✦✦Episode.17 森の奥を目指して ✦✦

✦ ✦ ✦Episode.17 森の奥を目指して





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 部屋の中に、少女がすすり泣く声が響いている。 胸の奥が焼けるように熱い…涙を止めようにも、永遠と零れ落ちて、頬を伝っていく。 シエルは小さく丸まって、肩を揺らしながら泣き続けていた。


「信じたくない――! なんで……どうしてこうなったの…」

「シエルや…どうか落ち着いておくれ…」

「…っ離してください!」


 ノアは椅子から立ち上がり、取り乱したシエルの傍によると肩にそっと手を触れた。 シエルは、怒りの矛先をどこへ向ければいいかも分からずに――ノアの手を振りほどいた。


「どうして、こうなる前に助けてあげられなかったの…っ!!」

「災いの翼だなんて…クロトは悪く無いのに…どうして彼が選ばれたの…?」

(――まったく、この子の言う通りだ。 私が、クロトに教えたのだ…黒い翼は“災い”であると――嘘をついた)

「シエル…私が…(私が――悪いのだ)」


 ノアは、何かを言いかけ、ふっと口をつぐんだ。 わずかに肩を落とし、シエルから視線を逸らす。 言葉にしてしまえば――すべてが壊れてしまいそうで、胸の奥に感じた葛藤を、ただ静かに飲み込むしかなかった。


(……全てが……あの子を護る為に……)


 ノアの胸に秘めた思いは、誰の目にも耳にも届かない。 ただひたすらに、彼を護ろうとしてきたことが裏目となってしまった。 ノアは杖を握りしめる手に力を込めた。


(ただそこにあるはずの幸せを――あの子に与えたかっただけだ)

(たとえ、叶わないと知っていても……)


 少女がすすり泣く声は、次第にかすれて小さくなっていった。  


「――お願いだから、一人にして……」


 シエルは膝を抱えて、顔を伏せ、その表情を見ることが出来ない。 ただ、彼女の長い髪が涙で滲んだ瞳を隠すように、垂れ下がっていた。


「……わかった。 落ち着いたら出てきておくれ」


 ノアは静かに部屋を後にすると、そっと部屋のドアを閉め……医院の方へ向かっていく。 近くに咲いていた白いチューリップの花が、まるで恋を失った悲しみを伝えるかのように…地面にひらひらと舞い散り始めていた。




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「クロトがいなくなったら、私…どうしたらいいの…?」


 シエルは、誰もいなくなった部屋でひとり、壁にもたれかかって天井を見上げた。 見慣れた木の天井。その木目を目線でなぞって、心の中に押し寄せてくる寂しさを紛らわそうとした。

  初めて出会った時から、自分とは違う光を纏った、特別な存在だった。 彼の手の温もりを思い出して――触れた指先が、まだとても温かい。


「クロトも…あの時こんな寂しい気持ちだったのかな…?」


 心無い言葉に傷つき、ひとりこの部屋で孤独に耐えていた――あの時の彼は、小さな子供のように誰かの愛を求めて、すがるように泣いていた。 

 彼が必死になって隠してきた…漆黒の翼。 そして――背中の紋章。 何もかもが、シエルとは正反対だった。


「全部…私には無い色……」


 森の中で彷徨って、不安だったあの日……クロトは見捨てないで助けてくれた。 彼の優しさが、何よりも暖かく感じられた。 一人でも強く生きて行ける知恵を持ち、困っている人には迷わず手を差し伸べてくれる。 不器用ながらも――真っ直ぐで、曲がりの無い性格だった。

 それゆえに、繊細で傷つきやすくて……そして、それを誰にも悟られない様に、心の中に壁を作っていた。


「だから…私が、全部受け止めてあげたかった…」


 彼の優しい所も、少し意地悪なところも…そして、ちょっと照れた顔も……泣いていた顔でさえ、全てが愛おしく感じていた。

 彼の表情を一つ一つ思い出すたびに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。 見間違うはずのないあの瞳…。 心の奥底に見える悲しみが、深い海の色を宿して……誰にも触れて欲しくないと怯えていた。


(ずっと傍に居たかった――クロトを、もっと、強く抱きしめてあげればよかった……)

「私、本当にクロトのことが好きだったの…」


 ぽつりと寂しく呟いた声が、部屋の中を彷徨った。  声の音色は静かに空間を漂って、窓辺に置かれたパンジーの花を微かに撫でた。 花はわずかに光を帯びて、風もないのに揺れていた。


「あんなに、大切だったのに――私が、壊しちゃったんだよ…」

「もう――きっと、許してもらえないよね……」


 自分から望んだ事じゃなかった。 なのに…起きてしまった事の全てが、罪悪感と言いようのない怒りに変わっていく…痛みが、胸の奥に突き刺さって、ズキズキと傷口を広げていく。

 もう何もかもが信じられない。 もう、誰も傷つけたくないのに、誰かに近づけば…また傷つけてしまうかもしれない恐怖が胸を襲ってくる…。


 こんな自分を許して欲しいという気持ちと、許されるはずがないという葛藤が、心の中で渦巻いて…それを上手く言葉に言い表せない。

――これが、孤独という事だと…シエルはこの時初めて強く感じた。


「辛い……苦しくて、寂しくて…すごく悲しい…」


 彼は、この痛みに独り――何年もの間、耐えてきたのだ。 今までも――そして、これからも。 彼が生きている限り感じる痛みだと、深く知って……シエルは震えながら膝を抱えてうずくまった。


「こんなの…私、耐えられないよ…っ!」


 今、すぐにでも、誰かに助けて欲しい。 もしも、全て忘れることが出来たなら――どんなに幸せだろうか。

 堕ちて行く光の中――誰かに手を差し伸べる勇気は、もうどこにも残っていなかった。 彼女の瞳から、小さな光が失われていく。

 助けて欲しい、救われたいと…心の奥底から叫び声を上げていた――




『…しえる、ねぇ、しえる。

    本当に…彼を諦めちゃうの?』


「えっ…?」


 ふっと、何かが髪を撫でた。 誰も居ないはずの部屋の中…耳元で、微かな声が聞こえてきた。 意識を集中させておかないと、かき消えてしまいそうな程の……小さな声。


『…彼を探さないの?』


「誰の声…?」


 どこか懐かしくて、優しい……聞き覚えのある声。 シエルの周りには、いつもその気配があったというのに、彼女にはもうそれが見えなくなっていた。


『しえる…ぼくら花の妖精達は、君と常に共にいるでしょう?』


 小さな声は、幻聴のようにシエルの隣で囁いている。 ふわりと、あたたかい空気が周りを包みこみ……先ほどまで感じていた孤独が、どこか遠くに薄れて行った。


「この声……一体、どこから…?」


――パサッ

 手元に落ちた、その花は…あの日子供たちがくれた物と同じ、白の混ざったたんぽぽの花。 一体どこからこの珍しい色を摘んで摘んでくるのだろうか。 


『私を探して――彼は、きっと君を待ってるよ、だから――』


「あっ…あぁ……」

(――クロト!!)


 シエルは、震える足で立ち上がる。 彼女を突き動かしたのは……他でもない、彼を一番に思う気持ちだった。 

 一度、誰かを好きになってしまった心は――もう後に引くことは出来なかった。


「私、何で簡単に諦めようとしていたの……?」


 失ってから――初めて、その大切さに気が付いた。

 出会ったあの日から、本当にクロトの事が大好きになっていった。 今、ここで諦めたらその気持ちさえ否定してしまう事になる。


(たとえ許してもらえなくても、ただ……伝えたい。

  私は、あなたの傍にいさせてほしいって……!だから――私はもう迷わない!!)


「どんなに離れようと私は、必ずあなたに会いに行く――!!」


 シエルは、窓辺に手をかけそっと外の様子を確認するように頭だけを覗かせた。

――窓の外では、ノアが人払いをしてる姿が見えた。 シエルは静かに窓から身を乗り出して、部屋の外へ抜け出すと、物陰に隠れながら、裸足のまま森の奥を目指して駆けて行った。


『…しえる。 君が僕らを見えなくなっても、必ずいつも側にいるからね。』




✦ ✦ ✦




 日差しは既に真上に差し掛かっている。 シエルは家の裏に、身を隠しながら誰の目にも触れないように進んでいく。 ふと、通りすがりの親子の声が聞こえて来くると……息をひそめて、そっと聞き耳を立てた。 


「ねぇ、ママ…」

「はいはい、なんですか?」

「クロトおにいちゃんは、どこいったの…?」

「しっ、いけません…あの人はとても悪い人なのよ!」

「ママ…?お兄ちゃんは、悪い人じゃないよ…?」

「いけません!!誰かに聞かれたらどうするの!」


 聞こえて来た会話に、シエルは悲しみと、恐れに身を震わせながら……親子が立ち去るのを待っていた。

 やがて気配が遠ざかり、そっと足先を伸ばして忍び足で、誰もいない道を進んでいく。


――ガサッ

 突然、近くの茂みが音を立てて揺れたかと思うと、中から子供たちの話す声が聞こえてきた。 葉の隙間から覗いた影は、円を描いて――ツツジの茂みの奥で、何人かの子供たちが集まって、ヒソヒソと小さな会議を開いているようだ。


「なぁ。 最近大人達おかしいと思わないか?」

「そうよ! パパとママ、クロト兄ちゃんが悪い人だって……あんなに優しくしてくれたのに……」

「お祭りだって行っちゃいけませんって、家から出してもらえなかったのよ?」

「あんな美味しそうなジュース、大人だけのんでさぁ、ずるいよな!」

(よかった……。 この子たちが、あれ・・を飲んでいなくて……本当によかった)


 子供達があの毒の入った飲み物を口にしなかったと知り、シエルはホッと安心してその脇を通りすぎていく。

 誰にも気が付かれることなく――村の入り口から森の中へ足を踏み入れると、近くにあった木々の間に身を隠して進み始めた。


「知ってるか? あいつんとこの父ちゃん、祭りの後からいなくなったんだって。 すごく、落ち込んでるんだよ」

「え――? だから元気なかったんだ……」

「――あれっ!? シエルねぇちゃんじゃない…!?」


 ふと、子供の一人が、見覚えのある後ろ姿を見て、茂みの中から思いっきり身を乗り出した。 

 子供達はキョロキョロとしながら、シエルを探している。


「えー?どこどこ! うーん…いないよー?」

「ぜったいそこにいたってばぁ!」

「いないねー」

「みまちがいだろー?」

「絶対、いたんだもん――!!」


 探しても、その姿は見当たらず、子供たちは口々に言葉を発しながら……また、ツツジの茂みの中に身を埋めて隠れていった。

 シエルは、ひやひやとしながら、木の後ろに背中を貼りつけていた。 子供たちの、声が聞こえなくなると…ふっとため息をついて、身をかがめながら奥へ奥へと、進んでいく。


(――森の奥は静かね……)


 風の精霊が、シエルの後を追いかけて、木々の間をすり抜け、優しく葉を揺らしていた。

――微かに遠くから聞こえてくる滝の音を便りに、ヒタヒタと音をならして素足で彼と歩いた道を進む。


(静かすぎる――こんなに静かだと、嫌なことを沢山思い出してしまいそう……)


 再び、不安が胸の中に押し寄せてきそうになった時、ぎゅっと何かに指先を握られている感覚がして、少しだけ気持ちが緩み――ふっと微笑んだ。


「うふふ、私の事……慰めてくれているの…?」


 彼女の周りには、小さな妖精たちが沢山集まって…愛おしそうに抱きついている。 シエルの瞳は涙で潤んで……その微かな輝きをとらえる事すら叶わず……小さな気配を感じ取ることしか、出来なくなっていた。


(もうすぐ…もうすぐ進めば、二人で座って話した、あの木が見えてくるはず……)


 シエルの胸の内に、少しの希望が見えて来た。 彼があの場所で、こっそり自分の事を待っているのではないかと……淡い期待を抱きながら、ぼんやりとしながら、森の中をひとりで進んでいく。

――期待は、確信に変わっていく。 視界の端に、倒木がうつり始めると、その上に誰かが座っている影が見えて来た。


「…クロト?もしかして…そこにいるの…?」


 幻覚ではない……確かにそこに“居る・・”日差しがちょうど遮られ、影になって、そこに誰かが居る姿だけしか分からない――でも確かに存在している。


「あぁ…クロト? 本当に――そこにいるの?」

(探しに来て、良かったかもしれない……全部、嘘だったかもしれない……)


 シエルは期待に胸を膨らませて、喜びの涙で顔をほんの少し歪ませて、その影に向かって走っていった。 踏みつぶした木の枝が、彼女の足を傷つけて行く――そんなことも気にせずに、今すぐにでも、彼の元へ行きたいと気持ちだけが――進んでいく。


「ぜんぶ――嘘だったよね! みんなが、嘘をついていたんだよね?」

「あなたは、災いの神子なんかじゃ……」


 木々を走り抜けて、シエルは倒木のすぐ近くまでやって来た。 狭まった道を潜り抜けようと必死に葉をかき分けて、進んだ。 影は、こちらをじっと見つめて――その影を掴もうと、必死に手を伸ばし…ついに、道を抜けて、倒木の前へ進み出た――



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