りいただけませんか? やはり宮廷はあなたなしでは回りません!」


 ラウルに取りすがるソレル宮中伯は、どうやらこの十三年間、相当に苦労してきた模様だった。


 同僚だった時代のソレル宮中伯からは、ラウルへの敵対心やライバル意識がめらめらと燃えているのが感じられたものだが、長年に及ぶ苦心惨憺はよほど彼を打ちのめしたらしい。すっかり角が取れて、丸くなっている。


「もう離さなぁい……! ずっとここにいてぇ……!」


 ちょっと怖い。


 ラウルは引いた顔で離れようとするが、ソレル宮中伯はがしっと腕を捕まえていて放してくれない。復職すると言わない限り解放されることはなさそうで、ラウルはたじたじと脂汗を流した。

 

 現宮中伯が元宮中伯を熱く抱きしめている横で、アスセナはトリスタンと向かい合っていた。


「トリスタン!」


「アスセナ、無事でよかった……!」


 アスセナはトリスタンがエリアスの窮地を救ってくれたことに、心からの感謝を告げた。


 墜落したエリアスを間一髪のところで受け止めてくれたトリスタンは、アスセナの目には本物のヒーローに見えた。


 アスセナが言葉を重ねて礼を伝えると、トリスタンは大したことじゃないとはにかむ。


 照れたような彼の表情に、胸の奥がじんわりと熱を帯びるのをアスセナは感じた。


 この熱の正体を、本当はずっと知っていた。

 

 アスセナはあふれる想いを抑えるように一瞬だけ目を閉じ、深く呼吸をした。


「トリスタン。私……あなたが好き」


 トリスタンの心臓は高く跳ねた。


 ゆっくり顔を下げると、アスセナの真剣な瞳とぶつかる。先日トリスタンの方から告白した時は伏せられてしまったそのまなざしは、今はどんなに真っ向から見つめても逸らされることはなかった。


「……アスセナ」


「初めて会った子供の時から、本当はずっとあなたのことが好きだったの。でも、私は……」


 アスセナにとって最優先なのは自分ではない。エリアスだ。


 エリアスはまだ未成年で、多感な年頃だ。母親なのに自分の幸せを求めるなんて、そんな勝手が許されるだろうかと心が竦む。


 ふと、芳しい緑の香りがした。記憶の中から鮮やかに浮かび上がるのは、トリスタンと初めて会った七歳の日の思い出だった。


 なつかしいレジェスの屋敷。庭の真ん中に生えた大きな木。お互いの家族と水入らずで過ごした平和な一日。


(……こわいわ。わたしにはできない……)


 トリスタンは身軽に大木に登っていったけれど、アスセナは怖がって首を振った。


 おびえて立ちすくんだアスセナの前に、トリスタンは手をさしだして言ったのだ。


 ──だいじょうぶだよ。かならず守るから。


「大丈夫だ。必ず守る」


 あの時と変わらない言葉が返ってきて、瑠璃色の瞳が見開かれる。目頭が熱くなって、涙がこみ上げてくるのをアスセナは感じた。


「君もエリアスも、全力で幸せにしてみせる」


 トリスタンは一歩アスセナに近づき、手をそっと取った。


 アスセナのきゃしゃな手を包み込むトリスタンの大きな手は、まるで彼の心のように優しくて頼もしかった。


「アスセナ、俺と結婚してくれ」


 力強く乞う言葉と、にぎられた手のぬくもりに、アスセナの頬をしずくがつたう。


 七歳のあの日、この手に引かれて登った木の上からは、息を呑むほど美しい夕陽を見ることができた。どんなに時間が経っても色あせることのない、圧倒されるほどの絶景を。


 不安もある。自分でいいのかと気後れする気持ちもある。初婚の彼に連れ子のいる身で申し訳ないと尻込みする思いもある。


 けれどこの手を信じて登った先では、またあんな雄大な夕焼けが見られるのかもしれない。一生忘れることのできない、素晴らしい景色が待っているのかもしれない。


 窓の玻璃を透かして、西日がさしこむ。ゆっくりと傾いていく落日の光が、二人の影を一つに重ねた。


「……アスセナ? トリスタン……?」


 手を取りあう二人に気が付いて、急激に混乱し始めたのはラウルだった。


 娘とトリスタンのただならぬ雰囲気に、今までソレル宮中伯に抱きつかれていたからだけではなく、ラウルの腰は砕け、脳は揺れ、ふらふらと千鳥足になる。


「……お父様……」


 アスセナは美貌の顔に躊躇ちゅうちょを浮かべた。


 幼いアスセナが母のリリアナに「大きくなったらトリスタンのおよめさんになりたいです」と告げた時、リリアナは「素敵ね」と喜んでくれた。


『でもね、アスセナ。それはラウルには……あなたのお父様には絶対に言ってはだめよ』


『なぜですか?』


『お父様の心臓が止まってしまうからよ』


 人さし指を唇に当てて「お母様とだけの秘密にしましょうね」と言った母の言葉を思い出して、アスセナは静かに首を振った。


(いいえ、お母様。お父様はちゃんと受け止めてくれますわ……)


 アスセナはそう確信し、ラウルに向き合った。


 亡き母にしか言ったことのなかった子供の頃からの願いを、初めて父に告げる。


「お父様。私、トリスタンと結婚したいです」


 ラウルは心肺停止した。







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ここまでご覧いただき、ありがとうございます。


おじいちゃんの心臓が止まったところに宣伝で申し訳ないのですが、本日1月15日『処刑された聖女ですが、皇女に転生してお兄様たちに溺愛されています』発売です!


デビュー作の発売日は一生に一度なので…!

勇気を出して告知させてください!(後で消します)


めちゃくちゃ悩んで悩んで泣きながら改稿したので、お手に取っていただけたらもっと泣いて喜びます。よろしくお願いします!


と、図々しく宣伝したところで、ラウルの蘇生に行ってきます!


ラウル! ラウルしっかりして!! 生き返って!!!


ラウル「……2月5日に……2作目も発売予定です……」(作者の副音声による追い宣伝)

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