第6話 バンパイヤハンター
彼女の感情は掴みにくい。けれど、自分を助けてくれたあの瞬間のことを思えば、信じるに足ると感じた。
そのとき―
「うおわっ!?うわ、来た!?やっぱこっち来たー!」
何かが物陰から転げ落ち、真生は思わず飛び退いた。
アイは一歩前に出ると、表情ひとつ変えずに手をかざす。空気が震えるような感覚が走った。
「ちょ、ちょっと待った待った待った!やめて!俺、敵じゃないから!」
飛び出してきたのは、メガネをかけた小柄な青年だった。フード付きのパーカーを着込み、肩からノート端末と工具をぶら下げている。見るからに内部の人間ではない。
「誰?」
アイがぴたりとその手を止め、冷たい視線で問いかける。
「た、達臣っ!ただの潜入者!施設の職員じゃない!」
「潜入者?職員じゃないのに何故ここにいるの?」
「いやあのね、実は俺のご先祖がバンパイアハンターで、“1”ってやつと戦ったらしいんだ。で、そいつが復活しそうって聞いて調べてたら、この施設が超ヤバいって分かって……って、信じてない顔だなぁ!」
「“1”?」
アイは何も答えず、じっと彼の動きを見ていた。
無言の圧が、達臣の額に冷や汗を浮かばせていた。
「お、落ち着いて!俺ほんとに怪しくないから!」
真生が一歩前に出た。
「……俺は真生。看護学生で、友達の奏太を助けるためにここで何が起きてるか知りたくて。で、彼女に助けられて。」
「私はアイ。……あなた、何故“1”のことを知ってるの?」
「……!」
達臣が目を丸くする。
「君も知ってるの!?やっぱマジだったのか……!この施設に吸血鬼がいるって! “血を喰らう王”が復活するとかなんとか!」
その言葉に、真生の眉が動いた。
「……今、なんて?」
「“血を喰らう王”! 吸血鬼の王様! オレ、調べたんだよ! “Re:Route”って会社、どう見ても裏がある! なんか人が失踪してるし、血液集めてるし……って、え、君たち、逃げてる人だよね? 味方でいいよね? ていうか……」
彼の目が、アイの顔に留まる。そして、目の色に気づいた瞬間——
「ぎゃあああああ! 赤い目! 出た! 異能力っぽいやつ出たーッ!!」
「落ち着いて。」
アイが低く言うと、達臣は一瞬で静まり返る。が、次の瞬間には興奮した様子で乗り出してきた。
「ってことは! やっぱり本物なんだ! バンパイヤいるんだ! うわぁあ、最高! ご先祖さまは正しかったんだ! で、“血を喰らう王”ってどこに!? いるの!? この施設に!? もしかして君たち、その情報を……」
真生が口を挟んだ。
「“血を喰らう王”って……さっきから、それって何? 誰なんだ?」
アイが静かに真生の方を向いた。
「“1”……それがさっき話した吸血鬼、彼の名よ。Re:Routeの全ての決定を握る存在。すべての源。」
真生は息を呑んだ。
これまで感じていた違和感、血液を大量に集める異様な企業、奏太の失踪。全てがひとつの言葉に収束していく。
「……俺、力になれると思う。監視カメラの死角とか、施設の古い配線図、全部調べてある。ドローンも1台あるし、出口までの道もわかる。俺と組まない?」
「証明できるの?」
アイがまだ鋭く問いかける。
達臣は即座に端末を操作し、空中にホログラムを表示させた。旧管理区画から上層への非常通路、その中にある監視網の穴が赤く表示されている。
「これが逃げ道。」
アイは数秒間見つめたあと、真生に視線を送る。
「真生、どうする?」
「……信じるしかないよ。だって他に、道はない。」
ようやく、アイの緊張が一瞬だけ緩んだ。
「いいわ。案内して。」
「やった、仲間ゲット!」
「うるさい。」
アイの即答に達臣は肩をすくめ、しかしどこか嬉しそうだった。
⸻
通路は、まるで巨大な獣の腹の中のように薄暗く、不気味な振動が床下から伝わっていた。警報が遠くで鳴っていて、空気がざわついていた。真生とアイ、それに仲間に加わった達臣は、息を殺して進んでいた。
「この先に非常口が……。」
達臣が端末を操作しながら呟いた次の瞬間だった。
「——揺れる!」
アイの鋭い声と同時に、床全体が大きく揺れた。金属の軋む音。天井のパネルがひとつ、鈍い音を立てて剥がれ落ちた。その先には、老朽化した通路がむき出しになっている。
真生がその場に足を踏み入れようとした瞬間、天井の支持梁が悲鳴のような音を上げた。
「——危ない、真生!」
だが、真生は気づくのが一瞬遅れた。天井が崩れる。鉄骨の塊が、彼の真上へと落下してくる。
そのときだった。
「どけッ!!」
突き飛ばされた。瞬間、真生の体が宙を舞い、通路の隅に叩きつけられた。息が詰まり、視界がぐるぐると回る。
そして、崩れた天井の瓦礫の中、かろうじて縁にしがみつく黒い影があった。
——達臣だ。
彼は片手で瓦礫にすがり、もう片手で自分の眼鏡を必死に押さえていた。
「っ、マジで、バグってるこの施設……!」
唇をかすかに歪めながら、達臣は冗談めかすように吐いた。
「……おい、バカ、なんで……!」
真生が声を上げた。
「そっちのほうが聞きてぇわ……。何で俺、お前突き飛ばした……?」
通路の床は崩壊寸前だった。コンクリートがずるずると崩れ、瓦礫が崖のように崩れていく。
アイが即座に動いた。崩れた梁を蹴って反動をつけ、達臣の腕を掴む。
「踏ん張って、手を伸ばして!」
「オーケーオーケー、落ち着いて……!いや落ち着いてる場合じゃねえ!」
手がかすかに触れ合い、真生もすぐに加勢して二人がかりで達臣の体を引き上げた。瓦礫が背後で崩れ落ちる音。ほんの一秒遅れていたら、彼の身体は深い裂け目に飲まれていた。
床に倒れ込んだ達臣は、咳き込みながらも、しばらく何も言わなかった。
「……お前、自分の命、軽すぎるだろ。」
真生が低く呟く。
達臣は笑った。少し震えるような、けれど確かな笑みだった。
「命張るの、人生初だったわ。心臓、バックバク……マジで泣きそう。……でも。」
彼は、目元の埃をぬぐいながら、静かに言った。
「突き飛ばさなきゃ、後悔すると思ったんだよな……。理由なんて、それで十分じゃね?」
その言葉に、真生は返す言葉を失った。ただ、一つだけ、強く思った。
——この人は、信じられる。
言葉よりも先に、それが胸に根を下ろした。
そして三人は、監視の目をすり抜けながら、静かに暗がりの奥へと歩き出した。
警報が鳴りやむことはなかった。
だが、それが逆に恐ろしい静寂をもたらしていた。
アイは何も言わず、達臣をじっと見つめていた。
静かだった。
周囲の瓦礫の音も、警報も、一瞬だけ遠ざかっていくように感じた。
アイは何も言わない。ただ、見ていた。
それは機械的な観察ではなかった。
彼女の中で、確かに何かが軋みを上げて動き出していた。
達臣も気づいたように、曖昧な笑みを浮かべた。
「……何? そんな目で見ないでくれよ。こっちは心臓バクバクなんだからさ……。」
返事はない。
それでも、アイのまなざしはゆっくりと変わっていった。
最初は警戒、次に驚き、そして——わずかに、安堵。
「……あなたは、利害を超えて動ける人なのね。」
やがて、彼女はそう呟いた。
それは、初めて“人として”誰かを認めた言葉だった。
重い過去を背負い、人間の感情から距離を取っていたアイにとって、それは簡単な言葉ではない。
彼女は小さくうなずくと、そっと視線をそらし、背を向けた。
けれどその後ろ姿には、確かに今までになかった“ぬくもり”のようなものがあった。
真生はその様子を見ながら、静かに息をついた。
「……ありがとう、達臣。」
達臣は照れたように肩をすくめながら、アイの方を見やった。
「ま、仲間ってことでいいんだよな?」
無言のまま、アイの肩がほんのわずかに上下する。
それは、彼女なりの「はい」だった。
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