猫の手も借りたい 5

 新羽は自分のリストバンドと兜森のとを交互にまじまじと見つめる。一見同じもののように思われた二つのリストバンドだが、一つだけ違う点が……兜森のリストバンドには「合」という字が書かれているのだ。新羽のリストバンドの「気」と兜森の「合」を合わせてできる言葉は——。


「気合!」


 新羽は思わず大きな声を上げる。深海に五〇〇歳を超えるヌシがいると知ったときのような衝撃。長年抱えていた謎が、今この瞬間こんなところで解き明かされたのだ。きっと、離れ離れになっていたこの一対の文字たちも、長い年月を経て再び一つになれたことを心から喜んでいるに違いない。


「お前、それ、どこで手に入れた?」

 兜森が尋ねる。


「小学校一年生のとき、帰り道で迷子になっていたところを助けてくれたお兄さんにもらったんです。そのお兄さんはプロサッカーチームに入っていて、泣いてる俺にたくさんサッカーの話をしてくれて……俺、それでサッカー始めたんです!」


 新羽はサッカーとの出会いについて熱く語る。


「なるほどな……」

 兜森が満足そうな顔をする。


「もしかして、兜森先輩もあのお兄さんにもらったんですか? 小さい頃、どこかで迷子になって——」


ちげえよ。俺はそんな迷子になるようなバカなガキじゃなかった。俺にこれをくれたのは——俺の兄ちゃんだ」

 兜森は新羽の言葉を遮り、力強くそう言う。


「えッ、じゃあ、もしかして……」


 新羽の頭の中で、一対のパズルのピースがカチリと音を立ててはまった。つまり、新羽にリストバンドをくれたお兄さんと、兜森の実のお兄さんは同一人物——?


「ああ。その、もしかして、だ。そのリストバンドのきたねえ字は、正真正銘、俺の兄ちゃんの字だ」

 兜森は左手首にリストバンドをつけ、それを愛おしそうに見つめる。


「そっか——兜森先輩、ありがとうございます」


 新羽はリストバンドをつけた左手で拳を握り、ぽかぽかと熱くなった胸に当てて誓う。これからも皆でサッカーをし続けるために、必ずここから脱出するのだと。


「すごいや。僕、感動した。やっぱり奇跡ってあるんだね」

 遥真が目を輝かせる。


「俺、ずっとずっとお兄さんに会いたいと思ってたんです。あの日、俺を助けてくれたことも、サッカーに出会わせてくれたことも、まだちゃんとありがとうって言えてないから。こうして大切な友達や先輩に出会えて、笑って泣いて怒って、かけがえのない時間を過ごせてるのも、全部全部お兄さんのお陰だから……」


 新羽は一つ一つの言葉を強く噛みしめるように言う。こんな困難に直面してようやく、大切な仲間と当たり前に過ごしてきた平凡な日々が、何よりも幸せだったことに気が付いたのだ。


「それなら、兜森先輩のお兄さんに再会するためにも、必ず生きて帰らなきゃね」

 莉乃が力強く言う。


「よし、新羽が兜森先輩のお兄さんとサッカーできることを願って、レッツゴー!」


 遥真はそう言い、勢いよくサッカーボールを蹴る振りをする。しかし、振り上げた左足は、床に置かれた重たい木製の碁盤を蹴ってしまい、碁盤の上から転がり落ちた二つの碁笥ごけから輝く白と黒の碁石がじゃらじゃらと地面に散らばった。


「よくもまあ、こんな高級そうな囲碁セットを蹴ったりできるなあ」

 千賀が呆れたように言う。


「違うんです。わざとじゃないんです」

 遥真が慌てて碁石をかき集める。


「懐かしいなあ。小学生の頃は、久藤の家に泊まりにいくと、いつも久藤のお母さんに見守られながら五目並べやって遊んでたよな。でも俺、ぜーっんぜん勝てなくて、結局一勝もできないまま、いつの間にか滅多にお泊り会もしなくなっちゃったな」

 水瀬が少し寂しげに微笑む。


「僕は小さい頃、よく碁石でカレーライス屋さんごっこをやってましたよ」

 遥真は碁笥の蓋に白と黒の碁石を盛りつけ、「どうぞ」と言って水瀬に差し出す。


「確かにカレーライスみたいだけど……」

 水瀬が困ったように笑う。


「俺もおばあちゃん家に囲碁セットがあって、よく碁石を回してコマにして遊びますよ」


 新羽の祖父は大の囲碁好きだ。祖父母の家に遊びに行くと、祖父はいつも新羽の父や伯父たちと囲碁の真剣勝負をしている。その傍らで新羽やいとこたちは、よく碁石をコマにして、どちらが長く回し続けられるかを競って楽しんでいるのだ。


「やっぱり囲碁セットがあるって、ばあちゃん家あるあるなんかな? 俺もばあちゃん家でよく碁盤に碁石並べて、ドット絵作って遊んでたもん。んで、じいちゃんとばあちゃんにめちゃめちゃ褒められてた」

 増田が懐かしそうに言う。


「増田、絵上手いもんな」

 水瀬が言う。


「水瀬の絵と字のセンスは、絶望的だよな」

 千賀が笑う。


「俺の兄ちゃんもそうだけど、字が下手な奴って、決まって絵も下手だよな。兄ちゃん、まず字の書き順からぐちゃぐちゃだったし、きっと碁盤に碁石で文字でも書かせたら、迷宮入りの暗号が出来上がるん——」


「——あッ!」

 兜森の言葉を遮り、増田と千賀が声を合わせて叫ぶ。


「俺、わかっちゃったかもしれん」

 増田が言う。


「マジかよ、奇遇だな。実はうちもなんだ」


 千賀は目を輝かせ、握手を求めるように手を差し出す。そして、その手を増田が握る。


「ちょっと、二人で盛り上がってないで、俺たちにも教えてくださいよ」

 瑠希が言う。


「おうよ。まずは、この二つある7×7の平仮名の暗号に注目だ」

 増田はそう言い、7×7の平仮名の羅列が二つ並んだ暗号を指差す。


「それで次は、碁盤に碁石を並べて絵を描くみたいに、ここにも文字とか絵をかいてみる。例えば、蒼波の『アオ』って書いてみると……」


 千賀は7×7の暗号文の上で『アオ』と書くように指を動かす。上の文字列は『つとあえまきじゆんよどのしこどち』と、下の文字列は『しいんごつとらたへみちびくだおおさか』となぞっていくと、『アオ』という文字が完成するのだ。


「こんな具合で、ここに文字とか数字とか記号とか何かをかけば、鍵の隠し場所が浮かび上がるって感じ」

 増田が言う。


「なるほど。で、その書かなきゃいけない何かってのは?」

 兜森が問う。


「それはみんなで考えるんですよ。なあ?」


 千賀がそう答え、増田は腕組みをして当たり前だと言わんばかりにうんうんと頷く。


「もしかしたら、『出口』かもしれません。こんなの書かれてるの、この扉だけですから」


 久藤は暗号の上に書かれた銀色の「出口」という文字を指差す。確かに久藤の言う通り、この扉以外に「入口」や「出口」などと書かれた扉はなかったはずだ。


「じゃあ、『出口』だとすると……」

 兜森が呟く。


「えどのしやあろつくほおむずよんじゆうはちばんのきろくぼにしたがえばかくされたたからのありかにたどりつく——江戸のシャーロック・ホームズ 四十八番の記録簿に従えば 隠された宝の在処に辿り着く、だ!」


 増田と千賀は声を合わせ、左右交互に息ぴったりな肘タッチを交わす。


「江戸のシャーロック・ホームズと言えば、岡本おかもと綺堂きどうの時代小説『半七はんしち捕物帳とりものちょう』の半七だな。それで、四十八番の記録簿っていうのは『半七捕物帳』の第四十八作のことで……」

 久藤はそう言い、何かを探すように部屋の中をきょろきょろと見回す。


「何か探し物でも?」

 兜森が問う。


「さっきの部屋で本棚を見てきます。きっと『半七捕物帳』があるはずなので」

 久藤が答える。


「俺が探してきます」

 新羽は言う。本を探し出すくらいなら、新羽一人でもできるだろう。


「俺も一緒に行ってあげても良いけど」

 瑠希はそう言い、ナイフを遥真に預ける。


「よし、じゃあ瑠希、二人で『半七捕物帳』の四十八巻を探しに行こう」

 瑠希が同行を申し出たことを意外に思いながらも、新羽は明るい声で言う。


「そうか、頼んだよ。『半七捕物帳』は短編だから、一冊の中に何話か収録されてるはずだ。気を付けてほしい」

 久藤はそう助言し、懐中電灯を新羽に託した。

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