第三章 盲目の少女

第24話 盲目

 幼い頃、まだ記憶もあやふやな時期、ロスルという名を耳にした。何となく、記憶の片隅にそのがあったんだ。ああ、確か城塞都市サバワトの西にある領地。やった! 王国じゃないか! しかも王都までそう遠くない! 転生ガチャ大勝利!――なあんてことを考えた古い記憶があった。


 あったんだけど……。


(助けて…………誰か助けて。熱い。熱いよ、誰か助けて……助けて……)


 物心ついたのは、酷く熱にうなされてから。気が付いた時には、私の視力はほとんど失われていた。視界がボヤけて何も見えない。明るさだけはわかる。目の前に誰かが動いていると何となくわかる。そんな視界。


 最初から見えないと分かっているなら受け入れることもできたのかもしれない。だけど、古い記憶がある私には恐怖でしかなかった。何も見えない! 何も見えないのだ!


 こうなってしまうと、私の今回の人生には絶望しかなかった。いったい誰がこんなめしいた娘を好きになってくれるというのか。正直、今回だけは――儚げな美少女――なんて冗談さえ考える気にもなれなかった。


 親は居なかった。捨てられたのか、或いは死んでしまったのかもわからない。齢もはっきりとはわからない。9回の冬を越したのは憶えているけれど、そもそも最初の年齢がわからない。私はただ、村長むらおさの家で毎日、毎日、井戸から水を汲んではかめへ移す仕事と、洗濯だけをしていた。



 ◇◇◇◇◇



「まだやっていたのかい! この時期は日が短いんだ。早く干しちまわないと日が暮れて洗濯物が凍りつくよ!」


 村長の奥さんに呆れられる。私は必死で目を見開いて光を求めた。けれど、視界には明確な像は結ばれず、目の前に近づけても近すぎて全体像がよく見えない。悲しくなるけれど、誰も助けてはくれない。


「すみません、ごめんなさい……」


 いつもなら減らず口のひとつやふたつ平気で叩くんだけど、ここまで立場が弱いと気まで弱くなっていた。貧しい生まれは何度も経験したけれど、盲目は初めてだった。子供の内は、何かあるとすぐに死んでしまうから、貧しいとそれだけ転生が早かったのもあった。


「まったく、身体だけは大きくなりやがって。せめてもう少し肉付きが良けりゃ、客でも取れるのによ!」


 面倒を見てくれる村長の息子はいつもそんな感じだった。幸いかどうかは分からないけれど、私には女としての魅力がどうも今ひとつだったらしい。ただそれでも、日に日に成人が近づいていくのを感じていた。いつもなら10歳を過ぎるとじわじわ成長し始める。となると今は12歳と言ったところだろうか。


「地母神様の無垢なる恵みに感謝します……」


 そう告げると、村長の息子は舌打ちして去っていった。王国では地母神の、つまり私を見守ってくれている豊穣の女神さまの信仰が絶大だった。――穢れのない恵みであるなら私は受け入れる。だが、そうでない場合は、たとえ飢えようとも貞操を護りたい――という意思表示でもあった。


 私の場合は自死を選ぶ手もあった。ただ、女神さまには注意されていた。自死は魂を傷つけると。傷ついた魂は簡単に癒されることは無いと。だから、最悪でも誰かに刺してもらうか、獣に食われた方がマシだと聞かされていた。


 そんな絶望しか見えない暮らしがさらに3年続いた。



 ◇◇◇◇◇



 その日は夏にもかかわらず、冷たい風が吹いていた。湿り気を帯びた風が森の木々を揺らし、ギイギイと恐ろし気な声を上げさせた。


 どこかで悲鳴が聞こえた。誰の悲鳴かもわからない。辺りは薄暗く、何かが動いても全く分からなかった。ゴオゴオと風が鳴った。私はとにかく、自分の小屋へ戻った。家畜のような暮らしをしていたから、部屋ではなく、小屋だった。


 風の鳴る音が更に激しくなる。ウオオオオオオオ――と唸るのは、声なのか、音なのかもわからない。嵐よ、早く通り過ぎて――と祈るばかりだった。


 小屋の外で獣の息遣いが聞こえた。それもひとつやふたつではなかった。おまけに、ひと呼吸が自分の息の10回分くらいの長さの息も聞こえた。小屋の周りが怪物どもに取り囲まれている様子を想像すると、息が乱れ、浅くなっていった。


 ガタン! ガタン!――何者かが小屋の戸を開こうとしているのが分かった。


 私はとっさに『限られた透明化リミテッドインヴィジビリティ』を唱えた。この場を動かない限り、私の姿は見えなくなる。そのはず。


 バタン!――小屋の戸が開くと、ギギギギッ! ギギギギッ!――と、金切り声のような音が聞こえた。フスフス――と、匂いを嗅いで小屋の中をうろつきまわる何か。私は身を縮こまらせて、部屋の隅で丸くなっていた。


 早く去って――と祈るばかりだったが、私は考えた。


(いや、この場で終わらせてくれた方がいいのだろうか?)


 ひと声上げれば今回の人生は終わる。そのはずだったのに、私は生きていたいと身を潜め続けた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る