第4話 アスセナ、閉じこもる

「アスセナ!」


 自邸に戻ったラウルは、娘の部屋へ直行した。


「アスセナは……!?」


 レジェス家に仕える使用人は、力なく首を振った。


「ずっとお部屋にこもったまま、出ていらっしゃらないのです……」


 アスセナは王宮から帰るなり自室に駆け込み、そのまま鍵をかけて閉じこもってしまったという。


 使用人たちも心配してさんざん呼びかけたが、返答はないとのこと。


 ラウルは固唾を飲んで、部屋の扉をノックした。


「アスセナ。私だ」


「……お父様……?」


 扉の向こうからかすれた返答が聞こえてきて、ラウルはかすかに安堵する。


 婚約破棄の恥辱にさらされたからと言って、自害したりはしないと信じていたが、万が一ということもある。


 娘が無事ならひとまずは安心だ。王子の婚約者の地位など、いくら失ってもかまわない。


「……お父様……私……」


 アスセナは多忙な父がこんな早い時間に家に帰ってきたことに驚きながら、潤んだ声で詫びた。


「申し訳……ありません……」


「何を謝る?」


「ホアン様に……婚約破棄されてしまいました……」


「それがどうした? ホアン殿下に見る目がなかったというだけだ」


 ラウルはきっぱりと言い切った。


「おまえは何も悪くない。さしずめ殿下は自分の努力不足を棚にあげて、おまえの優秀さをひがんだのだろう。そんな器の小さい男となど、縁が切れてよかったのだ」


 アスセナは頼りないホアンを補佐すべく、懸命に努力を重ねていた。褒められこそすれ、咎められる行いなど一切していない。


「何も心配しなくていい。たかが婚約破棄などで、おまえの価値は少しも変わらない」


 ラウルは断言し、声音を和らげた。


「おまえは今まで本当によく頑張った。しばらくは家でゆっくりしなさい」

 

「……でも……お父様のお仕事に……宮中伯のお役目にさしさわりが……」


 扉の向こうでアスセナが涙をこぼしたのが、見なくてもわかった。


「……お父様は立派なお仕事をされているのに……私が至らないせいで……」


 王家に嫁ぎ、国母としての務めを果たし、レジェス家の名を高める。


 それが男手ひとつで育ててくれた父への恩返しになると、アスセナは信じていた。


 能吏のうりとして知られる父の娘として、自分も優秀でなくてはならない。皆の模範とならなくてはいけないと思って、厳しい妃教育にも文句ひとつ言わずに耐えてきた。


 けれど今のアスセナはすべてを失ってしまった。地位も、未来も──純潔さえも。


「……王族の婚約者でなくなった私は……お父様のお荷物でしかありません……」


 父にとって誇れる娘でありたかったのに、自分はもう汚れてしまった。


 アスセナは家の恥で、汚点だ。父の足を引っ張ることしかできないのだと思うと、涙が止まらなかった。


「アスセナ……」


 ラウルは胸を押さえて、深々とうなだれた。


「……すまない。私が言葉足らずだったのだな……」


 ラウルはこれまでアスセナに不自由な思いはさせまいと、ひたすら仕事に打ち込んできた。娘の未来のため、積極的に昇進しようとしてきたのは事実だ。


 けれどその姿がかえって娘に、立身出世こそが大事だと植え付けてしまったのかもしれない。


(私は本当に愚かだな……リリたん……)


 ラウルは心で亡き妻に詫びた。


 リリアナはラウルが生涯で愛した唯一の女性だ。この知らない異世界でリリアナはラウルに愛を教えてくれた。かけがえのない家族を与えてくれた。


「優秀でなくていい。立派でなくてかまわない。私はおまえがいてくれるだけでいいんだ」


「優秀で……なくても……?」


「ああ」


 ラウルは深くうなずいた。


 アスセナが片親だからといってひねくれることなく、真面目で優しい子に育ってくれたのは嬉しく思う。


 けれど父であるラウルや、このレジェス家のために、心を殺して自分を犠牲にするような考えは決して抱いてほしくない。


「おまえはただ健康でいてくれれば……いや、別に健康でなくていい。病気をしてもいいし、疾患があってもいい」


 ラウルは最近白いものの混じるようになった髪を押さえた。元々シルバーブロンドだから目立たないが、明らかに白髪だ。


「人間ずっと健康でいるなんて無理だ。私だって最近は昔のように無理が効かず、徹夜ができない体になってきたし、それなのにやけに朝早く目が覚めるし、認めたくないけど老眼が始まった気がするし……」


 何を言っているかわからなくなってきた。


 ただの中年のおっさんの老化報告である。


 冷徹な宮中伯とは思えないグダグダぶりをさらしながら、ラウルは必死に言葉を紡いだ。


「おまえはリリた……リリアナに似て美人だし、賢い子だが、別に美しくなくてもいいし、賢くなくてもいい」


 弱くても、愚かでも、醜くてもかまわない。親の愛は変わらない。


「どんなおまえでも私の大切な子。世界で一番の宝物だ」


 アスセナはラピスラズリの瞳をまたたいた。


「……本当ですか……?」


 ホアンはアスセナを冷たい女だと言った。婚約者を立てるどころか蔑ろにする、節度も思いやりもない嫌な女だと。


 ホアンの暴言を思い出してすくみそうになった刹那。恐怖を上書きするように、父の質問が降ってきた。


「私とホアン殿下と、どちらを信じる?」


「お父様です」


 迷うことなく、答えが口をついて出た。


 ガチャリ、と鍵が下り、扉が開く。


「アスセナ……!」


 娘の顔を見られてラウルは一瞬ほっとしたものの、その顔は明らかに泣きはらしていて痛々しい。


 ラウルは胸が潰れるほどの痛みを感じたが、アスセナは晴れやかに微笑んだ。


「私……お父様の娘に生まれてよかったです……」


 リリアナによく似た美貌を愛らしくほころばせて、アスセナはぎゅっと抱きついてくる。


「……アスセナ」


 こんな風に娘を抱きしめるのは、どのくらい久しぶりだろう。


 出世なんてほどほどでいいから、もっと娘との時間を大事にすればよかったと、ラウルは今さらながら悔いたのだった。

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