第27話 緑の魔女・2
「うーむ、これはどういうことだ?」
最初に唸り声を上げたのはユージーンだった。
ジェレルとレナーテも厳しい表情でルナリアの検査結果を見つめる。
「ルナリア嬢が『紅の秘宝』の力を使ってから、もう3ヶ月は過ぎた。それなのに魔力は使い切った状態のままだ。魔法が使えない人の魔力平均値を100としても、3くらいしかない。全然回復していないのはなぜだ?」
「魔力は、気力に大きく左右されるものだから、無気力の状態が続けば魔力は回復しないでしょう。ルナリア様は無気力な状態が長く続いたのではありませんか」
レナーテに問われたジェレルは小さく頷いた。
「そのとおりです」
「それにしても数値が低すぎるな。このままだと、もう一度あの力が発現したら、ルナリア嬢は確実に死ぬ。早急になんとかしないとルナリア嬢の命が危ういぞ」
ユージーンは椅子の背もたれに身を預け、頭を
ジェレルとしては最も危惧していた結果を目の前に突きつけられ、胸の中は後悔や憤り、そして焦燥感でいっぱいだった。
「なんとしてもルナリアの命は守ります」
「もちろんだよ。紅の秘宝を取り出す方法を見つけるまでは、とにかく魔力を満たさねば。レナーテ様、気力を充実させるには、どうすればいいですか?」
レナーテは顎に人差し指を当てて思案する。
「そうね。……恋、とか?」
「恋って、恋愛の?」
「そうです。生きることに前向きになれたら、気力も充実してくると思います。だから魔力を満たすのに、恋はとても効果的ですよ」
レナーテの返答を聞いたユージーンは、ニヤニヤしながらジェレルを横目で見た。
「ジェレル、君が正しかった」
「師匠が何をおっしゃっているのかわかりません」
ジェレルが愛想のない顔でユージーンに答える。
「今日のルナリア嬢は生き生きしているじゃないか。いい傾向だよ。この調子でもっとルナリア嬢と仲良くしたまえ」
「おそらくルナリアは私と仲良くなることを望んでいません」
「そうか。だが、公衆の面前で見せつけるようにキスをしておきながら、そっけなくふるまうなんて、どう考えても悪い男の手口だぞ」
「師匠、私は……!」
「ジェレル、まさか自分は誠実な男だと言い張るつもりか? 結婚した理由をルナリア嬢に明かすこともしないくせに……」
これには言い返すことができず、ジェレルは
レナーテはクスッと笑い、自分の机の上から一枚の紙を手に取った。
「今朝、ユージーンから聞いた邪神側の情報をまとめてみました。いくつかジェレル様にお尋ねしたいことがあります」
「私が答えられることであればお答えします」
「妖獣使いの者が『尊師』と呼ぶ存在に心当たりは?」
「ありません」
「では『
「これは私の意見ですが、『主』は邪神を指す言葉だと思っています」
「なるほどなー。確かに神を信仰する人々は神を『主』と呼ぶ」
感心した様子のユージーンには一瞥をくれただけで、レナーテはすぐに次の質問に移る。
「それでは、例の魔剣で『
ジェレルはレナーテの視線を正面から受け止めた。
「本当です」
「いつ?」
「それは答えられません」
室内を沈黙が支配する。
レナーテとユージーンにどれほど見つめられても、ジェレルは固く口を閉ざしたままだ。
最初に根負けしたのはユージーンだった。
「本当に頑固なヤツだな。『裁きの雷』は月の女神の父、天帝神の力と言われている。あの魔剣がなぜその力を使えるんだ? しかもそのとき『尊師』の大事な人が死んだらしいが、そいつは誰だ? もしかして、あの山小屋の……」
「わかりません」
ジェレルがユージーンの言葉を遮るように返答した。
わからないのは本当のことだ。魔剣が「裁きの雷」の力を使える理由も、あの山小屋の中年男がいったい何者なのかも、ジェレルには不明である。
だが誰にも言えない秘密があるのも事実だった。
(あの妖獣使い、なぜ「裁きの雷」のことを知っていた? 見たのか?)
ダーラウのベレット邸で相対した妖獣使いは、
(誰がどこまで知っている?)
彼は自らの思考に
(山小屋の中年男は死んだ。しかしあの妖獣使いは、少女のことには言及しなかった。一部始終を見たわけではないのか?)
(少女の姿を見たなら、邪神側は彼女を放っておかないはずだ。だが彼女は砂浜で発見されて家族のもとへ帰ることができた)
(考えてみれば、あの少女の危機に魔剣が反応しないわけがない。中年男に身柄を拘束されている間、あれほど暴れていた魔剣が、邪神側に追われ、海で溺れている彼女を放置するとは考えにくい)
(経緯はわからないが、彼女は海で溺れ、何かの力によって助かった……)
何かの力――ジェレルの脳裏には一つの明確な答えが浮かんでいた。
(紅の秘宝、か)
(そうだな。
そのとき少女に『紅の秘宝』が宿ったと考えるのが一番しっくりくる。
だからこそ魔剣はその少女を守ろうとしたのだろう。月の女神の面差しを受け継ぎ、紅の秘宝を宿す宿命を負ったその人を死なせるわけにはいかなかったのだ。
ジェレルは魔剣の強固な意志に呆れたりうんざりしたりもするが、うらやましいとも思う。
それほどまでに誰かを
生まれながらに定められた王太子という身分。
ちょうどその時代に生まれたというだけで押しつけられた魔剣。
これまでのジェレルには自ら選び、勝ち取り、手放したくないと執着するようなものは何一つなかった。どれもこれも、いつ失ってもあきらめがつくものばかりだ。
(ゆえに執着は、私がもっとも軽蔑する感情だ。私にはそのような感情を持つこと自体、理解できない)
それなのにジェレルの中で密かに芽生え始めている欲望がある。
何かを、誰かを
それを知った自分は何を思うのか――。
「おい、ジェレル。聞いているか?」
急にユージーンの声がはっきり聞こえてきた。ジェレルはユージーンへ視線を向ける。
「ルナリア嬢の弟フォルシアンをなるべく早く国費留学させたほうがいい。トレヴァーがあの状態だ。ティンバレン大公家はどうもきな臭い。ダウデン王国ならアイツが面倒を見てくれるだろう?」
ダウデンとはウィンスレイド王国の北側に接する隣国である。国を挙げて学問や各種研究に力を入れているため、オーランティア大陸各国から優秀な人材が留学生として集まってくる。
ジェレルも何度か短期留学していて、その際に知り合ったダウデン王国の第3王子クロードとは親しい間柄だ。
「クロード・フォン・ヴァルトシュタインか」
「語呂がいいのはわかるが、なぜ毎回そう呼ぶ?」
ユージーンが呆れたように首を横に倒す。
「特に理由はありません」
「まぁいい。そのクロードからダーラウの疫病についての見解が送られてきた」
ジェレルはユージーンから渡された手紙に目を通した。
ダーラウ地方から他の地域へ感染が広がっていないことから、ダーラウを襲ったものは感染症ではなく、毒性の薬物だったのではないか、と書かれている。
「クロードの読みが正しければ、水に毒物を入れたのだろう。一応、水も採取してきたが、今さら何も出やしない。妖獣使いがダーラウで我々を待ちかねたと言っていたのも、証拠隠滅やら都合の悪いことを消し去る後処理をしていた可能性があるな」
ユージーンの推論にジェレルもおおむね同意する。もっと早くダーラウへ向かえば、何らかの証拠を得られたかもしれないが、ルナリアの安全確保が先決だったため後手に回ってしまった。
レナーテが口を開く。
「残る手がかりはトレヴァー卿ですね。騎士としての誇りを捨ててまでルナリア様を奪おうとした。こうして一度でもその道に踏み込んでしまったら、もう戻れなくなるのでは?」
「それはトレヴァーも承知の上ですよ。彼は騎士ではなく一人の男としてルナリア嬢を救いたいのです。彼女に結婚を強要し、己のもとより奪い去った極悪非道の王太子から、ね」
ユージーンの言葉でジェレルは目を鋭くした。だが、言い返す言葉もない。
ジェレルのやっていることも、非道の
「すべてが終わったとき、私の罪をすべて
ジェレルが静かにそう言うと、ユージーンは滅多に見せない鎮痛な表情でジェレルから目を逸らした。
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