ぼっち大学生、異世界を見つける。

@Weakend

第1話

 何もない部屋にただ静寂が広がる。窓からは薄い光が差し込んでいるが、その光すらも虚しく感じる。月曜日の朝だというのに、目覚まし時計のアラームは一度も鳴らなかった。時計は12時を過ぎていた。

 田中健太(たなかけんた)は、目を覚ますと天井を見上げた。白い天井は、昨晩と変わらぬ無機質な存在で、彼の心の状態を表しているようだった。ベッドの端に置かれたスマホを手に取ると、数件の通知が並んでいるが、どれも興味をひかない。友達からのメッセージはない。公式アカウントと、大学の掲示板に書かれた通知――それがすべてだ。


「なんか楽しいことでもねえかな」


 呟きながら、スマホを放り投げて布団を引き寄せた。冷蔵庫の中には、昨日の晩に食べたカップラーメンの残骸がわずかに残っているだけだ。お金がない。家賃の支払いもギリギリで、何か買う余裕もない。

 大学に通い始めてからというもの、まるでこの部屋の中だけで時間が過ぎていくような気がしていた。学内での人間関係も浅く、サークルに入る気力もない。授業も、ただ義務感で受けているだけで、周りの人たちがどんな話をしているのかすら、ほとんど興味を持てなくなっていた。


「こんな生活で、何か意味はあんのかね」


 そう思いながらも、何も行動を起こせない自分が情けなく感じる。結局は一歩踏み出すことができない。

 何度もSNSを見返すが、画面に映る他人の笑顔がただ憂鬱を押し付けてくるだけだった。楽しそうにグループで食事をしている写真、遠出した時の風景、恋愛の話題――すべてが自分には遠い世界のように感じられた。

 その日も、何もせずに一日が過ぎていった。

 夜になると、健太は無理にでも外に出ようと考えた。しかし、財布を開けると、財布の中には小銭しか入っていない。6年前のコンビニチキンくらいなら買えるだろう。


「ついに俺もアコム系大学生か」


ハハっと笑いながらベッドに戻った。金がなきゃ外に行く意味はない、金を借りる意気地もない。その後もベッドに横たわりながら、部屋の中でただひたすらに過ごした。何かを変えたいと思っても、そのための第一歩が踏み出せない自分が、次第に無力感で押しつぶされそうになった。


***


昼過ぎ、田中健太は重い身体を引きずるようにして大学へ向かった。

三限の授業。出席点があるから、かろうじて足を運んでいるだけだった。


教室に入ると、すでに半分以上の席が埋まっていた。

誰も自分に気づかない。知り合いすらいないのだから当然だ。

孤独じゃない、これは孤高だ。――そう言い聞かせながら、後ろの列に腰を下ろす。

窓の外に目を向けると、薄曇りの空が広がっていた。傘、持ってくればよかったかもしれない。


授業が始まる直前、教授が教壇に立ち、大きな声で言った。

「今日はペアワークをします。隣の人とペアを組んでください」


教室がざわめく。

息が詰まった。自然に声をかけ合う学生たちの中で、自分だけが取り残される未来が鮮明に見えた。


そんな中、隣に座っていた男子学生がこちらに笑いかけてきた。

明るい色のパーカー、耳にはイヤホン、手首には派手なミサンガ。

陽気な雰囲気をまとった男だった。


「よろしくな!」

「ウィッス」


健太はぎこちなく頷いた。

慣れなさすぎて、妙に陽キャっぽい返事になってしまった。


ワークのテーマは「最近気になった話題について意見交換すること」。

彼は迷いなく話し始めた。


「この前、友達と旅行行ってさ、マジ楽しかったわ~。海、めっちゃきれいだった!」


楽しげな口調、途切れない話題。

すごいな、と思うと同時に、絶対こうはなれないという絶望が押し寄せる。

頭の中でその感情が混ざり合い、劣等感へと変わっていった。


「そっちは? 最近なんかあった?」


ふいに向けられた問いかけ。

どうする? 授業後にアコム行こうとしてること? ……そんなこと言えねえよ。

何もない自分に、答えられることは何もなかった。


「……特にない」


かろうじてそう答えると、彼は気まずさも見せず、「そうなんだ!」と明るく返して、また自分の話を続けた。


周囲からは、あちこちで笑い声が聞こえる。

ペア同士で身を乗り出しながら話し込む声、ふざけ合う声。

どれもこれも、遠い国の言語のように感じられた。


彼が楽しそうに話すたび、健太は自分との間に横たわる大きな溝を意識した。

話すことも、共有できる思い出も、笑い合える誰かも、何ひとつ持っていない。


――何が孤高だよ。やっぱただのボッチじゃねえか、俺。


やがて授業が終わり、彼は軽く手を挙げて去っていった。

あっさりとした別れだった。健太も無言で席を立ち、教室を出た。


キャンパスを歩きながら、スマホでシラバスを開く。

この授業は出席点が重いと書かれている。

だが、もうどうでもよかった。


無理にこの場所にしがみつく必要はない。

劣等感をかき立てられるために、ここへ来る必要なんて。


――次から、もう行かない。

そう、決めた。


帰り道、見上げた空からポツポツと雨が落ちてきた。

光は差していたはずなのに、傘は差せないみたいだ。


***


「明日は朝から夜まで、24時間ずっと晴れる予報です!」


テレビからは明るい声が流れる。

俺の心は20年近くずっと曇りっぱなしだってのに。

腹が立って、チャンネルを変える。


「あなたの悩み、実はちっぽけなのかもしれません」


はあ? ピッ。


「明けない夜はない。わしはそう信じ――」ピッ。


イライラして、かけていたメガネを投げた。

ぱりん、と音を立てて壊れる。


気分わる。寝よ。


壊れたメガネのフレームだけが、床に転がっている。

眠る直前、その欠けたレンズ越しに見た部屋は、どこか別の世界みたいに歪んで見えた。


***


外から響く甲高いバイクのエンジン音で、健太は目を覚ました。

時計を見ると、朝の五時を少し回ったところだった。

カーテンも閉めずに寝ていたせいで、窓からの光が容赦なく目に刺さる。


「うるせえな……」


布団を頭までかぶり、二度寝を試みたが、まぶたの裏にまで白い光が染み込んでくる。

眠気も苛立ちも、中途半端に残ったまま、健太はベッドの上でゴロゴロと転がった。


観念して目を開けると、窓の外には、淡いオレンジ色に染まる空。

高層ビルの隙間から、顔を覗かせたばかりの太陽が、じわじわと空に光を広げていた。

冷たかった部屋の空気も、朝日を受けて少しずつ温もりを帯び始めている。壊れたレンズの隙間から、差し込む朝日がちらついている。


――こんなに世界って広かったっけ。


「随分と豪華な目覚ましじゃねえか。何ワットだよ、その明るさ」


皮肉交じりに呟きながらも、その顔にはどこか柔らかな表情が浮かんでいた。


健太はゆっくりとベッドを抜け出した。

床に散らかった衣服、積み重なったゴミ袋、空になったカップラーメンの容器。

これが今の自分そのものな気がした。


ふと、目に入った空き缶に手を伸ばした。

ゴミ袋に押し込むと、カシャン、と乾いた音が響いた。


妙に心地いい音だった。


「……ま、掃除でもしてみっか」


誰に聞かせるでもなく呟きながら、健太はゆっくりと、部屋の片付けを始めた。

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