見ず際の世界
小辞ゆき
第一見
目の前を快速電車が走り抜ける。
浜名の前には、既に何人もの人、人、人がいる。もう少し都心に出れば、ホームドアが設置された駅もあるが、この最寄駅にはまだ何も無い。転落防止用の点字ブロック、黄色い線の一番前ではないので、電車の風圧にうっかり吸い込まれることはない。それでも、電車が過ぎれば轟音と突風が体と髪の毛を不安げにゆらしていく。
何かを見たいわけでもない。SNSが表示された画面をスワイプしながら、フォローしているアカウントの最新情報を流し見する。頭には何一つ残らない。ただ、何かお得な情報に乗り遅れるんじゃないかという気持ちと、暇つぶしを兼ねた時間を消費するだけの作業。
憂鬱だ。
月曜日から火曜日、火曜日から水曜日、水曜日から木曜日、木曜日から金曜日。土曜と日曜日が休みの仕事だけど、別にその二日で疲労が消えるわけじゃない。日に日に会社に赴く足取りは重く、モチベーションは下がって行く。
だって、労働は金のためにしてるだけだろ。
浜名は週も半ばの水曜日に、ぼんやりそう思った。
新卒入社した会社で、気がつけば八年が経っている。同期は別部署に二人いるだけで、もう会話も仕事終わりの飲みも、何もない。
入社したころは、同期社員が十五人ほどいた。「〇年卒東京・大阪同期組」というグループLINEは、毎日誰かしらが飲み会の写真をアップして、スタンプを連投していた。グループLINEのアルバムを覗けば、若い頃の自分と同期たちが居酒屋で笑っている。変な色のサングラスをかけていたり、ビール片手に頬を染め肩を寄せており、まさに若さの象徴みたいな画像であふれている。
そんなグループLINEも気がつけば投稿数が減り、たまに通知がきたと思い覗けば「この度、三月末で退職することになりました」という挨拶文ばかりになった。そのうち、別れの挨拶もなく「Toshikiがグループを退会しました」「佐田 晴美がグループを退会しました」というように、退職したのか、ただ単にグループLINEを退会したのか分からないような通知が続いている。
浜名は、そんな稼働しなくなったグループLINEをたまに覗き、何かを投稿するわけでもない。新しい退会者がいないことを確認できると、なぜかほっとした。
見なければいいのに。
稼働していないグループLINEなんぞ、自分から退会してやればいいのに。なぜか浜名はそれが出来ずにいた。個別にフレンドになっていない同期のLINEアイコンの写真が変わっていれば、クリックしてアップで写真をチェックする。アイコンから、それとなく伝わる「しあわせ」や「進展」を感じると、胃のあたりがギリっと軋む。
今の仕事に情熱があるわけではない。
それでいいだろ、と思う反面、僕の人生はこんなものかという憤りも感じる。
浜名は、たぶん、この「場所」に留まり続けるのだろうと、思った。知人たちが新しい環境に移っていく姿をみるたびに、置いていかれるような寂しさを感じるが、それでもなお留まり続けるのだろう。というより、ほぼ、この地面に根がはって腐ってしまってグジュグジュになって、動きたくない感覚に近いのかもしれない。
去っていく人々にエールを送りながら、自分はというと、そこに続こうという前向きな気持ちは薄い。なんとなく自分だけは、このままでも大丈夫かもしれないという根拠のない慰めを抱いて、また、置いていかれたという気持ちをじっくりあたためて食べてしまうのだった。
そうこうしているうちに、予定通り乗車する電車がやってくる。ぞろぞろと人が無言で降りていくのを横目に、少しでもより良い空間に行きたい人がフライング気味で電車に乗り込んでいく。
もっと奥に詰めろよ、と思いながら浜名は両肩に背負ったリュックを手前に抱え、スマートフォンをポケットに入れる。満員電車でスマートフォンを見る人は何人もいるが、浜名はそれがあまり好きではなかった。マナーというより、これだけ人が近いのだ。誰かしらに自分のスマートフォンを覗きこまれるかもしないという距離感が落ち着かない。
周りを見れば誰もがスマートフォンに見入っている。ゲーム、SNS、情報サイト、掲示板、メール、漫画、動画、それぞれが小さな画面の世界に浸ってる。いや、逃げているのか。まあ、こんな密集した場所じゃそうなるよな、と共感しながら、浜名はイヤホンから流れる音楽の世界へ逃げることにした。目を瞑り、できるだけ視界から人を追いやり、電車の揺れに身を任せる。
イヤホンはできるだけ遮音性に優れたものを使いたい。周囲の人に自分が聞いている音楽をシャカシャカという響きから特定されるのも嫌だったし、周りの音や空間をなるべく遮断したかった。そうすれば、いつでも、どこでも、自分の世界に逃げることができる。
浜名は時折薄目を開け、停車している駅名を確認する。もちろん、自分が降りる駅を乗り過ごさないためだ。遮音性に優れたイヤホンの欠点は唯一そこだった。目を開けて、ちょうど駅名が見えればいいが、通勤ラッシュの時間だと人がごった返していて駅名が見えないときもある。次の降車駅は、車内の表示板にも映し出されるが、満員電車では必ずしも表示板が見える位置に着けるわけではない。
なので、降車駅から三つ前の駅。それぐらいから、浜名はいつも目を開けておくことにしている。そうすることで、ひとまず降りるべき駅を乗り過ごしたことはない。
(そろそろだな……)
いつもどおり、降車駅から三つ前の駅を確認し、目を開ける。相変わらず視界は人の背中ばかりだったが、運よく近くの数人が降りて行き、窓側に立つことができた。つり革を持ち、肩からズレ落ちそうになるビジネスリュックをかけなおす。目の前に座る人は皆、目を瞑り自分の世界に引きこもっている。こんなに人が密集しているのに、誰も話さず、目も合わない。
視界を窓に向けると、古びたマンションや錆びた看板、薄汚れたビルが並んでいる風景が目にうつる。車窓から見る外の風景は、線路に合わせて上がったり、下がったりをゆるやかに繰り返す。
家、家、駐車場、家、ビル、マンション、家、駐車場、たまに生い茂る木々、公園。ひとつひとつは、一瞬で過ぎるため、ぼんやりとした輪郭だけを認識する。目に映る対象物が大きい建物や土地は視界に留まる時間が長く、その大きさとともに多少細かく様子を見ることができた。
いつも見かける大きい公園は、朝の時間だからか遊んでいる子どもたちは一人もおらず、古びたビルには看板利用の宣伝告知が貼りだされている。線路沿いなので、多くの人が目にするという営業文句が書かれているが、今の時代、電車内で窓の外を見る人は、どれくらいいるのだろうか。
行き交う人は、大人か子どもかぐらいの認識で、こんな朝早くからみんな真面目に生きてるんだなあと感心する。
気がづけば、降車駅まであと一駅。
そろそろ労働者らしい気持ちに切り替えていくか、と思い、出社した後に処理する仕事を頭の中で整理する。まずは昨日更新された日報のコメントをチェックしてから、未確認メールのチェック、それから外回り時間までに業務の人に受注書の期限を確認しなければ。
そんな仕事のルーティンを浮かべているときに、ふとビルとビルの隙間に設置されている駐車場が目についた。駐車場の大きさは、車が三十台ほど停められそうなぐらいで、よくある黄色い看板の民間駐車場だった。
なぜ、その駐車場が目についたのか。
一瞬、自分でもわからなかったが、駐車場のど真ん中に人が立っているのが見えたからだと気付いた。気付いたが、次の瞬間には当然、駐車場は視界から消えていた。それなのに、浜名はその駐車場に立っている人が脳裏から焼き付いて離れなかった。
目が合った。
と思うと同時に、それはあり得ないだろうと反射的に否定する。
あんな遠く離れた場所で、しかもこちらは電車に乗っている。気のせいだ、と思うが脳裏には「男」の背格好が焼き付いている。
男、そう、確かに男だ、と確信する。黒い髪、少しパーマがかったウェーブ。首と腕にはジャラジャラとした飾りをかけていた。飾りは統一された形ではなく、丸い形や四角、シルバーや木目調のパーツが不揃いな並びで作られていた。服装は、シンプルな黒いTシャツに朽葉色のサムエルパンツを履いていて、足元にはもう一人、人が倒れていた。そう、人が……。
そこまで考えて、思考を止める。
なぜそこまで見えたのか、自分でもわからなかった。
じわりと額に汗がにじむ。
脳裏に焼き付いた男は、見たこともない人――なはずなのに笑顔が浮かぶ。
その男は、確かに浜名の方を見て笑っていた。
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