Trace.10 Dawn of the Marine General

 "Es verdad que Harry nos entrenó, pero nosotros llegamos hasta aquí por puro talento, ¿sabes? ¿Un jugador que pueda ser una amenaza para nosotros cuatro? Nah, no hay nadie... espera, sí hay uno. Ese tipo que estuvo bajo su tutela hasta el final. ¡Joder, estoy deseando verlo en acción! Ojalá suba pronto... Bah, qué sueño tengo."


 — Marcos Rigedo —



 “ハリ―の指導を受けたのは事実だけど、俺達は実力でここまで上がってきたんだ。俺達4人の脅威になるプレーヤー?いないなぁ......いや。いるよ。最後の最後まで彼の指導を受けていた選手。俺は楽しみでしょうがないんだ。早く上がってこないかなぁ.....あぁ、眠い。”


 — マルコス・リゲド —

 (全米オープンテニス開幕前 スペイン人記者のインタビュー時)



 トルコ共和国 夜のイスタンブール


 夕闇が色濃く漂う頃、ボスポラス海峡の大きな橋がライトアップされ、幻想的な風景を望むメイハーネ大衆酒場。海峡の暗闇と街明かりの狭間、揺れるカンテラの下、立飲みの席で影村達4人は久しぶりの再会を祝して食事をとっている。影村以外が軽く酒を楽しんでいる。


 前橋は夜通し映像解析をしていた水谷を心配し、声をかけた。


 「修栄、さっきまでダウンしてたが、いいのか?飲んじまって。」

 「あぁ、問題ない。鉄子先輩もありがとうございます。影村と会えたんだ。それだけでも俺はうれしいんだ。」


 水谷は共に夜通しの映像分析に付き合った桃谷の助けもあり、映像から影村の動作を解析することができた。桃谷も影村の身体の動きから彼のフィジカル面における課題をまとめている。


 「いいのよ。私も影村君の動きの分析が捗ったもの。ねぇ、影村君。」

 「......よく来たな。なぜ俺を追いかけてきたんだ?」

 「......影村君。自覚はないようだけど。あなたが日本で起こした旋風は、少なからず私たちのような、あなたに近い世代に大きな影響を与えているのよ。」

 「......そうかい。」


 桃谷は影村の方を見てフレームレスの丸い眼鏡を光らせながら赤ワインを一口飲んだ。水谷はケバブをつまみに地ビールを一口飲んだ。

 

 「影村。この2日でモーションデータは全部保存した。帰国したら本格的に解析して、ラケットの設計を見直す。」

 「あぁ......。」


 水谷は影村に言うと、黙って力の入った眼で彼を見つめる。影村は常に力のこもった眼をしている。体格が違う、迫力が違う、自分たちがおおよそ経験しなかったであろう過酷な4年間を過ごしてきたが故の、肝の据わった落ち着きよう。水谷は影村の圧倒的貫禄に一人の男として心を打たれた。そして影村に頭を下げた。


 「影村。俺は必ずあんたのパフォーマンスを上げるラケットを作る。よく承諾してくれた。正直、首を縦に振るとは思っていなかったんだ。ずっと使い続ている思い入れのあるものだったんだろ?」


 「......あぁ。」


 影村はケバブの皿を見ながら黙った。桃谷は皿にケバブとサラダを取り影村の前に置いた。影村と桃谷は目を合わせる。そして前橋と水谷の方へと向き直ると、桃谷は今後の課題を切り出した。


 「1つ問題があるわ。まず水谷君はラケットを開発したとして、それを日本テニス連盟協会へ通さなければいけない。あと影村君は大使館からの警告をどうにかしなければいけないわ。」


 「協会の企業連盟派閥は、無駄に金と権力持っとる。まさか影村に大使館の警告が来るなんて思ってもなかった。それだけ笹原の力がデカいってことか。」


 「私の会社にも圧力が来たみたい。そのうちフリーランスにでもなろうかしら。」


 桃谷、影村、水谷は肩を落とした。前橋は3人の様子を見て、飄々とした顔でビールを一口飲むと言い放った。


 「じゃあ日本から離れればいいんじゃねぇか?家族がいるなら、引退して国籍戻せばいい。」


 前橋の言葉に影村は日本にいる自分の両親の言葉を思い出す。日本テニス界を追放される直前、最後のインターハイ決勝戦棄権後の両親との会話だった。


  “ 義孝、お前は頑張ったんだ。この国で十分実績を積んだ...そうだ...実績を...積んだんだ...外で自由に暴れ回って来い。”


 “ そうよ、義孝。あなたはこの国を出る必要があるの。このままじゃあなたは潰されてしまうわ。いつか国籍を変えてでものし上がって見せなさい。今のあなたはもう昔のあなたではないのだから。"


 影村の両親、影村大志かげむらたいし影村日和かげむらひよりの言葉。影村は顔を上げる。


 「ちょ、ユッキーいきなりそれは.......冗談だろ?」

 「そうよ。日本国籍の喪失がどれだけのものか、あなた理解しているの?」


 水谷が前橋の言葉を冗談ではないかと確認し、桃谷は日本国籍の喪失がどのような意味を持つのかを理解しているのかと前橋に確認した。


 「わかっている。だが、このまま日本国籍でいれば、奴らに好き放題されるのは明白だ。俺は現実的な手段を考えている。影村が名声を手にすれば日本へと帰れるんじゃないのか?」


 「......。」


 前橋の言葉に影村が黙り、少々空気か気まずくなった。前橋のスマートフォンに着信が入る。彼は画面を確認するとメッセージアプリを開く。日本の長谷岩自動車、本社企業スポーツ支援部から予算の申請についての社長及び役員決裁の稟議が通った旨のメールだった。


 「......なに、手筈通りだ。それに俺は影村。あんたに......お前に言わなきゃいけないことがある。」


 何かを確信した前橋は両手を広げる。酔って赤らんだ顔で不敵な笑みを浮かべる。「手筈通り」という言葉が引っ掛かった3人は、前橋の行動に疑問を抱く。前橋は両手を下げて影村の方を向く。


 「......影村。すまねぇ!酒の力を借りてでもお前に言わなければならないことがある!」


 前橋は頭を下げて影村に謝罪の意を込め深々と御辞儀する。その顔は悔恨と罪悪感、そして正義感などが混在し、もう訳が分からない正体不明の感情に歪んでいた。


 「U-12トーナメントの栃木県ブロック予選...クラスメイトを動員して、お前を潰したのは俺だ!俺はあの後本戦に出たが、一回戦で叩き潰された!俺はお前を破壊した!30人でお前1人を集中攻撃した!俺は......俺はお前が2年生のインターハイの決勝戦に出た時に試合を見た。同じだったんだ......試合の最後でお前がぶっ放したウィナー級ショットの構えとフォームが、あの少年と同じだった......あれはお前だったんだう?」


 「......。」


 影村は動揺した。思い出すたびに心の奥底で疼くP.T.S.Dの衝動。U-12に初出場した彼を襲ったのは実質30人対1人という残酷な状況だった。少年少女たちの罵詈雑言が飛び交い、大人たちはそれを止めずに子供の遊びだと放置した。前橋は勝利に酔いしれた。コート上で放心状態の中、膝をついて座っていた影村。満を持して試合に臨み、精神疾患の発症により敗退した。彼はこの日、心が壊れた。


 「......今更になってこんなことが許されるとは思っていない!だが俺はお前にこれだけはやらなきゃいけないんだと......そう俺の良心が叫んでいる...だから!すまなかった!お前をここまで破壊したのは俺だ!」


 頭を床に向ける前橋の顔は涙に歪んでいた。涙が木製の床に垂れ広がってはしみこむ。水谷と桃谷は前橋の行動を見て何も言えなかった。前橋の肩は揺れている。大学1年生の時に過去を思い出し悔恨からくる罪悪感に押しつぶされながら、贖罪のために心を入れ替えた。彼は誠意を持って、1人の大人として影村に謝罪の言葉を述べる。


 「......そのおかげで俺はあの4人に出会えたんだ。頭を上げろよ。」


 「......。」


 「お前の案に乗ってやる。4年も俺を破壊し続けたんだ。責任取ってもらおうじゃねぇか。前橋。」


 影村は前橋の御辞儀している身体を無理やり起こした。涙で顔がボロボロになている前橋はタオルで顔を拭き、真っ赤な目をあらわにする。


 「そのために俺はここに来た。」


 水谷は前橋の方を見て、彼も謝罪以外の目的を果たすためにここに来たのだと納得した。桃谷の眼鏡のごしの瞳が揺らぐ。その目には涙が溜まっていた。前橋は鼻水をすすり、上を見いたと同時にトルコ語で店の皆に聞こえるように話し始めた。それはもはや演説に近い勢いでメイハーネ中の客の注目を集めた。


 「Haydi dikkat! Orada bulunan Yoshitaka Kagemura! Henüz yeni başlamış olsa da, bir gün teniste Grand Slam şampiyonluğu kazanarak dünyanın zirvesine çıkacak bir oyuncu!(さぁ注目!そこにいる影村義孝!まだ駆け出しだが、いつかテニスのグランドスラムタイトルを獲得して世界のトップに立つ選手だ!)」


 前橋の言葉に周囲にいた客はトルコの地酒、アルコール度数の高い蒸留酒であるラクの入ったグラスを乾杯するように掲げた。ノリ良く盛り上がる地元民。その中には指笛を鳴らすものまでいた。


 「Bu adam, dünyanın en iyi tenis koçu olan Harry Grassman'ın son öğrencisi! Biz, dünya çapındaki Haseiwa Motors, bugün başkan ve tüm şirket yöneticilerinin oybirliğiyle aldığı kararla, onu resmi olarak özel sözleşmeli profesyonel tenis oyuncusu olarak kadromuza katmış bulunuyoruz!(この男はあの世界最高峰のテニスコーチ!ハリー・グラスマンの最後の教育を受けた選手!我々世界の長谷岩自動車は、本日社長及び会社役員全員の決算を迎え、正式に彼を専属契約のプロテニス選手として迎え入れる運びとなった!)」


 前橋は酒の入ったグラスを上に掲げた。水谷はどこか吹っ切れた前橋の酒によって解放された姿を見て、日常とのギャップに思わず笑ってしまった。桃谷は世界の長谷岩自動車がいきなり影村の背後に付いたことに驚き固まった。


「Bu güzel anıya! Hadi arkadaşlar, Yoshitaka’nın başarısına ve geleceğine kadeh kaldıralım! Şerefe!(この瞬間に!さあ、みんな、ヨシタカの成功と未来に乾杯しよう!シェレフェ!乾杯)」


 「Şerefe !(シェレフェ!)」


 「Foooooo!!」


 「Yeah!!」


 偶然メイハーネにいた部外のテニス関係者たちが影村に注目し、彼が長谷岩自動車所属のプロテニスプレーヤーとなったことを酔ったノリと勢いで大騒ぎして祝福し、それに同調した状況がわからないがとにかく楽しみたいという若者たち、店員たちそして中年男性たちが乗っかり、メイハーネ中が祭りの様に大騒ぎとなった。


 水谷と桃谷はこの時、前橋が持っている酒の入れ物が、ラクと呼ばれる強烈な地酒が入っているものにすり替わっているのに気が付くと、もう嫌な予感しかしないといった表情となった。(ラク:アルコール度数40度から50度ぐらい。)


 この日、後に全米オープンテニスを制し、世界を席巻するファイヴナンバーズと呼ばれるに至った“ Marine General ” Yoshitaka Kagemura が誕生した。

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