Re:Light
天海 夢
第1話 失われた友と血の契約
春の終わり。
実習棟の廊下には、無機質な消毒薬の匂いが漂っていた。
看護学生の真生(まお)は、その日が来るのをずっと緊張して待っていた。
初めての採血実習。これまで学んできた知識や手技を、初めて”人の体”で試す日。
「上手く出来るかな……。」
手袋越しでも感じる自分の手の汗が、余計に不安を煽った。
「そんなに構えなくても大丈夫だよ、真生。」
隣から、柔らかな声がかけられる。
声の主は奏太(そうた)。同じクラスで、真生の幼なじみ。
常に誰かを気遣う優しさと、緊張している相手をそっと包み込むような雰囲気がある子だった。
「俺から先にやっていい? 真生の顔、めっちゃこわばってる。」
「……ごめん。そんなに顔ひどい?」
「うん、ちょっとだけ。かわいいけどね。」
冗談めかした言い方に、真生は苦笑いで返す。
「針の角度は15~30度が基本だよ。ゆっくり刺して、血管が逃げないように……って、先生が言ってたよね。」
「言ってた。けど、やっぱり怖いな……生きてる人に針を刺すって。」
「それをできるのが、看護師。俺たち、そういう道に来ちゃったんだよ。」
それは重い言葉だったけれど、彼の声には不思議と安らぎがあった。
奏太は、家庭の事情で高校の途中から寮生活をしていた。
早くに両親を亡くし、遠い親戚に預けられたあと、いつしか“自分で生きていく道”を選んでいた。
看護師を目指すようになったのも、きっと自分のように立場が弱い人たちを支えたいという思いがあったからだろう。
そんな奏太を見て真生も同じ道を志した。
初めての採血は、ぎこちないながらもなんとか成功した。
⸻
実習棟の裏手。
ふたりは偶然、妙な光景に出くわした。
白くて無機質なバン。
企業ロゴも何もない車体。
けれどその背後には、どこか病院関係者らしき人影と、ストレッチャーのような機材。
「何あれ……業者?でも、見たことないタイプだな。あそこ、何か積んでた?」
「血液……かも。赤いバッグ、見えた気がする。」
その言葉に、真生は思わず喉を鳴らした。
何か、普通じゃない。病院関係なら、もっと堂々としていてもいいはずだ。
そのとき、バンの扉が閉まり、何かの文字が目に入った。
『Re:Route』
白地に赤で印字されたその言葉は、記憶に引っかかるような違和感を残した。
バンはすぐに発進し、音もなくその場を離れていった。
「まあ、気にしすぎかもだけど……なんか、変だったよな。」
「うん……。」
採血実習が終わった翌週、真生と奏太は病院裏の通りで、再び“白いバン”を見かけた。
「……まただ。」
真生の声に、隣を歩いていた奏太がわずかに目を細める。
車体の側面にあのロゴ――『Re:Route』。
曇りガラスの向こうは見えず、車内には誰もいないように見えた。
だが、バンはエンジンをかけたまま微かに震えていた。どこか不自然な静けさが、そこにあった。
「昨日も見たよ、あの車。」
奏太がぽつりと呟いた。
「夜、裏口の搬入口に停まってた。動く気配もなくてさ……何か冷たい音がしてたんだ。」
「冷たい音?」
「うん……冷蔵庫とか、冷凍庫みたいな……。」
真生の胸に、小さな棘のような違和感が突き刺さった。
言葉にはできないが、何かがずれている――そんな感覚だった。
⸻
その数日後。
下校中の夕暮れ、学校の門を出た2人は、道端に再びその車を見つけた。
「また……?」
真生が驚くと、奏太の表情が強張る。
バンは学校の外周を囲むフェンスのそばに停車していた。
人通りの少ない時間帯。運転席には誰もいない。
「真生、行こう。関わらない方がいい。」
少し硬い声で奏太が言った。
「でも、なんでこんなとこに……?」
奏太は答えなかった。
その目はバンを見ているようで、どこか別のものを見ているようだった。
(……何かを、知ってる?)
真生は疑問を抱きながらも、それ以上追及しなかった。
けれど――それが最後だった。
⸻
翌朝、奏太は無断欠席。
何度連絡しても応答はなく、真生は嫌な予感がした。
慌てて寮へ向かい、奏太の部屋の前に立った時、何故か足がすくんだ。
それでも鍵に手を伸ばす。
──開いている。
ぎい、と重たい音を立てて扉が開いた。
中は静まり返り、まるで時間ごと止まってしまったようだった。
真生は無我夢中で家の中を探した。
靴も、上着も、いつもの場所にある。
生活の痕跡は残っているのに奏太だけが、どこにもいない。
焦るな、冷静に。
そう自分に言い聞かせながらも、手は勝手に机の引き出しを探っていた。
奥に指先が触れた。硬い感触。
引き出すと、灰色の厚紙の封筒。
そこに刻まれた赤いロゴ──『Re:Route』。
実習棟の裏手で目撃した怪しい白いバンに印字されていたものと同じだった。
思わず手が震えた。
封はすでに切られている。
中には簡素な案内状と、無機質なQRコードが印字された紙が入っていた。
真生は書類に目を通す。
『貴殿の血液適合率に関する通知』
『登録に関しては任意ですが、今後の進路に有益な情報が含まれています』
『搬入スケジュール』
『供血対象リスト』
──なんだこれ。
理解が追いつかない。けれど、悪い予感だけがぐんぐん膨れ上がっていく。
リストの端に、【No.12 】と記載があった。
──あの怪しい団体の元へ奏太が向かったとしたら。
息が詰まった。頭の中が真っ白になりそうだった。いや、落ち着け。これだけじゃ、何も断言できない。思い込みかもしれない。
もし間違っていたら勝手に騒ぎ立てて、周りに迷惑をかけるだけだ。
怖気づく心が、何度も真生を引き止めた。
それでも、思い出す。
実習帰りに見た、不気味な『Re:Route』の白いバン。
──偶然じゃない。
そう思いたいだけだろうか。自分に問いかけても、答えは返ってこない。
確信なんてない。ただ、胸の奥で、何かが叫んでいる。
このままじゃ、取り返しがつかなくなる気がする。
学校に報告し、すぐに警察にも連絡されたが、彼らの反応はどこか他人事のようだった。
「成人してますし、家出の可能性もありますね。」
「事件性があるかどうかは、今のところ判断しかねます。」
まるで、ひとりの人間が突然消えたことを“よくあること”として処理しようとするような、冷たい対応。
嫌な予感が、背中を這い上がる。
真生はぐっと奥歯を噛み締め、震える手で封筒を握り締め帰宅した。
胸のざわめきが収まらない。奏太が行方不明になってから時間が止まったような感覚が続いている。部屋の灯りをつけるのももどかしく、彼はノートパソコンを立ち上げると、検索エンジンに指を伸ばした。
『Re:Route』
検索結果の上位には、Re:Routeの公式サイトが表示されていた。
Re:Routeは、慢性的な医療用血液不足に対する革新的なソリューションを提供する、次世代型バイオ支援企業です。生活支援と血液提供のマッチングにより、持続可能な社会の実現を目指します。
響きは立派だ。ぱっと見は清潔感があり、公共医療や福祉に関係していそうな印象だったが、その中身は曖昧で実態のわかる情報は極端に少ない。
どこか「過剰に作られた安心感」が真生の記憶に引っかかっていた。
トップページの動画には、笑顔の若者たちが施設内で働く様子が映されていたが、表情にはどこか演技じみた「無理な明るさ」があった。
真生はさらに深掘りするように、SNSや匿名掲示板で「Re:Route やばい」「Re:Route 裏」「Re:Route 失踪」などのワードを試す。
──すると、急に空気が変わった。
・「友達がRe:Routeに行ってから音信不通」
・「一回入ると戻ってこないって噂、ガチだった」
・「血液の『質』を見て選別してるらしい」
・「“供給エリア”って呼ばれる場所がある。まじで行くな」
・「外観は普通のクリニックみたいだけど、中は……」
掲示板には信憑性の低い書き込みも混じっていたが、それ以上に「妙にリアルな恐怖」が漂っていた。
中でも真生の目を奪ったのは、こんな一文だった。
「今でも覚えてる。無機質な廊下と、冷蔵庫みたいな部屋。生きたまま、体温を測られる感覚」
真生の指が止まった。手のひらにじっとりと汗が滲む。
(奏太が、こんな場所に……?)
どれだけスクロールしても、公式には届かない声が画面の奥でうごめいている。
真生はディスプレイの光に照らされながら、無意識に唇を噛んだ。
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