第二部 エリアス編

第27話 エリアス、外の世界に憧れる

<第二部>



 ベルトラン軍務伯領には今日も明るい日ざしが降り注いでいる。


 照りつける太陽を浴びて、樹木が大きく育っていた。家も道も広場も街の細部まで一段と美しく整ったのは、ラウル・レジェスがこの地の内政をつかさどっているからだ。


 ラウルはかつては王宮で政務を担う宮中伯の筆頭であった。武官のトップだったオズヴァルト・ベルトランの領地に、文官のトップだったラウル・レジェスが加わったことで、ベルトランはこの十年余りで飛躍的な経済発展を遂げたのだ。


「──おじいさま!」


 瑠璃色の瞳を輝かせて、一人の子供が元気いっぱいに駆け寄ってくる。ラウルの孫のエリアスだ。


 十二歳のエリアスは端整という言葉がよく似合う美少年だ。ただ目鼻立ちが整っているというだけではなく、思わず誰もが惹きつけられるような天性の華がある。


 短く刈ろうとするたびに愛犬のカナルに阻止される髪は、黄金色としか表現しようのない鮮やかなゴールデンブロンド。目がくらむほど明るい純金の髪が、肩につくほどの位置できらきらと光を放っている。


「できたよ! 見て!」


 エリアスが差し出したのは起案書だった。


 一歳の頃から絵本がわりに法学書や戦術書を読み聞かせて育てたせいだろうか。エリアスはすでに大人顔負けの知識を蓄え、最近は少しずつ実務にも関わるようになってきた。


 そこで宿題と称して現在のベルトランにおける問題点を洗い出し、改善策を草案の形にまとめるよう指示したのだが……。


「……完璧だ」


「やった!」

 

 ラウルはうなり、エリアスは無邪気に喜んだ。


 達筆な字で綴られた草案は、予算の見積もりから収益の予測、想定されるリスクとその回避方法に至るまで百点満点の内容だ。このまま稟議に出せるレベルである。


(昔、王宮で共に働いていた官吏らの中にもこれだけの起案書を書ける者がいたかどうか……?)


 孫の成長に、ラウルは誇らしい気持ちでいっぱいになった。


(うちの孫が可愛すぎる……!)




◇◇◇




「──ッ!」


 ザっと砂が舞った。対峙する二人の間に火花が散り、金属がぶつかる音が響く。


 対戦相手は長剣を持ち、重厚な鎧を着込んでいる。対してエリアスは軽装な上、あえて短剣で挑んでいた。


「実戦では相手の武器を指定などできん。どんな不利な条件下でも戦えるよう鍛えろ」というオズヴァルトからの指示だ。


「はッ!」


 長剣が鋭い弧を描いた。エリアスは斬撃を見切ってかわすと、地面を蹴る。自身の体の小ささを逆手に取って、俊敏に相手の懐に飛び込んだ。


 リーチの長さでは勝ち目がないが、接近戦に持ち込めば短剣が有利だ。エリアスは一気に間合いを詰めると、相手の装甲の継ぎ目にあたる部分に、続けざまに連撃を見舞った。


 鎧の隙間ということは人体の関節部分であり、的確に刺せば致命傷を与えられる急所でもある。


「ぐはァッ!」


 もんどり打って倒れた相手が体勢を立て直すよりも早く、エリアスは首の血管すれすれにぴたりと剣先を突きつけた。


「そこまで!」


 オズヴァルトが宣言し、エリアスはぱっと破顔した。


 たった今倒した男は軍務伯領の誇る軍人たちの中でも白眉の実力者。エリアスはこれでオズヴァルトの部下全員に勝ったことになる。


「あとはオズじぃだけだよ!」


「おお、十年早いわ」


 エリアスが天真爛漫に言い、オズヴァルトも嬉しそうに応じた。


「エリたぁん! すごぉい!」


 ラウルもじじバカ全開で手を叩く。


 試合を観覧していた軍人の一人が、スキンヘッドをつるりと撫でながら感心した。


「エリアス様はどんな武器も見事に使いこなされますが、短剣ドスを持たせても天才的ですねぇ」


(短剣ってドスって読むんだったかな……?)


 ラウルは首を傾げた。ベルトランに移住して十年以上経つが、未だにこの地の言語に慣れない時がある。


 困惑しつつ、ラウルは再びエリアスに見入った。


「しかし何でも吸収するな……末恐ろしい子だ……」


 文のレジェスと、武のベルトラン。二人の祖父から薫陶を受けた孫はまさしく文武両道の四字熟語がふさわしい子に育った。一を聞けば十を知る利発さは、祖父の贔屓目ひいきめではなく神童と言っていいだろう。


 ちなみにエリアスはラウルのことを「おじいさま」、オズヴァルトのことを「オズじぃ」と呼んでいる。


「おじいさまおじいさまと慕ってくれるのが最高に可愛いな。"様”というところに尊敬と敬愛とリスペクトを感じる」


「何を言う。様などと水臭い上に堅苦しい。“じぃ“というところにこそ、愛情と親しみと親密さがあふれているだろうが」


 そう自慢しあったラウルとオズヴァルトだが、やがて二人して同じ結論に達した。


「孫しか勝たん」


「わかりみ」


 という結論に。


「……ところでラウル、何やら王都がきな臭いようだが」


「ああ、国王陛下が退位を考えているともっぱらの噂だな……」


 ラウルとオズヴァルトが離反して以来、国王デメトリオは心労が尽きないらしい。


 それはどうでもいいし、知ったことではないが、実際デメトリオも高齢にさしかかり、譲位を計画しているようだ。そうなれば王太子ホアンが新王に即位することになる。


(あのアホ王子が……この国の王になるのか……)


 これはエリアス本人にも伝えていない秘密だが、エリアスはホアンの子、デメトリオの孫なのだ。王族特有の金の髪がそれを証明している。


(願わくばこのまま、エリアスの存在を王家に知られることなく過ごせればいいのだが……)


 ラウルが一抹の不安に駆られていると、先ほどの軍人が「ご安心ください。レジェス様!」と胸を叩いた。


「うちの領地シマにいる限り、エリアス様には決して手出しさせません!」


(領地ってシマって読むんだったかな……?)


「レジェス様のおかげで我が領の収入シノギは右肩上がりですからね。ご恩に報いるためにも、エリアス様は全力で守ります!」


(収入ってシノギって読むんだったかな……?)


 ラウルは疑問を抱いたものの、一致団結してエリアスを守ってくれる彼らの存在は頼もしい限りだ。


 ベルトランの民はエリアスの血筋を察しながらも、決して口外せず、秘密を守ってくれている。


──この領地シマさえ出なければ、エリアスは安全でいられる。


 そう確信し、安心していたラウルだったが……。


 その夜半。

 日もすっかり暮れた暗がりの中、領地シマを抜け出そうとする一人の影──正確には、一人と一匹の影があった。


「カナル、心配しないで」


「くぅーん……」


 エリアスは人目を避け、気配を殺して館を出た。愛犬のカナルはエリアスの服を引っ張って止めようとしている。


「カナルはここで待ってる?」


 エリアスが尋ねると、カナルは大きなもふもふの体を震わせて拒んだ。


「じゃあ一緒に行こう。大丈夫、すぐに帰るから」


 エリアスは生まれてこのかた、ベルトランから出たことがない。


 外の世界に憧れる気持ちや、何があるのか見てみたいと願う好奇心は、日に日に抑えきれなくなってきた。


 けれどいつも優しい母も、エリアスを溺愛する祖父たちも、この願いだけは聞いてくれない。絶対に出てはいけないと頑なに言い、理由を聞いても教えてくれないのだ。


(少しだけ……。そう、少しだけだから……)


 ほんの少し外の世界を見たら、すぐに戻ってくる──。


 かくしてエリアスはカナルをお供に、生まれて初めて領地シマを抜け出したのだった。

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