あなたに、もう一度恋をする
ikki
第1話 悲痛な告白
「ねえねえ、見て!天宮くんだよ!」
親友の田中 美咲(たなか みさき)が、白石 日向(しらいし ひなた)の腕をぐいっと引っ張った。
二人が歩いているのは、学校から駅へと続くゆるやかな下り坂の通学路。アスファルトの舗道は、一日の熱をわずかに残し、足元からじんわりとぬくもりを伝えてくる。道路の両脇には古びたフェンスと電柱が立ち並び、カラフルなランドセルの小学生や、自転車を押して帰る高校生たちがすれ違っていく。
夕暮れ時の空は茜色に染まり、電線の影が細長く伸びていた。蝉の声も少し弱まり、代わりに草むらの奥から秋の虫たちの音色が聞こえてくる。
そんな風景の中、美咲が指さした先――学校近くのコンビニ前の歩道で、天宮 陸(あまみや りく)が女子たちに囲まれていた。制服のネクタイをゆるめ、片手に教科書の入ったバッグを下げた彼は、ひときわ目を引く存在だった。
しかしその表情には、どこか冷めたような影が差している。笑いかけられても微動だにせず、ただ前方の遠くをぼんやりと見つめていた。
「せっかくだから近づこうよ!」
美咲が日向の背中を軽く押す。
「で、でも…!」
思わず声が上ずる。日向は自分の胸の高鳴りを感じた。確かに天宮陸のことは前から気になっていた。学校一のイケメンで、有名な俳優の両親を両親に持つ彼を知らない生徒は学校にはいない。でも、あのファン達の中に割って入るなんて…。
「行っちゃいなよ!日向!チャンスだよ!」美咲にもう一度背中を押され、日向は小さな一歩を踏み出した。その時だった。
「あら…」
老婦人の声が聞こえた。日向が視線を移すと、道の真ん中で転んでしまったおばあちゃんが見えた。杖が転がり、手提げ袋の中身が散らばっている。周りの人たちは気づいているのに、誰も立ち止まらない。
日向は躊躇なく、おばあちゃんの方へと走った。
「おばあちゃん、大丈夫⁉︎」
地面にうずくまる老女は、足を押さえて顔をしかめていた。転んだ拍子に足をひねってしまったのかもしれない。
「だ、大丈夫よ……」
日向はおばあちゃんに手を差し伸べた。小柄な日向でも、おばあちゃんを支えるには十分だった。
「ありがとう、助かるよ」おばあちゃんは優しい笑顔で日向を見上げた。
「すみませんね〜私そそっかしくって…」
日向は散らばった荷物を拾い集めながら首を横に振った。「そんなことないですよ。本当に大丈夫ですか?どこか痛くないですか?」
「大丈夫ですよ…ありがとね〜手伝わせてしまって〜」おばあちゃんは笑ったが、膝をさすっている。
その光景を、少し離れたところから天宮陸は表情を曇らせ遠くから様子を見守っていた。陸の表情には、普段見せない心配の色が浮かんでいた。
日向は気が付かないまま、おばあちゃんの荷物を拾い終え「大丈夫でしたか?お家まで送りましょうか?」と優しく尋ねた。
「ありがとね〜お礼もしたいし送ってもらっちゃおうかしら…オホホ…」おばあちゃんは笑顔で答えた。
「おっお礼なんて頂けないですよ!」
「いいから、いいから」とおばあちゃんは、日向の手を引っ張って家に向かう。
「えっ?えっ?」
「ほんとにいいんですか?おばあちゃん…」
「いいのよ〜」
「おばあちゃん美咲ー!ごめーん!ちょっと行ってくるから一人で帰ってー!」
おばあちゃんに拉致られて行く日向は、美咲に一人で帰るように伝えた。
「まーた面倒な事に首突っ込むんだから…もうっ!」と美咲は、少し呆れている。
遠目から見ていた陸は、「フッ」笑いながら女子生徒と共に路地に消えて行ったのだった。
おばあちゃんの家は学校から少し離れた静かな住宅街にあった。小さな和風の家で、庭には手入れの行き届いた盆栽が並んでいた。
「お邪魔します」日向は緊張しながら玄関をくぐった。
「どうぞ〜どうぞ〜」おばあちゃんは嬉しそうに日向を居間へと案内した。
「さあ、座って。お茶を入れるね」
「お邪魔しまーす…」
日向は、恐る恐る居間に座り周りを見渡した。
居間は小さいながらも、どこか温かみがあった。古い家具に囲まれつつも、清潔感があって居心地が良い。壁には写真がいくつか飾られていた、今より少し若い頃のおばあちゃんと思われる女性、そして小さな男の子…
「はい、どうぞ」おばあちゃんが手作りの和菓子とお茶を運んできた。
「どうぞ〜食べてみて、おはぎは、好きかしら〜」
「わあ、美味しそー!私おはぎ好きなんですぅはぁぁ」日向は目を輝かせながらおはぎの味を想像して唾をゴクリと飲み込んだ。一口食べると、優しい甘さが口の中に広がった。
「美味ひぃです!」日向の頬は、まるでどんぐりを溜め込んだ様にパンパンになっていた。
おばあちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
「あら、いい食べっぷりね、ふふっ」
「ごめんなさい!つい…おはぎが美味しすぎて…」
「いいんですよ〜そんなに美味しいそうに食べてくれるんですもの作った甲斐がありましたよ、ふふっ」
「へへっ」日向は、照れを隠す様に誤魔化した。
「孫もそんな風に食べてくれるんですよ〜」おばあちゃんはお茶を啜りながら言った。
「あの子ですか?」日向は、写真を指さしてそう言った。
「そう、そう、この子が私の孫なの〜いつも私の様子見に来てくれる優しい子なのよ〜」
「あっかわいいー学校とかですごいモテモテなんじゃないですか?」
「そうらしいのよ〜たまに町で見ると女の子達に囲まれてるの〜」
日向は、小学生が囲まれてる映像が脳内で再生されていた。すごい大変そう…心の中でそう呟いていた。
「モテるのは、いいんだけどね〜心優しい子と付き合ってもらいたいんだけどね…」
「そうですよね…」とお茶を飲みながらそう言った。
「あっ…あなた!うちの孫と付き合ってくれないかしら〜?」
「ぶぅぅー」と日向は、勢いよくお茶を吹き出した。
「な…何言ってるんですか⁉︎私には、若すぎますよ!」
「ん?ふふっそう丁度いいと思うんだけど…」
「丁度いい?ん?」
時間が経つのも忘れるほど、おばあちゃんの話は尽きなかった。孫の好きな食べ物や、昔の思い出話。日向は全てを興味深く聞いていた。いつの間にか外は暗くなり、時計を見ると六時を回っていた。
「あ、こんな時間…!」日向は慌てて立ち上がった。
「もう帰らないと」
「そうね、暗くなっちゃったわね」おばあちゃんは名残惜しそうに言った。
「また来てくれる?今度は孫が居る時にでも」
「はい、ぜひ」日向は心からそう思った。
玄関の扉を開けると、柔らかな夜風が頬を撫でた。
空はすっかり藍色に染まり、沈みきった太陽の名残が、わずかに地平線を朱に滲ませている。
街灯がぼんやりと灯りはじめ、通りには、昼間の喧騒を忘れた静寂が降りていた。
「やばっ早く帰んないとお母さんに怒られる〜」
「お邪魔しましたー!」日向は小さく頭を下げた。
「は〜いまた来てね〜」
ちょうどおばあちゃんの家に帰ってきた陸は、昼間の女子生徒――日向が家から出てくるのを目にしたが、そのまま何も言わず家に入った。
日向の携帯が震えた。美咲からのLIMEだった。
「日向、あの後どうだったの?」
日向は歩きながら返信した。
「今帰ってる途中だから帰ったら話すね」
「天宮くん…」日向はぼんやりと考えていた。
「日向?」
「ひーなた?」
「日向!」
「日向」
日向は、妄想スイッチが入ってしまっていた。夜の帰り道、街灯の下を歩きながら、ひとりでに口元が緩む。
「そんなに名前を呼ばれたら私…あーんもうおかしくなっちゃう」日向は、頬に手を置き頭を激しく左右に振っていた。
そんなことを考えているうちに、大きな交差点に差し掛かった。いつもの横断歩道。信号は青に変わったばかりだった。
日向は前を見て、横断歩道を渡り始めた。ちょうど半分ほど渡ったところで、右側から異様な音が聞こえた。
タイヤの空転する音。キキィッと、アスファルトを引っかくような鋭い悲鳴が、静まり返った住宅街に響く。
続けて、エンジンの咆哮。唸るような重低音が、彼女の鼓膜を震わせた。
振り向いた日向の視界に飛び込んできたのは、曲がり角を猛スピードで曲がってくる大型トラックだった。
時間が止まったように感じた。
「え…?」
日向の頭の中で警報が鳴り響いた。動かなければ。逃げなければ。でも足が動かない。
トラックのドライバーが必死でブレーキを踏む音。スキールという金属音。そして—
衝撃が日向に襲い掛かった。
一瞬、激しい痛みが全身を走った。そして、不思議なほどの静けさ。
日向の視界は白く、まぶしい光に包まれていった。
最後に日向の頭に浮かんだのは、陸の顔だった。
「カッコイイなぁ…」
そして、意識が闇に沈んでいったのだった。
「……痛っ」
鈍い痛みが頭に広がった瞬間、日向の意識が戻った。気がつくと、目の前には朝の光に照らされた大きな交差点が広がっている。まぶしい光が目にしみて、思わず顔をしかめた。
「ここ、どこ……? ていうか……私、誰……?」
記憶が欠けていた。自分が誰なのかも思い出せない。ただひとつ――なぜか、「学校に行かなきゃ」という強い思いだけが、頭の奥で何度も繰り返されていた。
「学校行かなきゃ…」
日向は、トボトボと歩いていた。理由はわからない。ただ身体が覚えていた道を、ふらふらと、導かれるように進んでいた。
朝の陽が、ゆっくりと河面に降り注ぐ。
水のさざ波に光が踊り、金色のきらめきが岸辺を揺らした。河川敷に差しかかると、風に髪を揺らす男子生徒の姿が視界に入った。
不思議だった。見たことがあるような、でもまったく知らないような──そんな感覚。
けれど、目が離せない。心臓が、脈打つたびに「好き」の二文字を打ち鳴らす。好き、好き、好き、大好き──。
気がつけば、日向の足は彼の前で止まっていた。
胸がいっぱいで、苦しいくらいだった。けれど、どうしても伝えたくて。
「あなたが好きです! 大好きです! 付き合ってください!」
声を震わせながら、日向は深く頭を下げ、まっすぐ彼に向かって手を差し出した。
しばしの沈黙。風が、二人の間を撫でて通り過ぎた。
そして──。
「……え、ありがとう。でも……大丈夫? 身体透けてるけど…」
思わず、陸が心配そうに声をかける。
その言葉に、日向はやっと自分の状態に気づいた。そして、すぐにその現実に驚き、怖くなった。
日向は、自分の足元を見下ろすと、その光景に息を呑んだ。
足元には、まるで霧のような淡い存在が広がっている。
膝から下が完全に透明で、地面に触れることなく、ふわりと宙に浮かんでいた。
その姿は、まるで自分がこの世に存在していないかのような不確かな感覚を与えた。
でも、それを誰かに言うことができない。
声を発することすらできない気がして、ただ目の前にいる陸を見つめる。
──あれ? 私……歩いてきた、よね?
頭が追いつかない。けれど、目の前の景色は、残酷なほどに確かだった。
日向は、自分の足元を見つめながら、心の中で必死に整理しようとする。
どうしてこんなことになったのか、どうして足が浮いているのか、答えを出すことができない。
けれど、目の前にいる陸の表情、そしてその心配そうな視線は、全てが現実であることを強く実感させる。
日向は、冷静になろうとしても、体が浮いたり消えたりする恐怖から目を逸らせなかった。
「えっ、えっ、ええええええええええ⁉︎」
日向は自分の足元を見て、目の前が急激に歪み始めた。息が詰まる。手が震え、心臓はまるで暴れ馬のように胸を打っている。
「幽霊…?」
陸の声が、まるで遠くから響くように日向の耳に届いた。
その言葉が日向の心に深く刺さる。
「幽霊」と言われた瞬間、日向は自分が確かに存在しないような、冷たい感覚に包まれた。
自分がここにいることが、まるで夢の中の出来事のように感じられて、身の回りの空気がひんやりと冷たくなった。
しかし、それと同時に、陸の目が恐怖に引きつっているのがわかった。
その目を見た日向は、言いようのない痛みを感じた。
陸が、自分を怖がっているのだと、はっきりと感じ取ってしまう。
「え、えっ……」
日向の目が泳ぐ。どうして、どうして…
「私…死んじゃったの?」
言葉が震えて出てきた。
この感覚。この足元。浮かぶ足。
どうしようもなく、日向の中に恐怖が広がる。
日向の体は、ふわりと宙に浮いていた。風に揺れる葉のように、現実の重力から切り離されて、どこにも属せず、ただ漂っていた。
陸の姿が、すぐ目の前にある。
勇気を振り絞って、日向はそっと手を伸ばした。
日向は、陸の腕に、指先を添えるように触れようとした──
――スッ。
日向の手は、まるで水の中に差し込んだかのように、陸の体を通り抜けていった。
「……えっ……」
まるで、氷水をかぶったような感覚が、日向の背中を這い上がっていく。
もう一度触れようとする。肩、手、頬──どこにも触れられない。日向の手は、陸の体を何の抵抗もなくすり抜ける。
「ええええ! 私、本当に死んでるー⁉︎」
悲鳴のような叫びが河川敷に響いた。が、それに顔を向ける者は誰もいなかった。
日向は叫びながら走り出した。周囲には、いつもの朝の風景が広がっている。制服姿の生徒たちが、通学路を歩いている。
「ねぇ! お願い、見てよ!」
日向は女子生徒の前に立ちはだかるが、すり抜けられる。
「聞こえないの⁉︎ お願い! ねぇってば!」
男子生徒の肩を叩こうとする。しかし、腕が宙を泳ぐだけで、相手は無言のまま通り過ぎていく。
「やだ、やだやだ……こんなの、うそ……」
目の前がぐにゃりと歪み、視界が涙で滲む。
何人にも話しかけ、何人にも手を伸ばし、それでも誰にも届かない。
世界から、音も色も、自分の存在も消えていくような感覚。
絶望に押し潰されそうになったそのとき、日向は再び陸のほうを振り返った。
彼だけが──たった一人、自分の声を聞くことができる存在。
陸の姿を見た瞬間、堰を切ったように涙があふれ出す。無意識に足が動いた。スッと、一歩で陸との間を詰め、次の瞬間──
「すびまぜん……っ、だずげでぐだざいぃー!」
しゃくりあげながら、陸の胸に飛び込むようにしてすがりついた。
涙、嗚咽、嗅覚も感覚もぼやける中、はっきりしているのは、陸が唯一の希望と言う事だけだった。
陸の体には触れられない。腕もすり抜ける。けれど、それでも離れたくなくて、日向は必死に彼にしがみつこうとする。
「こわいよ……たすけて下さい……陸くんしか見えてないのーっ」
日向は、涙が止まらない。
その声に、陸はただ黙って立ち尽くしていた。
陸の目がゆっくりと細められプイっと首を逸らした。
「俺、面倒事嫌いだから……」
陸はポツリとつぶやいたかと思うと、目をそらし、そそくさと踵を返した。
そして一言の迷いもなく、制服の裾をひらりとなびかせながら、学校へとスタスタ歩き出す。
「ええええええぇぇぇええええええ!?」
日向の叫びが河川敷に響き渡った。
ガクンとその場に膝をつく。砂ぼこりがふわっと舞った。
「そんなぁぁぁぁ……」
手を前に伸ばすその姿は、まるで映画の振られるシーンの様に悲惨な姿だった。
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