第23話 真紅の繭

無数に絡み合った血管のようなケーブルをかき分け、

真生たちは最深部へと足を踏み入れた。

視界が赤く染まる。

壁も床も天井も、まるで生き物の内側のように脈動していた。


「……ここが、“心臓部”……」


奥へ進むごとに、空気が重く、ねっとりと纏わりつく。

呼吸すら苦しくなるほど、異様な圧力が支配していた。


(……でも、行かなきゃ)


真生は、胸の奥で繰り返す。

あの時、Re:Routeで見た不気味な研究棟――

それを遥かに超える、底知れない悪意の源がここにあると、本能が警告していた。


無数に絡み合った血管のようなケーブルをかき分け、

真生たちは最深部へと足を踏み入れた。

視界が赤く染まる。

壁も床も天井も、まるで生き物の内側のように脈動していた。


「……ここが、“心臓部”……」


奥へ進むごとに、空気が重く、ねっとりと纏わりつく。

呼吸すら苦しくなるほど、異様な圧力が支配していた。


(……でも、行かなきゃ)


真生は、胸の奥で繰り返す。

あの時、Re:Routeで見た不気味な研究棟――

それを遥かに超える、底知れない悪意の源がここにあると、本能が警告していた。

光がほとんど届かないその空間は、かすかに明滅する警告灯の赤で染まっていた。まるで心臓の鼓動のように、一定のリズムで明滅する赤が、壁や天井に揺れる影を浮かび上がらせる。


そして、そこに――繭が、あった。


「……っ。」


言葉が、喉に張りついた。

壁一面に、そして天井からも、数えきれないほどの繭が吊るされていた。

それはすべて、人間の形をした繭。

薄く透ける灰白色の繊維で包まれ、中には眠るように丸まった人々の姿が見えた。

まるで子宮の中で成長を止めた胎児のように、静かに、無言で、生気だけが吸い出されていく。


「これが……。」


達臣が呆然と呟いた。

繭の一本一本に、チューブが接続されている。血管のように赤く光る管が、天井の装置へと伸び、どこかへと何かを送っていた。

音がする――ごぽ、ごぽと、何かが送られていく湿った音。


「全部……全部、人間……っ。」


真生の喉から、ひび割れたような声がこぼれた。

数十、数百……いや、それ以上かもしれない。

 その一つ一つが誰かの命で、その一つ一つに過去と、名前と、大切な人がいたのだと想像した瞬間、膝が震えそうになった。


「この中に、奏太がいるんだよな……。」


掠れる声で、真生は言った。


「彼だけは……特別な位置に保管されているはず。」


アイが無表情に答える。けれどその頬には、今にも涙に変わりそうな緊張がにじんでいた。


真生は一歩、また一歩と、繭の列の間を進む。

目を逸らすことはできなかった。どの繭にも、誰かの“面影”があった。

中には看護学校の制服を着た少女もいた。病院の職員だった誰かの顔が、曇った繊維越しに見えた。近所の子のリストバンドが、繭の中で青白く光っていた。

そのたびに、真生の胸は締めつけられた。

助けられなかった現実が、何度も突きつけられる。


そして――


「――見つけた……!」


真咲の声が震えた。

彼らの目の前に、巨大な塊が現れた。

真紅の繭。

半透明の膜に包まれ、脈打つように脈動している。

中には、うずくまる人影。


「……奏太……!」


真生は駆け寄った。繭に覆われたその中で、奏太は眠るように静かだった。

けれど、顔は確かに彼だった。細く整った眉、青白い肌、繭越しでもわかる細い喉の線。間違いなく、奏太だ。


真生が、無意識に駆け寄ろうとする。

だが――


「待て!!」


達臣が真生の肩を掴み、必死に引き止めた。


「繭自体が……生きてる!触ったら何が起きるかわかんねぇ!」


真生は、繭に手を伸ばしかけたまま、硬直する。

繭からは絶えず血の匂いと、得体の知れないエネルギーが漏れ出していた。


(奏太……。)



閉じ込められた幼馴染の姿は、ぼんやりとしか見えなかった。

だが確かにそこにいる――必死に呼吸し、助けを求めている。


「……これが、“1”の中枢。奏太は……養分にされてる。」


瑠宇が苦い顔で呟く。


「でも、まだ……生きてる。」


アイが一歩前に出た。

その小さな背中に、凛とした覚悟が宿っていた。


「助けられる。」


そう言った彼女の手から、ふわりと力があふれ出す。


次の瞬間、

アイの掌から、淡い光が溢れ出した。


空気が震えた。

繭の表面がビリビリと痙攣し、赤黒い膜に無数のひびが走る。


「……う、ああああッ……!!」


繭の奥で、奏太が苦しそうに呻く声がした。

真生は、思わず叫びそうになるのを必死に堪えた。

助けたい――でも、今は信じるしかない。

アイは瞳を閉じ、さらに深く能力を注ぎ込んでいく。


「目を覚ませ、奏太……!」


繭の中に向かって、静かに語りかける。

アイの能力は“干渉”だった。

繭に絡め取られた奏太の意識に直接触れ、凍りついた心を――

今、優しく、丁寧に、引き上げようとしている。

繭が断末魔のような震えを上げた。


「ぐ、ううううっ――!」


裂け目が広がる。

赤黒い粘液が噴き出し、激しい音と振動が辺りを支配する。

真咲が震える声で叫んだ。


「術式、反応加速!いま、供血逆流が最大値に達してる!チャンスよ!」


達臣も叫ぶ。


「押しきれ!いけッ、アイ!!」


瑠宇は剣を構えて周囲を警戒しながら、固唾を呑んで見守った。


アイは最後の力を込め、繭へ向かって手を伸ばす。


「――返して。」


その言葉と共に、

繭が悲鳴をあげながら、真っ二つに割れた。


――光がなかった。


音も、風も、時間もない。

まるで自分という存在そのものが、世界から切り離されたようだった。

何も見えず、何も感じず、それでも“意識”だけは確かにあった。

それが、余計に恐ろしかった。


「……ここは、どこ……?」


声は、出なかった。けれど、問いだけは胸の奥に浮かび上がる。

誰か、誰か……と、助けを呼ぼうとしたその時だった。


『孤独だったね、奏太』


低く、穏やかな声がした。

けれど、それは決して人間のものではなかった。優しさをなぞったような、作られた慈愛。

無機質な温度の中に、決して消えない冷たい支配の色が滲んでいた。


『両親を失ったあの日から、ずっと一人だった。誰も君を本気で理解してくれなかった。

優しさはいつも突然終わって、君は、置いていかれた。』


――やめろ。


思考の奥で、誰かが叫んだ。けれど、記憶は容赦なく流れ込んでくる。

小さな手で母の服の裾を掴んで泣いた日。

病室の灯り。沈黙する心電図の音。

知らない親戚に「もう大丈夫」と頭を撫でられて、心の中が真っ白になった日。


『大丈夫だよ、奏太。もう、何も感じなくていい。寂しさも、不安も、痛みも……“私”の中で溶けていく。すべてを、ひとつにすれば。』


その瞬間、奏太の足元に“世界”が広がった。

黒い水面に映った都市。無言で働き、整然と並ぶ人々。笑顔も涙もなかった。

そこに感情はない。ただ、機械のように、みな静かに“生きていた”。


『争いのない世界。嘘も、拒絶も、別れもない。 “一体”になれば、君はもう、何も選ばなくていい。』


選ばなくていい。

その言葉が、一瞬、甘く響いた。

もう誰かの死に怯えなくて済む。

もう、期待して裏切られることもない。

誰も消えない世界。自分を捨てる必要も、守る必要もない世界。

でも――


「……それは、もう生きてないのと同じだろ。」


呟くように、その声が返された。

奏太自身も驚いたほど、弱くて、それでも、決して消えない小さな声だった。


「俺は……バカみたいに、夜遅くまで笑った。真生と、他愛のない話でさ。くだらない冗談とか、コンビニのおにぎりの好みとか……そういうのが、生きてるってことだろ……。」


水面に、“笑っていた”真生の顔が浮かぶ。

「お前はこっちだろ」と、肩を貸してくれたあの温もり。

寂しさを見透かしたように、何も言わず、隣にいてくれた声。


「……あんな時間を、俺は確かに知ってる。覚えてる。消されてたまるか!」


黒い水面が、ひび割れた。

微かな衝撃が、全身を走った。

現実の世界で、誰かが、手を伸ばしたのだ。


『ならば、抗え。君自身の選択で』


「……ああ、抗うよ。何度でも」


奏太の中で、何かが爆ぜるように叫んだ。

闇が、崩れる。

繭の中で、閉じられていた瞼が、かすかに震えた。


――その瞬間。


眩しい光が射し込んだ。

重いまぶたの隙間から、誰かが呼ぶ声が聞こえた。

ぶちり、と嫌な音を立てて裂けた繭の中から、白く濡れた腕が、ゆっくりと外へと伸びる。


「……ぁ……。」


掴んだ。

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