第19話 ホアン、復縁を希望する②

 くんくん


 くんくんくん


「いい匂ぉい……!」


 すんすん


 すんすんすん


「いい匂いすぎるぅ……!」


 ラウルとオズヴァルトは恍惚とした表情を浮かべた。


 二人は生後四ヶ月になるエリアスを左右から挟んで、くんくんすんすんと匂いを嗅いでいた。


「はぁ……たまらん……」


「癒されるぅ……」


 花のような、果物のような、ミルクのような甘くて柔らかい香り。


 嗅いでいるだけで癒し効果が半端なくて、病みつきになる。


 ラウルとオズヴァルトはうっとりととろけきった顔で、すーはーすーはーと極上の香りを吸い込んだ。


「なにこの可愛い生き物ぉ……!」


 生まれた時から整っていたエリアスの顔立ちはさらに愛らしくなって、今や国宝級の可愛さだ。目に入れても痛くないと祖父は思っている。


 月齢が進むごとにエリアスの表情はどんどん豊かになり、周囲のものにも興味を示して、好奇心旺盛に手を伸ばすようになった。


 とにかく最上に可愛くて、地上に舞い降りた天使としか思えない。


「わぉん」


「あーだ」


「「はぁん……っ!」」


 一声目がエリアスに話しかけるカナルの鳴き声。次がカナルに答えるエリアスの喃語なんご。最後が可愛すぎる絡みに悶えるおっさんたちの悲鳴である。


 赤ちゃんと犬が楽しそうに戯れる光景に、胸の高鳴りが止まらない。


「わん! わぉん!」


「あー! ばぶぅ!」


「エリたん、カナたん、お話ちてるんでちゅかぁ~!」


「何て言ってるんでちゅか~? 教えてぇ~!」


 可愛い気持ちが高ぶり過ぎて、心臓がきゅんきゅんする。

 

「じぃじもエリアスと会話したぁい……!」


 ラウルがそう熱望すると、オズヴァルトは真剣な顔で親指を立て「それな」と言った。


──エリアスが早く言葉を話せるようになってほしい。


 心からそう願いつつ、ほんわかする二人だった。




◇◇◇




「……」


 幸せな孫吸いタイムから一転。


 ラウルは虚無顔で封書を開いていた。


 発信元は王宮で、差出人はホアン・アンバル。この国の王子でアスセナの元婚約者だ。


 ホアンはアスセナがベルトラン軍務伯領にかくまわれていることは察している。


 しかし婚約破棄した令嬢が移住したという事実だけで、ベルトランを罰する理由にはならない。


 ベルトランはアンバル王国から離反したわけではなく、今も軍務伯領として国防の任を担い続けている。


 軍事司令官コマンダンテ・ヘネラルはオズヴァルト個人が拝命していた役職。勝手に辞職したことに問題がないとは言わないが、謀反を咎められるほどの大罪ではない。


 個人的な官職なのはラウルの秘書職セクレターリアにしても同じこと。デメトリオ国王からどうか復職してくれと乞われてはいるが、拒んだからと言って罪に問われるいわれはない。


 二人は明確に反逆の意を示しているわけでもなく、ただ引退して隠棲しているだけだ。


 おかげでホアンは二人を攻めあぐね、かわりにこうしてたびたび手紙をよこしてくる──というわけだ。


 アスセナの許可を得てラウルとオズヴァルトが検閲しているが、内容はいつも同じ。要するに復縁の要請だ。


『アスセナ、いい加減に機嫌を直してくれ』


 冒頭からさっそくそんな文面で始まっていて、ラウルは開封早々、手紙を投げ捨てたくなった。


『もう一年以上経つんだよ? 僕の気を引きたいのはわかるけど、焦らすのも限度があるんじゃない?』


 ホアンはとにかく真摯に詫びるということができない性格らしい。おそらく謝ると死ぬのだろう。


『僕は優しいから、今なら許してあげるよ。早く素直になった方が君のためだと思うけどなぁ』


──ビリッ!


 ラウルは死んだ目で手紙を破った。


 エリアスの存在をホアンに知らせる気は毛頭なかったが、さらに決意が固まった。


 ホアンはエリアスの実の父親だが、世の中にはいない方がマシな親というものもいる。


「……よくわかったぞ、オズ……」


 ラウルは手紙をビリビリに引き裂いた。


「まだ言葉を話せない赤ん坊よりも、言葉は話せるのに話の通じないドアホウの方が、よほど厄介なのだとな……!」


 口を開けば寝言しか言わないアホ王子よりも、ばぶばぶお話してくれる孫の方がずっと賢い。


「同感だ、ラウル」


 散らばった破片を、オズヴァルトの大きな足がどんと踏んづけた。

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