経過録 三日目

 頭がクラクラする。最悪の目覚めだ。ビデオに情け無い俺の姿が映っている。昨夜の事はあまりハッキリと覚えていない。あのイカれたギンピィのやつが、やたらめったら銃をぶっ放した所までは思い出せるんだがな。頭には包帯が巻かれている。チャリがやったのか? 案外器用な奴だな。


「アル! 気がついたんだね!」


眠たそうなチャリの顔が、俺を見るなりサンタのプレゼントを見つけた子供のように明るくなる。その横にはデニムジャケット姿の女がいた。アリス・キニアン。ジェマーの子飼いの性悪女だ。ラフな格好で誤魔化してやがるが、奴と同じくらい消毒液の匂いがする。


「よう、キニアン。ジェマーに内緒でドライブか?」


「あら、相変わらず素直じゃないわね。私はあなた達を助けに来たのよ」


キニアンは車のキーをクルクル回す。研究員のくせに、クマのキーホルダーなんか付けやがって。


「私としては研究所に戻って欲しいんだけどね。あなた達も目的があって脱走したんでしょ」


そう言ってキニアンはタウンマップを広げる。キニアンの赤いネイルの先には、アップルチークタウンがあった。......チャリのヤツ、全部バラしたな。あいつには全人類が善人に見えるらしい。


「乗りなさい。バイクより車の方がいいでしょ」 


キニアンは運転席に乗り込み、反対側のドアを開ける。すぐに乗ろうとするチャリを、俺は引き留めた。


「あの女はジェマーの手下だぞ。信用できねぇ」


「大丈夫だよ。あの人、悪い人じゃなさそうだから」


チャリの素っ頓狂な返答に、俺は呆れる。どうするんだ。俺達が乗ろうとした瞬間、あの女は俺達をトランクの中に押し込めるかもしれないぞ。


「それに、もしぼく達をひどい目に合わせるなら、ぼく達に会った時にできたはずだよ」


疑いの目を向けることもなく、チャリは俺の手を取る。がっしりとした手は大きく、俺の手を包み込んだ。負けだ。チャリ、お前は言いくるめの天才だよ。こんな真っ直ぐな目をした奴の期待を、誰が裏切れるかよ。俺は頷き、チャリと一緒に車に乗り込んだ。


「答えは決まったようね。じゃあ、行くわよ」


俺は後部座席、チャリは助手席に乗る。車が動き始めると、チャリは窓から流れていく景色を見た。俺は後部座席で寝転がる。よくあんな事できるぜ。俺が車に乗りたくなかった理由はもう一つある。俺は車酔いがひどいんだ。


 真昼の日差しが窓から入り込み、俺はタウンマップを顔に被せる。チャリも窓を全開にし、顔を出す。街外れに出て、だいぶ人だかりも減ってきた。


「キニアンさん、ずっと白い家にいたの?」


「そんな事ないわよ。私はグリーンレイクって言う街で生まれたの。高校を卒業して、あの白い家に来たのよ」


あの女の言っていることは全て嘘に聞こえる。身の上話なんて興味ないが、ラジオの代わりに聞いておくか。


「生まれた街に帰りたくないの?」


「そうね、もう何年も帰ってないからね」


キニアンは物思いに耽る。おいおい、脇見運転で事故だけは勘弁だ。


「ぼく、キニアンさんが生まれた街も見てみたい」


「ふふ、今度のドライブでね」


興味津々なチャリをキニアンは軽くあしらう。フラれたな。しかしチャリはどうしてあの女に入れ込むんだ。人間っていうのはよく分からないな。


「ねぇ、キニアンさんが知っているぼくって、どんな人だったの?」


「今と変わらないわよ。素直で無邪気な人だったわ」


キニアンはチャリに笑いかける。つくづく怖い女だ。ああやって笑顔のまま、俺達が頭を弄られるのを見てきたんだ。チャリの今を作り出したのは、お前ら研究員のくせに。


「ぼく、もっと昔のことを思い出したいんだ。アルのこと、キニアンさんのこと、ぼく自身のこと。もっと知りたい」


「あなたのおでこの中に、昔の思い出は入っているわ。焦らなくても、いつか全部思い出せるわよ」

 

キニアンはチャリのデコを軽く小突く。今度は片手運転かよ。チャリはデコを押さえて首を傾げる。俺も白い家に来る前のチャリは知らない。俺が気づいた時にはこいつがいた。キニアンはチャリの観察係だ。頭を弄られる前のチャリも、今のチャリも知っている。キニアンがチャリをどう見ているかなんて知らないが、俺にはこれから解剖するモルモットを見ているようにしか見えない。


 街外れのファストフード店に差し掛かると、キニアンは店の窓の横に車を停める。


「旅は長いわ。ちょっとお昼にしましょう」


キニアンは掲示板のメニューに目をやる。チャリも興味津々でメニューを覗き込んだ。俺も、おそらくチャリも、ファストフードなんか食べたことない。どれも変な色で、身体に悪そうだ。


「よぅ、お客さん。何がお望みけぇ?」


金髪の店員が窓から顔を出す。訛りが酷く、軽妙な口調だ。店員は不自然な程明るい笑顔を浮かべながら、そばかすの浮き出た頬を掻く。


「私はレモネード。砂糖多めでお願い」


キニアンがしなやかな指先でメニューを撫でる。金髪の店員は、鼻の下を伸ばしながら付箋を千切った。


「ぼくは、胡桃のベーグルがいい!」


メニューを読み上げる姿に、俺とキニアンは目を丸くする。今まで、チャリがメニューを読めたことはない。チャリはいつも写真を見て、"これが欲しい!"としか言わなかった。キニアンの反応を見るに、キニアンも見たことがないみたいだ。


「俺はチーズドッグをくれ」


車窓を少し開けて注文すると、店員は片方の眉毛を上げる。くしゃくしゃな髪を掻いて、店員は車の中を覗き込む。その瞬間、キニアンが後部座席の窓を閉めた。


「はい、お代よ。お釣りはいらないわ」


キニアンは突きつけるようにお札を渡す。店員は首を傾げながらも、店の奥に行く。


「チャリ。あなた、字が読めたの?」


「え? う、うん。なんか頭の中に、こう読むんだって浮かんだんだ」


キニアンに詰められて、たじろぐチャリ。どうやら無意識に読めていたみたいだな。


「読み方を思い出してきているのよ。すごいわ、チャリ。あなたの脳は活性化してきているのよ」


キニアンはチャリの肩を掴む。チャリは何だか分かっていなさそうだが、キニアンにつられて微笑んだ。興奮した時に見せるあの女の顔。ジェマーの奴にそっくりだ。俺がパズルを解いた時、アイツも今のキニアンと同じ顔をしていた。自分のおもちゃが思い通りに動いてくれた時の目。あの女も根っこは研究員なんだ。


「お待たせさぁしたぁ。ご注文のお品もんでぇす」


店員の声に、キニアンはすぐさま注文品を受け取る。アクセルを勢いよくふかし、店を出た。バックミラーから後ろを見ると、口をポカンと開けた店員が、注文品を持ったままの手で固まっていた。あの店員の話のネタはしばらく尽きないだろうな。

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