第29話 メイドは守られている

「継司くん、お昼は五分で呑み込んで」

「は!?」


 学校の教室、昼休み。

 清耶香が俺の机の前に来て、いきなりそんなことを言った。

 俺の前の席に勝手について、こちらを向いてくる。


「昼休みはそう長くないのよ。五分で食べてもらって、残りの四十分はすべて勉強にあてるわよ」

「……実は俺に仕えるの、屈辱なんじゃないか?」


 俺は周りに聞こえないようにささやく。

 学校では思いっきり俺にマウント取ろうとしてないか、清耶香?


「アレはアレ、コレはコレというだけよ。継司くんに総秀館のトップに立ってもらうという話は絶賛進めるつもりよ」

「絶賛……というか、過酷さが増してないか?」


 ゆっくり昼メシを食う暇もないのかよ。


「人生は常に過酷なのよ。私がこの総秀館に残った以上、あなたを楽にはさせない。だけど、負けないで」

「最後だけ適当に励ますな」


 さっきの万里辻との衝突といい――

 俺、清耶香を退学から救ったの、ミスったんじゃないのか?


 ひとまず、しゃべっている時間が惜しいのでコンビニで買ってきた昼食を取り出す。

 さすがに、清耶香も朝食をつくるのが精一杯で弁当までは用意できてない。


「あれ、そうだ。清耶香は昼メシは?」

「ゼリーを飲んだわ。収入を得たから、お昼を普通に食べられるようになったの」

「それ、昼メシとは言わない!」


 思わずツッコミを入れてしまい、周りがざわめいてこっちに視線を向けてくる。

 しまった、目立たないようにしてたのに。


「……あのな、もっと腹のふくれるもの食えよ」

「私、元から少食なのよ。美味しい物は食べたいけど、量は必要ないの」


「サンドイッチやるから食べろ。今日は海老カツサンドだ。美味いぞ」

「ありがとう。朝は私で、お昼は継司くんね」

「まあ、昼メシはコンビニで充分だな」


 清耶香が弁当をつくれるようになっても、まさか俺たち二人で同じ内容の弁当を持ってくるわけにはいかない。

 同棲疑惑、待ったなしだ。実際、同棲に近いんだが。


 そんな二人が向き合って、コンビニ飯での昼メシを食い――


「ごちそうさま。海老カツ、美味しかったわ」

「そりゃよかった。シーチキンマヨと昆布とチキンも美味かった」

 俺も大食いではないが、さすがに高校生男子はおにぎりだけでは足りない。


「じゃあ、勉強を始めましょう。これは他意はないけれど、どこにでもあるアルミ定規よ」

「高校でアルミ定規なんて使うか!?」


 清耶香は、三〇センチのアルミ定規を手に持ち、先端をパシパシとてのひらに打ちつけた。

 完全に躾け用のムチ代わりじゃないか。


 怖いので、さっさと問題集とノートを広げ、一つずつ問題を解いていく。


「つーか、清耶香……」

 俺は周りを確認する。

 声が聞こえそうな範囲に、他のクラスメイトはいない。


「学校ではいつもどおりなのか。切り替え、大変じゃないか?」

「メイドのことを話せる相手は秘密を守れる人に限るわ。万里辻家令嬢は例外中の例外ね」

「なるほど……」


「一〇〇万も払って通うのだから、私の学校生活も守っていくつもりよ」

「まあ、学校でも俺に仕えたりしたら、どんな目で見られるかわかったもんじゃないな」


「家ではしっかりメイドをやるから安心して。まったく、早く私を服従させたかったくせに、変な意地を張るから、屈服させる屈折した喜びを今日まで逃すことになったのよ?」

「俺に歪んだ欲望があるみたいに言わないでくれるか?」


 正直、メイド服姿の清耶香はぐっと来る。

 好きな女子がメイド服を着ていて、なんとも思わない奴なんて俺は認めない。

 でも、これは口には出せない。


「はい、しゃべってるときも手は止めない。どんどん問題を解くのよ」

「そんな器用なことできるか。この問題集、けっこうレベル高いぞ」

「……そうね、レベル高いはずよ」


 清耶香は俺のノートを取り上げ、じろじろと眺め始める。


「なぜ、こんなにすらすら解けてるの? 私でも時々手が止まるレベルの問題集よ?」

「意味ありげに言ってるところ悪いが、あれだけ連日問題集を山積みにされれば、瞬間最大風速的に学力も上がるからな?」


 なんなら、凄いのは清耶香だよ。

 たった数日で俺の学力を一気に底上げさせたんだからな。


「ついでに家庭教師代を払ってもいいくらいだな」

「継司くんを鍛えてるのは私の個人的事情だから、お金はもらえないわ」


「個人的事情……? 俺をイジめて喜ぶことを事情っていうのか?」

「確かに継司くんにビシビシ教えるのは私のドS心に火をつけているけど、楽しんでいるのは副産物よ」

「楽しんでることは否定しないのかよ」


 まあ、面白くなきゃ必要もないのに俺に勉強なんて教えないか。


「そうだ、ついでだからここでいろいろと決めるか」


 再び、ちらっと周りを見る。

 教室内に、こっちを気にしてる生徒も少なくないようだが、妙に距離が空いている。


 俺と清耶香の会話を気にしつつも、明らかに盗み聞きするようなマネはプライドが許さないというところかな。

 良家の子女たち、上品に育てられたせいで盗み聞きはできないか。


「最初に話したとおり、一〇〇万は契約料だ。ひとまず、今年度分ってことにしよう」

「年度内に途中でメイドを辞めたりしない限り、もらえるお金ということね」


「そうだ。縁起でもないが、病気やケガの場合は考慮する。ただまあ、一〇〇万を返してくれなんて言うことはまずない」

「継司くんが私を買い取ったお金はありがたく使わせてもらうわね」

「なにか余計な一言が」


 冗談なのはわかってるけどな。


「ただ、学費を払うだけじゃ意味がない。清耶香にも生活があるんだからな。給料は支払う。衣食住は保証する。学費以外に学校で必要な費用も清宮家で出す。それとは別で、毎月の給料も出そう」

「だいぶ手厚いわね」


「給料そのものは安い。バイト代程度だと思ってくれ」

「充分よ。衣食住があれば他にいらないくらいだわ」

「真面目な雇用契約だからな。しっかり払わせてくれ」


 跡取りじゃなくても、生まれながらにして人の上に立ってきた父を見てきた。

 それで、確信したことが一つあるとしたら。


 古今東西、正当な報酬を払わない人間には人を雇う資格がない。


「そうだな、教室で言うのもなんだと思うが、ここで一つはっきり言わせてくれ」

 俺は問題集とノートを閉じて、机の上に両手を置いた。


「もうなにも心配しなくていい。これからは俺が清耶香を守る」


「…………」

 清耶香は無表情で、じっと俺の目を覗いてきている。


 あれ、リアクションが思ったのと違う?

 割と思い切ったことを言ったつもりで、なんなら言いすぎたと思ってるくらいなのに。


 いや、正確に言うなら“清耶香を守る”じゃなくて、“責任を持って清耶香の生活を保護する”だよな?


 言葉足らず? 誤解を招くようなことを言ってしまったか?


「清耶香、もっと詳しく言うなら――」

「言わないで」

「え?」


 清耶香はそう言ったかと思うと。


 無表情のまま――左目から、ぽろりと涙が一筋こぼれた。


「よかった……私、これからどうなるのかって……勉強しかできないし、性格悪いし、一人で生きていくなんて絶対無理で……本当に人生終わっちゃうんじゃないかって……」


 小声で途切れ途切れの言葉だが、俺には全部聞き取れた。


 そうか、清耶香は本当に不安だったんだな。

 当たり前だよな、綺麗で優秀な孤高の氷坂清耶香だって、まだ高校一年生の女の子だ。


 家族とも離れ、住む家もなく、緊急避難とはいっても他人の家に潜り込んで暮らしていたんだから。


 これで不安にならないはずがない。

 俺はなんで清耶香の不安に気づかず、あんな突き放すような態度を取ってしまったんだ。


 元から、清耶香のことが好きだったのに。


 だから、ここからは間違わない。

 今、周りからどんな誤解をされても知ったことか。


 俺がやるべきことは、清耶香を連れ出すことでも、周りに言い訳することでもない。


「……継司くん」


 俺は、手を伸ばして清耶香が机の上に置いていた手を握った。


 不安で泣いている女の子にできることはこのくらいだが――間違っていないはずだ。

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