猫の手も借りたい 3

「大丈夫、きっと風です。風に決まってます」

 莉乃が自分に言い聞かせるように呟く。


「待ってて、見てくるよ」


 水瀬がそう言い、通気口へ近づこうと一歩踏み出す。その直後、通気口の蓋が外れ、ガシャンと大きな音を立てて地面に落下した。そして、そこから何かが——そう、新羽がずっと再会を待ち侘びていたミケが飛び出してきた。


「ミケ!」


 新羽は急いでミケに駆け寄り、その小さな身体を力いっぱい抱き締めた。雨に降られ、びしょ濡れになったミケの身体は冷たくなっている。


「ミケ、どこにいたの? ずっと探してたんだよ。お腹減ってない? 痛いところはない?」


 安心と心配でごちゃまぜの感情を抱える新羽に、ミケはニャーと元気いっぱいな鳴き声で応える。


「ねえ、ミケは外から来たんだよね? ということは、僕たちもここから出られるってことじゃない?」

 遥真は、新羽の腕の中で丸くなるミケを緊張した面持ちで恐る恐る撫でながら言う。


「いくらチビなお前や増田でも、この穴を通り抜けるのは無理があるだろ」

 兜森が言う。


「じゃあ、ミケに伝言を頼むのはどうですか? 僕たちはここにいます、助けに来てくださいって」

 遥真が提案する。


「猫はしゃべれねえのに、どうやって伝言すんだよ」

 増田が笑う。


「それなら、手紙を託すのはどうですか?」

 莉乃が言う。


「迷子になって家に帰れなくなってたミケに手紙を託したところでねぇ……」

 瑠希が首を横に振る。


「確かにな。これで届けちゃうんなら、気まぐれにも程があるよ」

 増田が頷く。


「大丈夫です。ミケなら絶対におばあちゃんに手紙を届けてくれます」


 新羽は力強くそう言い、ミケの頭を優しく撫でる。やっと帰ってきたミケをもう一度外へ放つのは、確かに心配でたまらない。しかし、根拠はどこにもないが、ミケなら必ずこの任務を全うできるという絶対的な確信を新羽は持っていた。それに思い返せば、ミケは昔から気まぐれ猫だったではないか。


「まあ、やるだけやってみても良いけどな」

 兜森が言う。


「はい、ここはミケと成宮を信じてみましょう」

 水瀬が頷く。


「それじゃあ、誰かペンと紙を持ってる人は——?」


 久藤がそう問い、新羽はポケットを探ってみる。しかし、あいにく中は空っぽだ。


「このへんにもペンっぽいものはなさそうだし……」


 千賀がアンティークなコンソールテーブルの上を物色しながら呟く。テーブルには、鏡面にひびが入った卓上ミラーや蓄音機型のオルゴール、大きなロウソクが立てられた三本腕のブロンズの燭台などが置かれているが、ペンやメモ帳は見当たらない。


「あッ!」


 新羽と同じように、ポケットを探っていた遥真が声を上げる。遥真のズボンの左ポケットから出てきたのは、くしゃくしゃに丸まったレシートだ。


「レシート?」

 莉乃が不思議そうに問う。


「いけない、僕、吉良さんと関口さんに今日の夜ご飯の買い物袋に入ってたレシートを返すの忘れてた。いつもおばあちゃんが、家計簿をつけるのにレシートは大切だって言ってるから、後で返さなきゃと思ってポケットに入れたんだった。でも、今、こんなのあってもどうしようもないよね」

 遥真が眉を八の字にする。


「あ、ちょっと待って……」


 そう言って水瀬もズボンの左ポケットから何かを取り出そうとする。久藤がすかさず手を貸し、代わりにポケットの中身を取り出した。その手に握られていたのは、リップスティックのような形状をしたプラスチック製の何かだ。


「それ何ですか?」

 新羽は尋ねる。


「これ、ヤードムっていうメントールみたいなタイの薬。頭痛いときにこれをおでこの髪の生え際に塗ると、スースーして頭痛が和らぐ気がするんだ」

 水瀬が答える。


「ふーん、それで……?」

 増田が問う。


「それで、前に小さくなった名探偵のアニメで見たんだよ。レシートにムヒを塗って、文字を消して暗号を作るってやつを」

 水瀬が答える。


「確かレシートは感熱紙っていう特殊な紙で、感熱紙に塗られたアルカリ性の薬剤にムヒに含まれる酸性の薬剤が反応して文字が消えるんだったよな。確かにこのトリックを使えば、ミケに託す手紙を作れるかもしれない」

 久藤が満足げに頷く。


「なるほど、手紙に使う文字を残して、あとは全部消しちゃえば良いってことだな?」

 増田が問う。


「使う文字を消すほうが効率的かも」

 水瀬が言う。


「でも、こんな小さい文字を一文字ずつ消すって、難易度高くないっすか? 周りの文字まで消えちゃいますよ。遥真の小指で塗ったとしてもね」

 瑠希が意見する。


「じゃじゃーん! こんなのどうだ?」

 千賀が胸ポケットから誇らしげにヘアピンを取り出し、皆の前に掲げる。


「瑞紀先輩、流石です!」


 莉乃がそう言うと、千賀はグッドサインを作ってみせる。


「よし、じゃあ小松、レシートの中身読んで」

 兜森が言う。


「えーと……豚肩ロース肉、手作りコロッケクリーム4P、手作りコロッケあまくち4P、手作りコロッケチーズ4P、焼きそば用蒸し麺、あまから焼きそばソース、パルメザンチーズ、カルシウムたっぷりミルク、キャベツ、もやし、にんじん、コッペパン4P、たまご……以上です!」


 すべて読み上げ終えた遥真は、達成感に満ち溢れた笑顔を皆に向ける。


「よし、じゃあ何てメッセージにしようか。伝える必要があるのは、助けてってことと、この場所だな」

 兜森が遥真の手からレシートを取って言う。


「ここの住所、どこなんですかね?」

 新羽は呟く。


「多分、方向的に安土あづち町のどこかではある気がするけど……」

 瑠希が答える。


「助けて 安土 洋館。こんな感じ?」

 千賀が問う。


「地下って単語も入れよう。それから、誰からのメッセージかもわかるように、成宮の名前も入れたほうが良いかもしれないな」

 久藤が提案する。


「それじゃあ、まとめると……『助けて 安土 洋館 地下 新羽』ですかね?」

 莉乃が問う。


「待て、この順番で行くと、後半まで『た』が全然出てこんぞ」

 兜森が苦笑いを浮かべ、皆にレシートを見せる。


「『豚』の右側の『豕』だけを消すのはどうですか?」

 久藤が提案する。


「なるほどな。じゃあ、『安土』の『づ』は、『作』の『亻』でいけるな。よし、これで上手い具合に全文字作れそうだ」

 兜森が満足げに頷く。


「うわー、最後の最後に……『バ』がないので、『シンバ』が『シンパ』になっちゃいます」

 遥真が慌てた様子で言う。


「確かに……」

 増田が頷く。


「確かに、じゃねえよ。あんたたち、相変わらずのバカだね。『コッペパン』の『パ』と『たまご』の『ご』を分解すれば『バ』になるだろ」

 千賀が呆れた様子で説明する。


「よし、じゃあ消す文字は……『豕スケ手 あ亻チ 用かン チカ しんハ゛』だな」


 兜森が順に読み上げ、千賀がそれを消していく。そして、遂にミケに託す手紙の暗号が出来上がると、皆から歓声と拍手が湧き上がった。


「そうだ、遥真のこの手ぬぐいで手紙を包んで、ミケの首に巻き付けるのはどうっすか? 血が付いた手ぬぐいを見れば、すぐに緊急事態だってわかるでしょ?」


 瑠希が、吉良のナイフに巻き付けていた手ぬぐいを外しながら言う。


「そうだね、そうしよう。ミケ、この手紙をおばあちゃんに届けてくれる?」


 腕の中でくつろぎ大きなあくびをするミケの頭を、新羽はそっと撫でて言う。そして、細長く裂かれた手ぬぐいに手紙を包み、ミケの大きな赤いリボンの首輪の上から巻き付けると、ミケはちょっぴり気だるそうにニャーと返事をし、新羽の腕から抜け出して地面へ降り立った。


「頼んだよ、ミケ。俺たちを助けて」


 新羽は再びミケを抱き上げ、ぎゅっと力強く抱き締める。そして、腕を上げてミケを換気口へ近づけると、ミケは自らその中へ入っていき、姿を消した。

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