眠り姫 -Ⅳ
「その日は
幾分硬く、けれどはっきりとした声が部屋に響く。
その返答に、聞き取りを行っていた教師は得心したようにうなずいた。
「じゃあなんで、ミリィがまた倒れるって言うんですか!」
一方納得していない様子で、声を荒げたのはジグだった。
大声に負けじと、聞き取りに呼ばれたシノも反論する。
「私は当日の状況をちゃんと説明してるわよ! 大きく魔力を損なうような練習はしてないし、ミリィちゃんはシルキーとの相性だって悪くなかったもの」
ミリィは突如倒れ、意識を失った。
また魔力に体が耐えきれなかったのかとチームを問い詰めても、その日は負荷のかかるような練習をしていないという。初夏らしく汗ばむ陽気ではあったが、気象条件も体調に変調をきたすほどではなかった。
「
「私の大事な使い魔を、悪いように言うのはやめて」
高い声を抑えて、いつもより低い音でシノは言った。
「ミリィちゃんの体に、腫れた痕なんてどこにもなかったわ。毛にアレルギー反応を起こす人もいるけれど、検査の結果も出ないうちから非難しないで」
「じゃあなんで、今度は三日も目を覚まさないって言うんだ……」
唸るように言って、ジグは頭を抱えた。
「今回はハードな練習をしてないし、貧血か、元々体調でも悪かったんじゃないかって思ってたのに。いくら何でも三日も眠ったままなんて」
私だって心配なのよ、とシノは両手で口元を覆った。
ミリィが倒れる直前まで一緒にいたのだから、彼女も心を痛めているのは疑いようもない。
看護室内、ベッドに横たわるミリィを子どもたちは沈痛な面持ちで見守っていた。
「二人とも落ち着きましょう」
聞き取りを行っていたエヴァリットが、そっと二人の背中を叩く。
「ミリィは何か、良からぬ魔法の影響を受けている可能性が高いです」
エヴァリットの言葉に、ジグとシノは目を見張った。
「アレルギーや他の病気の可能性がないか、血液検査の結果も待っていますが。今、学長やバロウズ先生が調査を進めています。あなたたち兄妹のお母様にも、昨日の昼に隼を飛ばしましたから」
「母は今、南部に出張してるんです。魔法道具の大形展示会があって……」
ジグは肩を落とす。労わるように、エヴァリットは優しく声をかけた。
「学長が良いように取り計らってくれていますよ。お母様もじきに、こちらに見えられるでしょう」
ぎりぎりのところでこぼれ落ちるものを抑え込んでいる瞳が、ぎろりとミリィの枕元を睨んだ。
「お前は何か心当たりはないのか、
憤りと不安に揺れる眼差しに、
「言ったよな。今度もしミリィに何かあったら、契約を切らせてやるって!」
掴みかかろうと伸ばされた手。それを払う権利は己にはきっとないのだと、
「ジグ」
淀んだ室内に、廊下側から穏やかな風が吹き込んでくる。風は一瞬だったけれど、入室してきた人影にジグは眦を下げる。
「……母さん」
「遅くなってごめんなさいね」
駆け寄ってきたメリッサに、ジグは何度も瞬きする。
「遅くって……早いくらいだよ。南部からなら、帰ってこられても明日の午後か夜だろう」
「学長先生が、
「
シノが思わずこぼした言葉に、メリッサは軽く微笑んで返した。
「すごいわよね、手配してもらえる伝手があったそうなの。さすが天馬を使い魔にしているだけあるわ」
ぽかんとしているジグに、メリッサは両腕を伸ばす。
「おかげで少しでも早く帰って来られた」
ジグの背中を、暖かな手がそっと包んだ。
「心細かったわね。ミリィのそばについていてくれてありがとうね、ジグ」
抱きしめられ、ジグはメリッサの肩に目を伏せる。そろそろ母の背を追い抜こうかという息子は、弱々しく背を丸めていた。
「……僕は大丈夫だよ。それより、ミリィが」
「ミリィ」
やんわり抱擁を解いたメリッサは、眠り続けるミリィの枕元に腰を落とした。白い額を優しく撫でる。
「この度はこのような事態になって……目が行き届かず、本校の責任です。本当に申し訳ございません」
エヴァリットが深々と頭を下げる。自分より歳若い教師の謝罪に、メリッサは立ち上がった。
「まだ原因はわからないんですよね。詳しいお話は聞かせていただきますけれど、今の段階で責任を問うものではないでしょう」
メリッサは恐縮しきったエヴァリットから向き直って、ジグの頬に触れた。
「ジグ、あなたは寮に戻って休みなさい。あまり眠れてないんでしょう、隈が酷いわ」
「でも」
「ミリィには私がついているから。お夕飯の時間ももうすぐでしょう?」
「もう暗いですから、わたくしが中高等科の寮まで送りましょう」
戸惑うジグに、エヴァリットがなだめるように申し出る。大人二人目配せして、メリッサもジグに促した。
「そうしてもらいなさい、ジグ。先生、お願いします」
「さ、行きましょう。シノ、あなたも」
「あ、はい。リリーさん、失礼します」
ぺこりと頭を下げて、シノは使っていた箱椅子を素早く片付けた。去り際、さり気なくジグに声をかけて退室を促す。
「母さんも出張で疲れてるだろ。……お願いだから、無理しないで」
「母さんは平気よ。ミリィだって、絶対に大丈夫だから」
今にも泣き出しそうな顔で去って行くジグに、メリッサは何度も大丈夫、大丈夫と繰り返した。
「あなたからは何かある?
ミリィの寝顔を見守りながら、
『……本当に申し訳ない』
夜の帳が下りた部屋の中、薄闇に紛れそうな黒い羊。ガラスの瞳の奥で、青い光は頼りなく揺らいだ。
「原因に心当たりがあるとでも?」
『それは……正直、わからない』
「それなら良かったわ。もしあなたに心当たりがあるっていうなら、ミリィが泣いてもぶん殴ってたから」
『だけど俺は、厄介者だから。色んな人間に良く思われてないし、半殺しの目にあわせた連中もいる。自分の知らん間に誰かに恨まれてても仕方ない』
全部、身から出た錆。
そんな風には思いたくなかった。
身勝手なのは連中の方だ。
おかしいのは世界の方だ。
そう、思っても。
『ミリィを守れなかった時点で、俺は使い魔失格だ』
暗闇の中に手を伸ばしてくれた、大事な主だったのに。
「……魔法の影響とは言われたものの、なにかしらの病の可能性も捨てきれないけどね」
だから己を責めるなと、メリッサは言いたいのかもしれない。だけどそんなものは、大した慰めにもならなかった。
『いくらなんでも、そんな急に……』
「わからないものよ。今日元気だった人が、次の日には起きてこなかったってことがあるんですもの。この子たちの父親がそうよ」
『え……』
瞳を伏したメリッサは、静かに語った。
「夜、眠っている間に心不全を起こしたの。年齢だってまだ若かったし、持病らしいものはなくて。ただ、仕事が忙しい時期ではあったわ。だから夫婦の寝室には来なかった。書斎の長椅子で寝てしまって、そのままね」
『ミリィは父親のことは、ほとんど覚えてないって言ってたが』
「ミリィはまだ二歳だったもの。でもジグは五歳で……その日の晩、夫に最後におやすみを言ったのがあの子なの」
ミリィが倒れてからの、ジグの焦燥にかられた様子。不安や憤りに押しつぶされそうな表情。
「夜中に目を覚まして書斎を覗いたら、夫が長椅子で寝ようとしてたんですって。ちゃんとベッドで寝るように言って、夫も分かったって答えたから、ジグは自分の部屋に戻って眠ったけど……結局夫は、長椅子で寝ちゃったのね」
ひどいひと、とメリッサはぽつりと呟いた。
「ジグは、自分が父さんにもっと強く言えば良かった、寝室まで引っ張っていけば良かったって。ちっともジグのせいなんかじゃ無いのに、責任を感じてしまってるの」
『それでいつも、あんなに張り詰めてるのか』
「あなたの目からも、そう見える?」
問いかける声も表情も、いつもの活気あるメリッサからは想像のつかない頼りなさだった。
『俺がジグと顔を合わせる時は、ミリィが一緒だからな。特に兄らしくあろうと振舞ってるんだろうよ』
大人でなくても。父親と同じようになれなくても。
『……それらしくありたいって思う気持ちは、解るぜ』
すん、と小さく鼻を鳴らす音。すん、すんと何度か湿った音が響いた。
「……さっきも言ったけれど、原因もわからないうちから憶測で騒ぐつもりはないの。だけど、もし、あなたと関わりのあることなら」
『そん時ゃ、わかってるさ』
穏やかな寝息が聞こえる。寝顔はいつもと変わらないのに、ミリィのまぶたは未だ固く閉ざされていた。
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