眠り姫 -Ⅵ

 初等科の青いローブを纏って、小柄な体格は恐らく女子生徒。一瞬、アントンの胸に希望がわき上がったが。

 編んだお下げ髪、首元に巻き付く蛇。

「ロザリア」

 看護室にいたのは、家に帰ったはずのロザリアだった。

 期待しただけに、落胆は激しかった。ミリィのベッドのそばで所在なさげに縮こまるロザリアに腹が立って、アントンは厳しい言葉をぶつける。

「お前、散々ミリィに酷いことしておいて、よく顔出せたな!」

「ご、ごめんなさい」

 ロザリアはぎゅっとローブを握りしめて、反論もせずにアントンの怒りを受け止めていた。

「ミリィはあの後、何度もお前に会いに行ったけど、全部無視したよな。ミリィはロザリアなりに事情があったんだろうって言ってたけど、そんなこと知るもんか!」

「やめなさい。ここは看護室だよ」

 隣のベッド、衝立の向こうから静かに割って入った声に、アントンは噛みつこうとした。が、現れた人物に言葉を飲み込む。


「学長先生」

 グラント学長の背後には、共に調査していたというバロウズも控えていた。少し落ち着いて室内を見渡すと、ジグとメリッサも揃っている。ミリィの枕元には、いつも通り黒い羊ブラックシープが座っていた。

「ミリィを心配する気持ちはわかる。けれど、ロザリアを呼んだのは私なんだ」

「なんで、こんなやつ」

 学長相手に態度が悪いのは承知していた。声を荒げなかっただけ頑張ったほうで、ロザリアに対する苛立ちは抑えようもない。ままならない現状に対する、八つ当たりを含んでいる自覚もあったけれど。

「ロザリアには、ミリィに眠りの魔法をかけた者を探すため協力してもらおうと思っているんだ」

「協力?」

 ロザリアに特別なことができるなど、アントンには到底思えなかった。震えながら、アントンの顔色を窺ってるようなやつには。

「ミリィにはどうやら眠りの魔法がかけられているようなんだ。誰か、悪意のあるものによる行為だと思う。それで、春にミリィ……君も当事者か、ロザリアがトラブルを起こしただろう」

 ロザリアがミリィやアントンに何をしたかは、グラントも承知の上のようだ。その上で、ロザリアに何を協力させようというのか。


「そもそもロザリアのトラブルからして、何者かの悪意が働いていると私は睨んでいる」

「は……」

 あの、ねずみに対する嫌がらせや危険な決闘デュエルが、誰かの思惑。ロザリアによるものではなくて。まるで子どもの言い逃れのようにも感じるが、学長が言うからには。

「だから彼女に、その時のことを思い出してもらおうと思っているんだ」

「だったらとっとと、聞き取りでもなんでもすればいいじゃないですか」

 気持ちの置き所がわからなくて、つい拗ねた物言いになった。学長は嫌な顔一つせず、話を続ける。

「ロザリアには、記憶封じの魔法がかけられているようでね。これも自身の正体を隠すために、同じ人間がしたことだと思う。ロザリアが何者かとやりとりをした記憶を取り戻せるように、魔法を解いてあげなければならないんだ」

「それができるくらいなら、ミリィにかけられた眠りの魔法を解けばいいんじゃないですか?」

 この名高きヴェゼル魔法学校の長たるグラントなら、できることだと思うけれど。

 しかしグラントは眉根を寄せて、厳しい表情で言った。


「眠りの魔法は解呪に失敗すると、二度と目を覚まさなくなるリスクがある」

 心臓が跳ねて、息が止まりかけた。

「余計に深い眠りに落ちてしまい、そのまま命を落とした前例があるんだ」

 アントンは頭を振った。

 ミリィが二度と目を覚まさないかもしれないなんて、想像もしたくない。

「だから魔法をかけた本人に解かせるのが、一番安全で確実な方法なんだよ。記憶封じの魔法も解呪は大変なんだが、最悪、失敗しても封じられていた記憶が失われるだけで済む。もちろんそれは避けたいが」

「それじゃあ、早くロザリアにかけられた記憶封じの魔法を解いて……」

 アントンがみなまで口にする前に、ベッドの枕元から声がかかる。

『記憶封じの魔法を解く時、ロザリアには苦痛が伴うそうだ』

 西日も落ちかけた室内で、昏い瞳で黒い羊ブラックシープが言った。

 バロウズが黒い羊ブラックシープの言葉に続ける。


「長期間作用する魔法は、それだけ反動が大きい。特に記憶封じの魔法は、脳にも精神にも大きな負荷がかかるものだ。ひどい頭痛に吐き気に……医療的にも魔法でも、麻酔の類は気休めしか効かない。施術はつらいものとなるだろう」

「なるべく体に負担がかからないよう、苦痛が最小限のものとなるよう最善は尽くすがね」

『子どもが痛い思いするなんて、そんなやってられねえことあるか』

 体を折り曲げるようにして、黒い羊ブラックシープは頭を抱えた。

 唇をかみしめたロザリアの白い顔に、アントンの心がざわりと揺れる。

(でも、ミリィの身には代えられない) 

「ロザリアちゃんは、それで良いの?」

 労りに満ちたメリッサの声。何よりもミリィの回復を願っているだろうに、その娘と同じ子どもを苦しませるような真似は胸が痛むのかもしれない。

 アントンはミリィに目を覚ましてほしいからと、ロザリアに苦痛を受け入れてもらおうと思ったというのに。


「私、ミリィちゃんにいっぱい酷いことをしました。もしかしたら、何かの魔法のせいなのかもしれないけれど……そんなの言い訳になりません。だって、ミリィちゃんを独り占めにしたくて、いっぱい間違ったことを言ったのも。アントンさんに冷たくしたのも。全部、全部、本当のことなんだもの」

 ロザリアは何度も、ローブの袖で涙を拭う。心配するように、首元の大喰らいの蛇ビッグイーターがロザリアの頬にすり寄った。

「そういう良くない気持ちが、毒を撒いたり、イーターをけしかけたりするきっかけになったんだとしたら。やっぱり、私が悪いんです」

 涙が止まらないロザリアの背を、メリッサがそっと叩く。我が子にするのと同じように。

「私、ミリィちゃんに心から謝りたい。謝って、今度こそお友達になりたい。だからミリィちゃんが目を覚ます手がかりがつかめるなら、頑張ります」

 目を腫らしながらも、その瞳には強い意志が宿っていた。

(ああ、くそ)

 ロザリアの決意が罪滅ぼしでも友への想いでも、もうなんだって良いから。

「ロザリア……ミリィにこんなことをしたやつを、見つけてくれ」

 何もできない俺の代わりに、どうか。

 ロザリアの痛みを取りぞくことも苦しみを肩代わりすることもできないくせに、それでもアントンは彼女に託すのだった。








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