第28話 真に生きる

崩れかけた通路を、アイと真生は駆け抜けていた。

爆発で吹き飛んだ壁の破片を避けながら、アイはサユリたちを救出に向かった。


「……サユリ。迎えに来たよ。」


少女のまぶたが、かすかに動く。


「——……アイ……?」


囁くような声。微かな呼吸。そして、ゆっくりと目が開いた。


真生がそっと担ぎ上げ、アイが酸素補助装置を調整する。

崩れかけた非常通路を、2人は子どもたちを運び出していった。


「……この先が開発ブロックだな。」


真生が端末を見つめながら呟く。

アイは無言で頷いた。

2人は脱出の道を探しながら、残っている職員たちを探していた。

その中に――確かに、命を賭してでも守るべき人々がいると信じて。

開発ブロックの扉を開けると、そこには数名の職員たちがいた。

乾技師を筆頭に、制服姿の女性看護師、白衣を着たデータ分析員、若い運搬スタッフ。皆、疲れ切った表情で、端末の前に座り込んでいた。


「…助けに来たのか?」


その問いに、真生はすぐに頷いた。


「そうです。……みんなで、外に行きましょう。」


沈黙が落ちる。


「バカを言うな。」


年配の医師が苦笑するように言った。


「外になんて出られるわけが――」


「出られます。」


アイの強い声がそれを遮った。


「この施設はすでに中央のシステムが停止してる。封鎖プログラムも崩れている。今なら外に出られる。……あなたたちも、一緒に。」


その声に、誰もすぐに返事をしなかった。

けれど、その場の空気が少しずつ、変わっていく。


「本当なんだな?」


乾がゆっくりと立ち上がり、真生に近づく。


「君たち……外に繋がるルートを確保したのか?」


真生は頷いた。


「東ブロックの旧搬出用通路が生きてます。あそこからなら、地上に出られる。時間はない。でも……間に合う。」


乾はしばし無言で真生の目を見つめ――ふっと、小さく笑った。


「……なら、行こう。俺たちも、もう限界だった。君たちの顔を見て……やっと、踏ん切りがついた気がする。」


その言葉に、他の職員たちも次々と立ち上がる。

「逃げるんじゃない。」「生き直すんだ。」――誰かがそう呟いた。


「……ありがとう、来てくれて。」


乾が真生とアイの手を取った。


「一緒に外に行こう。罪を抱えたままでも……きっと、やり直せる場所があるはずだから。」


真生はその手をぎゅっと握り返した。


「……はい。行きましょう」


アイもまた、そっと皆を見渡し、微かに微笑む。


「これは終わりじゃない。再出発です。」


廊下の奥、薄明かりが揺れていた。

そこに、いくつもの足音が重なっていく。


罪も悔いも恐れもすべて抱えながら――それでも、人々は「外へ」と歩み出していった。

陽の光を求めて、ずっと閉ざされていた地上への扉をこじ開けて。


「……空、って……こんなに広いんだね……。」


視線の先に広がる世界にサユリは涙を流した。

アイがそっと寄り添い、彼女の肩に手を置く。


「覚えてる? 天井に描いたあの星。」


「……うん……あれは、偽物だったけど。」


サユリが顔を上げ、涙を浮かべながら微笑む。


「今度一緒に本物の星空を見よう。」


その言葉に、アイも涙をこぼした。声にならない感情が、彼女の胸を満たしていく。


「……うん。見ようね。来年も、その次も、ずっと。」


真生は少し離れた場所で、それを見ていた。言葉はなかった。ただ、胸の奥が強く、静かに熱くなるのを感じていた。

それぞれが傷だらけだった。

けれど、彼らの瞳には、もう迷いはなかった。

――これから、自分たちの足で、未来へ向かう。

たとえどんなに不安で、痛みを背負っていても。

外の世界の光は、その場にいた人々の背中を、優しく力強く照らしていた。

そして、新たな旅立ちが、静かに始まったのだった。



室内に差し込む朝日が、白い壁を淡く照らしていた。

奏太は、無言のまま病院のリハビリ室の椅子に座っていた。

淡いグレーのリハビリ服に身を包み、肘掛けに力なく腕を置く。

傍らの補助具には、医療用の歩行訓練器具が静かに立てかけられている。


「じゃあ、今日もゆっくり立つところから始めようか。」


理学療法士の穏やかな声に頷いた奏太は、少し震える手で歩行器に手をかけた。

だが、すぐに膝がかすかに笑う。

繭から助け出されて以来、体内のバランスは崩れ、神経の感覚も曖昧なままだった。

筋力は低下し、身体の重さすら正確につかめない。

それでも、彼は立とうとした。


「……ん、く……。」


一歩目。

膝が抜けるような感覚。

身体が傾ぎ、支えがなければ崩れ落ちていた。

すぐに療法士が駆け寄り、後ろから腰を支える。


「無理しなくていい。焦らなくていいよ、奏太くん。」


彼は静かにうなずく。そして、再び正面を見た。

そこには、ガラス越しに見守る真生の姿があった。拳を握りしめ、歯を食いしばるようにして彼の一歩を待っている、いつかの親友。


「……もう、置いてかれたくない。」


誰にも聞こえないような小さな声で、奏太はそう呟いた。

それは、自分への誓いでもあり、再び歩き出す決意だった。

そして、再び歩行器を掴む。


――ぎしっ。


ほんのわずかに床が鳴った。

その一歩は、まるで何年もかけて歩いた距離を縮めたかのように重く、だが確かな希望に満ちていた。

最初の一歩を踏み出した日から、奏太のリハビリは少しずつ段階を上げていった。

日を追うごとに、足の震えは少しずつ収まり、短い距離であれば手すりを使って自力で歩けるようになった。

ただ、それでも長く立っていると身体は強く悲鳴を上げるし、呼吸が浅くなって視界が霞むこともあった。


「……それでも、ちゃんと前に進めてる。」


ある日、訓練を終えた後のリハビリ室の窓辺で、奏太はひとりつぶやいた。

目の前には、春の気配が忍び寄る中庭の風景が広がっていた。

木々は芽吹き、地面には小さなタンポポが咲いている。

その光景を見ていた彼の胸の中に、ふと真生のことがよぎった。


「真生……あいつ、俺のこと、待っててくれてるのかな。」


握りしめた手のひらには、未だうまく力が入らない。

だが、その手でいつかもう一度、あいつと拳を合わせる日を夢見ている。



次の日。リハビリの合間に、医師の許可を得た真生が面会にやってきた。

奏太は、病室のドアが開いた音に振り向く。そして、久しぶりに見る真生の姿に、思わず目を細めた。


「……元気そうだね。」


「お前こそ、ちゃんと歩いてんじゃん。びっくりした。」


真生は笑って言うが、その目元には明らかな涙の光が浮かんでいた。


「情けないところ、見せちゃったよな。」


「そんなことない。俺、すげぇ嬉しいよ……お前が、生きてて。」


沈黙が、短くふたりの間を流れる。

そして、奏太はふっと口元を緩めた。


「……また、一緒に歩こうな。今度は、ちゃんと自分の足でさ。」


「絶対だ。」


真生は、まるで約束を刻むように、拳を差し出した。

その拳を見つめ、奏太はゆっくりと右手を伸ばす。細く震える指が、真生の拳にそっと触れた。

小さな“こぶしタッチ”だった。それでも、ふたりには十分だった。

その日の夜、奏太は眠る前に日記を開いた。


「今日、真生が来てくれた。俺は、まだちゃんと立てない。でも、もう一人じゃないって思えた。明日は、3歩。目標、達成してやる。」


ペンを置き、窓の外に目を向ける。

月が、雲の切れ間から顔を覗かせていた。


――あの繭の中では、永遠に閉ざされた夜しかなかった。でも、今は違う。

夜が明けることを、信じられる。


「……俺、生きててよかった。」


囁いたその言葉は、部屋の中で小さく響き、やがて静かに夜の空気へと溶けていった。

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