第18話 メイドはご主人様の危機を知らない
「おい、ちょっと来いよ、清宮」
「…………」
昼休み、昼食を済ませてスマホを取り出したところで声をかけられた。
岩蔵朋一という同じクラスの男子で、派手な茶色に染めた髪に長身で目立つ奴だ。
中等部からサッカー部で、高等部でも期待のルーキーらしい。
俺はスマホをポケットにしまい、岩蔵とともに教室を出る。
しばらく歩いて校舎を出て、裏庭に着いた。
大昔に使われていたという焼却炉やゴミ置き場がある。
「今はゴミは全部業者が回収してるもんな。昔は、学校でゴミを燃やしてたとか信じられないな」
「おまえみたいなゴミも燃やせるもんなら燃やしたいな、清宮」
「校舎裏に呼び出しっていうのも古いな。昔のヤンキー漫画みたいだ」
はは、と俺は笑う。だが、岩蔵のほうは笑っていない。
こいつも俺を嫌ってる――というより、下に見ている連中の一人だ。
上流階級あるあるで、“庶民のことには無関心、ただし同じ階級の中でのランク付けには敏感”というのはよく見かける。
俺のように名門の生まれであって、婚外子という祝福されない出自の人間は、彼らには酷く目障りらしい。
今でも名家は、互いにやんごとない貴種同士で結婚し、血統を保っていく。
昔、ヨーロッパでも屈指の名家は他家の人間の血を入れず、血が繋がったイトコ同士、伯父と姪などの近親婚を繰り返していたという。
もちろん現代ではそこまで極端な名家はないが、結婚相手の家柄へのこだわりは今でも健在だ。
まだ高一の万里辻杏璃でも、結婚を本気で考えているのを見てわかるとおり、俺たちの社会は普通じゃない。
ごく狭い特殊な社会で強い繋がりを持っている集団だからこそ、“異物”への拒絶反応もまた強烈なわけだ。
「おい、清宮。なにをヘラヘラしてんだよ」
「ああ、悪い。なにか真面目な話があるのか?」
「おまえ、最近調子に乗ってねぇか?」
「…………」
この岩蔵は普通に俺を嫌ってるが、こいつの背後に誰がいるのかわかってる。
岩蔵は藤河公太郎の子分だ。
藤河はバスケ部、岩蔵はサッカー部で部活が違い、この二人は普段はあまりつるんでいないが、岩蔵が藤河系の分家で未だに主従関係にあることは周知の事実だ。
「毎日、氷坂とお勉強してずいぶん楽しそうじゃねぇか?」
「勉強を楽しめるなら、テストでももっと高い順位を取ってるよ」
「いや、おまえには無理だな。おまえなんかがいくら頑張ったところで上には来られねぇよ。来られないよな?」
上位に来るな、と言ってるのか。無茶を言いやがるな。
俺だって、別にテストで手を抜いて真ん中の順位にいるわけじゃない。
清耶香にあれだけ熱心に教えられたら、順位を上げるなというのは無理がある。
「今朝は万里辻さんとお茶してたってな?」
「そういや、お茶は出なかったな。万里辻さんと同じ茶碗で飲みたかったなあ」
「キメぇ」
さすがにこれは、岩蔵の言うとおりだ。キモい。
「マジで調子乗んなよ、清宮。わからせてやろうか?」
「うわ……」
まるで悪役の台詞だ。
そう思ったのと同時に、後ろから何人か近づいてくるのがわかった。
ちらっと背後を見ると、見覚えのある男子が五人ほど歩いてきている。
全員、サッカー部部員で、岩蔵の仲間――ついでに藤河の子分どもだ。
六人か……しかも全員、性格は腐ってるが、腐っても体育会系。
これだけいれば、俺を取り押さえ、目立つ傷をつけずに袋叩きにするのも簡単だろう。
岩蔵が俺に近づいてきて、胸ぐらをぐっと掴んでくる。
「まったく、面倒くせぇ。カスが調子に乗るから、昼休みを潰してこんなマネを――」
「おー、こいつはスクープだね」
カシャカシャカシャッと、スマホのシャッター音が続けて響いた。
「なっ……なんだ!?」
岩蔵がそちらに向き直る。
焼却炉の後ろから、ひょこっと身を乗り出してスマホを向けてきている女子がいた。
というか、金髪ショートの曾我野舞姫だった。
「あの名門、総秀館学院にもイジメがあった! ヤキイレの現場を目撃! これはバズる!」
「おい、曾我野! てめぇ、ふざけんなよ!」
「あたしはいつでもふざけてるよ。知ってんでしょ、岩蔵?」
「ちっ……!」
舞姫は岩蔵に凄まれてもまるで動じない。
こいつ、度胸据わりすぎだろ……。
「曾我野! 写真消しとけよ!」
「ハイハイ、なかったことにしてあげるよ。あたしも騒ぎを起こすのは本意じゃないからね」
舞姫がスマホの画面を岩蔵に向けて、写真アプリを操作して数枚の写真を消していく。
岩蔵も馬鹿じゃないので、“取引”が速やかに成立したようだ。
「……おい、清宮。さっきの話は忘れんなよ?」
「覚えとく、覚えとく」
俺が頷くと、岩蔵とその取り巻きたちはさっさと裏庭から去って行った。
舞姫にこれ以上写真を撮られることを避けたいのだろう。
「舞姫、おまえよく現れるなあ」
「その前に言うことない?」
「助かった、舞姫」
「よく言えました――って言いたいとこだけど、ホントかなあ?」
「なにがだ?」
「あたしが助けたの、ケージなのか岩蔵どもなのか。どっちだろって思って」
「どう考えても俺だろ」
あのままだと、岩蔵にボディの二、三発はぶん殴られていただろう。
「危うく、さっき食った鮭おにぎりとテリヤキチキンたまごサンドと再会するところだった」
「汚いなあ。ケージ、下品」
舞姫は、割と本気で嫌そうな顔をする。
「でもさあ、ケージ。岩蔵の馬鹿はともかく、最近目立ってるよね」
「俺が目立ってるんじゃなくて、目立ってる清耶香が俺に絡んでくるせいかな」
「そこだよ、そこ」
「ん?」
「氷坂さんを“清耶香”とか下の名前で呼んでるの、校内でもケージだけじゃない?」
「……そうかも」
清耶香は特に親しい友人がいるようには見えない。
俺とは別の意味で浮いているからなあ。
「まずいな。今からでも、氷坂さん呼びに戻さないと」
「遅すぎんでしょ。もうあんたの清耶香呼び、校内で広がりすぎて定着してるまであるから」
「うーむ」
俺は家では普通に清耶香呼びだ。
しかも清耶香が毎日学校でも絡んでくるものだから、苗字呼びにしてもいつか絶対にボロが出る。
勉強中は頭のリソースを問題に割り振ってるからな。名前の呼び方にまで注意を払えない。
「ケージ、ボロが出始めてるよね」
「ボ、ボロ?」
「清宮継司、家格A・学力C・スポーツC・容姿C・素行D・学習外活動E」
「なんだよ、そのランク付け?」
学習外活動というのは、部活や委員会のことか。
そもそも俺、部活も委員会も入ってないからランクが低いのはわかるが。
「情報屋の舞姫ちゃん調べ、総秀館高校在校生ランキングデータより」
「なにを調べてるんだ、なにを」
「で、トータルB」
「意外と高いじゃないか」
「家格の高さが飛び抜けてすっ飛んでるからねぇ」
「すっ飛んで……」
清宮家の家格の高さは良くも悪くも充分に知ってるつもりだったが、そんなに評価高いのか。
「ん? 素行D? 俺、なにかやったか?」
「生徒の間でクズ扱いされてるじゃん。いつもヘラヘラしてるのもマイナス。よーく見ると、そこまで顔も悪くないのに態度で損してるよね」
「もっとキリッとしてればモテるのかな」
俺はわざとらしく、口元を引き締めてみる。
「キモい。あと、ケージはモテるの禁止ね」
「舞姫になんの権限があって!?」
「とにかく、ダメ。ケージはモテないで」
「マジでなんでだよ」
軽い冗談だったのに、なんて理不尽な。
どんな顔したって俺がモテないのはわかってるよ。
「まあ、前置きが長くなったけど、トータルBのケージがトータルSSの氷坂さんとイチャイチャしてたら、そりゃ睨まれるよ」
「清耶香はSSなのか。クソ高いじゃないか」
俺とは逆で家格以外が高すぎて、AやSを越えてSSなんてランクになってるんだろう。
そっちはまったく納得いく。
清耶香なら、容姿なんてSSSでもいいくらいだ。
「ちなみに万里辻さんもSS。あの人、成績は上位30くらいなんだよね。運動はむしろ苦手みたいだし」
「あー……」
万里辻の場合、家柄と容姿以外のスペックはトップクラスとは言えない。
「万里辻さんは、今時珍しく“良妻賢母”を目指してるらしいからな」
これは以前、本人から聞いた話だ。
「社会に出る気がないから、勉強や運動を頑張らないわけか。ま、生き方は本人の自由だもんね。なんならあたしも社会に出ずに、養われたいわー」
「舞姫の場合は、ニートになりたいだけだろ」
曾我野家が、働かずに一生暮らしていける財産を持っているのかは知らない。
「あたしのことはいいんだよ。最近のケージの行動は目に余るってわけ。あたし的には面白いけど、岩蔵みたいな連中にはね」
「…………」
他人に迷惑をかけてるわけでもないのに、俺がなにをやろうが自由だろうに。
本当に、この総秀館は――いや、上流階級社会って奴は息が詰まる。
「なにを言われてもヘラヘラして乗り切ってきてたのに、氷坂さんや万里辻さんと目立つことして。あたしだけとイチャイチャしておけばよかったのに」
「おまえとイチャついてなんか――え、俺ってそう思われてたのか?」
「あたし、ケージ以外とイチャついた記憶ないからね」
「記憶、捏造してね?」
舞姫にはからかわれているだけで、あまり女子として意識したこともない。
「そりゃ目立つよ。校内トップ3の美女の氷坂さんとあたしを名前呼びしてるわけだしね」
「自分をさりげなくトップ3に入れるなよ」
「あたしってむしろ、校内で一番可愛くない?」
「胸は清耶香のほうが上だな」
「うぇ、最低」
舞姫が冗談でなく、ゴミを見る目を向けてくる。
別に俺は女子を胸で差別しないが、まあ清耶香のほうがデカいのは確かだな。
「氷坂さん、おっぱいすっごい大きいよね。Fとかありそう。あたしは、Dだけど」
「サイズを言うな、サイズを」
「Dってけっこう巨乳扱いだよ。どう、揉んでみる?」
「タダなら揉む。今すぐに」
「ちっ、疑り深くなったね、ケージ」
「やはり、取引に使われるところだったか……危ない」
舞姫の胸なんて揉んだら、引き換えになにを要求されることか。
ピンクのスクールセーター越しの胸は魅力的だが、危険は冒せない。
「万里辻さんは貧乳だね。Bあるかどうかって感じ。ケージ、どのくらいか見たことある?」
「あるわけないだろ!」
あと、貧乳とかド直球でディスるんじゃない。
「胸のサイズは簡単に序列がつけられていいよね。氷坂、曾我野、万里辻か」
「そこは好みも関わってくるぞ。小さいほうが好きな男もいることを忘れんな」
「ケージは巨乳好みじゃん。氷坂さんのおっぱい、たまにチラ見してるよね」
「そんなことは――え、俺、そんなことしてるか?」
「…………」
「黙るなよ! いつも無駄に口数多いくせに!」
舞姫が気づいてるなら、きっと清耶香本人も気づいている。
もし俺が清耶香の胸を物欲しげにチラチラ見ていたりしたら――
なんだろう、実は清耶香に軽蔑されていたら立ち直れそうにない。
「今後は気を引き締めて生きていくか……」
「うわ、思った以上にマジになってるじゃん。別に女子のおっぱい見るのはいいでしょ。減るもんじゃないし」
「今時は、見るだけでもセクハラになるんだろ」
「良くも悪くも氷坂さんは気にしないんじゃないかな。あたしも、お金くれたら、乳の一つや二つ、見てくれていいよ」
「減るもんじゃないのに、金を要求すんのかよ」
なんて理不尽な話だ。
「でもさ、あたしがいつでも助けられるわけじゃないし、気をつけてよ。ケージは目立たずに学校生活を終えるのが目的でしょ?」
「それが清宮家のためにできる、唯一のことだからな」
清宮の後継者どころか、一族の人間として認められない。
だが、れっきとした清宮家当主の息子。
この微妙すぎる立場の俺が、良家の子女たちが集まる総秀館での生き方は他にないだろう。
清耶香は俺を学校のトップに据えるとか言ってるが、そもそも無理だし――たぶん、清宮が許さない。
もし俺が目立つマネを始めたら、妨害が始まるんじゃないだろうか?
清宮一族による本家長男の粛清――下手すると上流階級社会を揺るがす大事件になったりしてな。
「なに笑ってんの、ケージ」
「いや、想像の翼って際限なく羽ばたくもんだな――って、うん?」
そのとき、校内アナウンスのチャイムが聞こえてきた。
「一年B組、氷坂清耶香さん。一年B組、氷坂清耶香さん。進路指導室まで来てください」
「え? 清耶香?」
「氷坂さんの名前呼ばれたね。一年生が進路指導室?」
俺は思わず、舞姫と目を合わせてきょとんとしてしまう。
生徒個人の呼び出しだけでも、あまり良いことと思えないのに、その呼び出し先が進路指導室とは。
「ま、まさか……」
清耶香がウチでメイドをしてることがバレた?
いや、俺はまだ正式にメイドとして雇ってるわけじゃないから、ただ単にクラスメイトと同居してるってだけ――
って、そのほうがまずいのか?
俺の家で働いているならまだ言い訳も立つ?
待て待て、それも違う。
もしも同居がバレたのなら、進路指導室への呼び出しはおかしいよな?
「ケージ、なんか思い当たることでもあんの?」
「い、いや、別に」
明らかに怪しいと自覚しつつも、俺は首を振った。
学年首位の成績で、清耶香は上流階級のしきたりも関係ないので、トップクラスの大学への進学を考えろとかそういう話かもしれない。
いや、考えすぎても仕方ない。さっきの呼び出しだけではなにもわからない。
「ふーん……ケージ、あたし、ちょっとお花を摘んでくるね」
「おまえ、情報を探りに行くつもりだろ!」
「舞姫ちゃんの情報ソースは生徒ばかりじゃないんだよ」
こいつ、教師からも情報を探ってるのか。
まさか教師の弱みを握って情報を引き出してるんじゃないだろうな?
ただ、進路関係の問題なら、学校側から情報を探ったほうが……。
「舞姫、もしなにかわかったら、俺に教えてくれ。取引には応じる」
「躊躇いなくクラスメイトの秘密を金で知りたがるんだね、ケージ。クズというよりゲスい」
「……誰だって、人の秘密は知りたいもんだろ」
特に、氷坂清耶香のような目立つ美少女の秘密なら知りたくないほうがおかしい。
もちろん俺は、一緒に暮らしてる女子の秘密を放っておけないからだが。
岩蔵や藤河のことなんて、もうどうでもいい――
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