第10話

丘の上を北へ下った先、健太は慎重に草むらを踏み分けながら、スケッチブックに道筋と目印を記録していた。


歩いていると、遠くから「さらさら……」という音が耳に届いた。風の音とは違う、連続的で柔らかな水音。


「川、か?」


足を速める。草をかき分けると、やがて視界が開けた。そこには清流と呼べるほど美しく澄んだ小川が流れていた。小さな魚が水中を泳いでいて、太陽の光が水面に反射してきらきらと輝いている。


(これは、地図に記しておかねえとな)


健太はスケッチブックの余白に、小川の簡単な形と方角、流れの向きを記入する。冷たい水を手ですくって飲んでみると、驚くほどまろやかで、雑味もない。


そのまま川沿いを歩いていくと、木々がまばらになり、視界がぐっと開けた。


「……湖?」


そこには、まるで鏡のように滑らかな水面をたたえた湖が広がっていた。波ひとつない静謐な水面に空が映り込み、湖の周囲にはまだ人の気配のない大自然が広がっていた。


健太はしばし言葉を失った。異世界に来てからの緊張がふっと緩むほどの静けさ。そんな時、足元に何か硬いものが当たった。


「ん?」


しゃがみ込むと、それは白っぽい小さな貝殻だった。少し欠けてはいるが、渦巻き型で、滑らかな光沢を持っている。


(……鑑定)


ウィンドウが開く。



【風貝(かぜがい)】

この世界において稀に湖や川のほとりで見つかる自然貝。魔素の流れを微細に感じ取り、風の向きに応じて殻の模様が変化する。

加工により風属性の触媒や装飾品として利用可能。

希少度:C



「装飾品にもなるのか……てことは売れるかもな」


拾い集めてみると、他にもいくつか落ちていた。形が整っているものを選んで、ポーチに入れておく。軽いし邪魔にもならない。集めておいて損はないだろう。


続いて、健太は湖そのものに鑑定をかけてみた。


(対象は……湖。やれるのか?)


少し不安だったが、意識を集中しながら「鑑定」と唱えると、ウィンドウがゆっくりと浮かび上がった。



【湖名:静鏡湖(せいきょうこ)】

この地域において極めて清浄な状態を保つ魔素源湖。地下に高純度の魔素石脈を抱えており、湖水そのものに魔力の性質がある。

※飲用可能。ただし、長期摂取で微弱な魔素影響を受ける可能性あり。

生息種:小型魔魚「ミナリ」、淡水性魔草「水繊藻」など。



「魔素の泉……いや、湖か」


健太は驚きとともに、じわじわと興奮がこみ上げてくるのを感じた。


(水飲んじまったけど……まあ、少しなら平気か)


“魔素の性質がある水”。もしこれを現実に持ち帰れたら──ただの水として扱われるのか、それとも何か変化が起きるのか。


そして、それ以上に気になるのは地下に存在するという“魔素石脈”だった。


(この下に、何かある……)


健太の中に、探検家のような好奇心が湧き上がる。今はまだ潜る手段も、掘る道具もないが──いずれ手に入れるときが来るだろう。


「……まずは、できることからだな」


そう言って、彼は湖の縁に座った。

スケッチブックに簡単な地図と湖の特徴をメモし終えると、健太はふたたび立ち上がった。湖の岸辺をゆっくりと歩きながら、水面をのぞき込む。浅瀬には透明な水の中に、細長く揺れる草のようなものが見えた。


「これ……さっきの鑑定にあった“水繊藻(すいせんそう)”か?」


水中でふわりふわりと漂う藻は、まるで絹糸のように繊細で、ところどころが淡い青や緑に光って見える。慎重に手を伸ばし、ちぎらないようにゆっくりと摘み取ると、ひんやりとした感触が指に伝わってきた。


(……鑑定)



【水繊藻(すいせんそう)】

魔素湖に自生する淡水性魔草。微量の魔素を常時放出しており、水質を浄化する特性を持つ。

乾燥させることで保存可能。加工により麻痺を治す薬品や装飾品の素材として利用される。

希少度:C+



「薬にもなるし……飾りにも使えるってか。優秀すぎんだろ」


拾える範囲でいくつか採取し、持参していた布袋に包んで入れる。これも現実に持ち帰れそうだ。乾燥できるスペースを部屋に作っておけば、保存も問題なさそうだ。


そして、水中にちらりと動く影を見つけた。細長く、小さな魚。群れではなく、単独で泳いでいるようだ。色は淡い銀と青。まるで光の粒子が泳いでいるようだった。


「……あれが、“ミナリ”ってやつか」


手ではとても捕まえられそうにない。だが、幸い健太にはクラフトというスキルがある。そこらへんの芝の繊維を編んで原始的な網を作成した。これで捕まえられないだろうか。


静かに湖面に網を差し入れ、影の近くにそっと移動させる。魚がこちらを意識したのか、少し警戒したように見えた。が、慎重に動きを読んで網を引き上げる。


「……よしっ!」


網の中には、確かに一匹の小さな魚が跳ねていた。だが、次の瞬間――


「……え?」


捕らえたはずのミナリが、突如として体を光らせ、空中にふわりと浮かび上がった。まるで羽根のような透明のひれが音もなく展開され、水面から舞い上がる。


「お、おい、飛ぶのかよ!」


目を見張る健太の顔目がけて、ミナリが鋭く突っ込んできた。小さいとはいえ、細長く硬質な体に魔素をまとっている。咄嗟に腕で防ごうとしたが――


「っつあ!」


前腕に強い衝撃と切り裂かれるような痛みが走る。ミナリの尾びれかヒレに鋭利な突起があったのか、服の上からでも切り裂かれる感触がした。


「こいつ……観賞魚じゃねぇのかよ!?」


ミナリは攻撃しても、なおふわりと宙を舞いながら、第二撃を狙っている。鋭い目つきは明らかに敵意を帯びていた。小さな身体から放たれる魔素が空気に波紋のように広がる。


「クソ、ナイフ、ナイフは……!」


とっさに腰のポーチからナイフを引き抜く。芝と狼の牙で作った即席品だったが、今の健太にはそれしかない。


ミナリは空中でくるりとひとつ旋回した後、再び一直線に突っ込んでくる。


「やれるか……!?」


恐怖を振り払い、ナイフを前に構えて突進に合わせて振り抜く。


一閃。


ミナリはナイフの刃先に引っかかり、ひときわ鋭い声を上げて地面に転がった。しばらく痙攣していたが、やがて光の粒子となって消えていく。


健太は肩で息をしながら、ようやくその場に腰を下ろした。


「……空飛んで突撃してくる魚ってなんだよ……。こえーよ……マジで……」


傷口からはじんわりと血がにじんでいたが、以前より出血量は明らかに少なかった。回復スピードもやや早い。


「……ああ、少しは強くなってんだな、俺」


自嘲のように笑いながら、健太は再び地面を見た。ミナリの残したアイテムがぽつりと落ちていた。


【ミナリ】

静鏡湖にのみ生息する淡水魔魚。魔素を微量に帯びており、食用・薬用に供される。

焼き物や干物にすると滋養強壮の効果があるとされる。魔物や魔草を食べる性質を持つ。

希少度:C+


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