水の踊り子 -Ⅶ

『うおっ⁈』

 黒い羊ブラックシープが声を上げる。重なるようにヂイヂイという声と、ギュッというような悲鳴も聞こえて。

「リトル!」

「フレイム!」

 慌てふためく主たちの前で、使い魔たちの体が宙へと巻き上げられていく。

 水の踊り子アクアダンサーが巻き起こした水の竜巻が、他の使い魔たちを飲み込んで踊り狂っていた。

「踊り子みたいでしょ?」

 舞踏というにはあまりに荒々しい、水の奔流だった。

 渦に巻き込まれてもがく使い魔たち。

 炎の鱗フレイムスケイルは今にも尽きる炎のようだったし、小さき者たちザ・リトルはもはや小石同然だ。

「シープさん……!」

 渦の中、青い光が増している。黒い羊ブラックシープは必死の抵抗を試みていた。魔力で強化しているとはいえ、布と綿の体はいつまでもちこたえられるか。


(考えなきゃ)

 使い魔ファミリエ決闘デュエルでは、主は使い魔に代わることは出来ない。主人が魔法弾を放ったり、拳を振るうことは許されないのだ。出来るのは魔力の共有と、頭を働かせることだけ。

 だから考えろ。頭を使え、思い出せ。

 決闘デュエルの授業。

 兄との私闘。

 自分の決闘デュエルだけじゃない、アントンとロザリアの対決。

 今まで経験した、見てきた戦いの数々。どこかにピンチを打開するヒントはないか、ミリィは頭をフル回転させる。

 黒い羊ブラックシープと契約をして、初めて戦った試験の時は――。

黒い羊ブラックシープ! 体の隅々まで魔力をいきわたらせてから、思いっきり開放して!」

 鮮やかに響いた主の命令オーダーに、黒い使い魔の体が激しく発光した。

 瞬間、大きな衝撃が体に伝わって来て、ミリィは思わず尻餅をつく。

 水の竜巻の中で魔力の塊が弾けて、四方八方を内側から裂くように青い光が放たれた。

 何本もの光の剣で貫くように。


『きゃあ!』

 水の踊り子アクアダンサーが悲鳴を上げる。黒い羊ブラックシープが爆発させた魔力に打ち負けた精霊の竜巻が、あちこちに水をまき散らしながら形を無くし、消失した。竜巻と青い閃光が起こす魔力に巻き込まれた炎の鱗フレイムスケイル小さき者たちザ・リトルたちは力を失い、ぼてぼてと音を立てながら地に落ちる。水の踊り子アクアダンサーは小さな体をエドワードに受け止めてもらうと、その手の中に倒れ込んでしまった。

 一瞬の静寂ののち、シノが高らかに宣言した。

「三者、戦闘不能。勝者、ミリィ・リリーとその使い魔、黒い羊ブラックシープ!」

 わっという周囲の歓声と同時に、主人たちは傷ついた使い魔たちに駆け寄る。一瞬、自失したミリィも、敷石の上に座り込んでいる黒い羊ブラックシープの姿を見つけて、慌てて立ち上がった。


「シープさん!」

『ミリィ』

 黒い羊ブラックシープの声に、使い魔の無事を確認した。無茶な命令だっただろうし、みんなの使い魔に与えたダメージも大きい。決闘デュエルは厳しいものだとは承知しているけれど、フィールド内はまるで嵐が去った後のようだ。

「大丈夫、シープさ……」

 黒い羊ブラックシープに向かって踏み出した足元が、ぐにゃりと歪んだ。

(あれ?)

 駆けようとしている脚が、ふらふらと踊る。顔を上げようとしたら頭がくらくらして、景色がぐるりと回った。

『ミリィ!』

 黒い羊ブラックシープの切羽詰まった声が聞こえる。

 目の前が真っ暗になって、ミリィはそれきり意識を失った。



 ☆ ☆ ☆



 黒く塗りつぶされた空間で、空の一部がぼんやり白く光っている。

 それは樹上に咲いた白い花の集まりで、光る雲のように浮かんで見えた。

(きれい)

 だけどなんて、さみしいところ。

 目を開けたミリィが最初に見たのはそんな光景で、仰向けに寝ていた体をゆっくり起こす。

 白い花の木の下に、青い光が灯っていた。

「シープさん」

 青い光は、男の人の胸元で光っている。

 ミリィはもうわかっていた。

 ここは夢の中で、シープさんと会える場所。

「……私、いつ寝たんだっけ」

 放課後アントンと図書館に行って、ジグとエドワードと会って、チームに招待されて決闘デュエルして……それから寮に帰った覚えも、夕飯や入浴を済ませた記憶もなかった。

決闘デュエルの後でひっくり返ったんだよ』

「あっ」

 一気に思い出して、ミリィは声を上げた。そして一拍置いて、自分の身に起きたことよりももっと重大なことに気づく。

「ここでシープさんと話すの、初めてね」

 ミリィは樹の下に入り込む位置に座り込んでいた。この間よりもぐっと彼の近くにいる。距離の近さを意に介さず、人の形をした彼は続けた。


『魔力を思いっきり爆発させたから、体に負担がかかったんだ。悪かったな』

「それは私が命令したからでしょ。戦ってくれてありがとう」

 近くにいても、背の高い彼の顔はまだ少し遠かった。健闘してくれた彼を労わりたくて立ち上がる。

 首のあたりまで入った刺青は、顔には施していないらしい。やつれた頬に流れた髪から、綺麗な顎の線が覗く。下から見上げてるから、長い前髪に隠れた顔がもう少しで見えそうだった。

『あの三人とやり合って勝ったぞ。よく頑張ったな、ミリィ』

 突然、視界が陰る。

 刺青だらけの大きな手が、ミリィの頭を撫でていた。

 少し額にかぶさるように乗せられた手に、上げようとした顔が遮られてしまう。

 骨ばって細い手指、肌は白く甲には青く筋が浮かぶ。

 だけど長い指をした、大きな手。

「うん、頑張ったよ」

 褒めてもらえて誇らしかった。優しい手に慈しまれて嬉しかった。

 でも、熱がなかった。

 目の前にいる彼は、形のない魂同然の、影みたいなものなんだろう。ぬくもりや柔らかさを一切感じなかった。よほどぬいぐるみの体の方が、手触りがあるくらいだ。


「……本当のシープさんに、会いたい」

 額に伸びる手首を両腕で掴む。

 まるで骨を直接つかむように冷たく、細い腕だった。

「シープさんの体はどこにいるの、捕まっているの? 私、会いに行っちゃだめ?」

『ちょっと無理かもな。ものすごく遠いところだから』

「遠いって、大陸のはじっことか?」

『それよりももっともっと、遠いだろうな』

「鉄道に乗る? 船? もっとも足が速い天馬を飛ばしたら、何日かかるの」

『ちょっと危ないかもしれないしなあ』

 彼は罪人で、牢獄に囚われているという。悪い人がたくさんいて、治安がよくないという事なのだろうか。手続きとかの問題もあるのかもしれない。

「だったら護衛を雇う、強い使い魔を連れた人とか。何日かかっても良いよ、先生とか偉い人にたくさん頼まなきゃいけなくても、頑張るもん」

 かざされた手の向こうに見える口元は微笑んでいる。だけど何一つ、ミリィの問いには答えてくれなかった。

「母さんにいっぱいお願いするよ、お金貯めるよ。自分の身を守れるように、魔法ももっと練習するから」

 視界がぼやける。景色の輪郭がおぼろげになっていく。

「だから会いに行きたい」


 頭がふわふわして、目もちかちかした。

 どうしてこんなにも夢は儚いのだろうか。

 もうすぐ覚める。この手は離れてしまう。

 目を開けた時、そこには彼の魂が入った羊がいるだろうけれど。

 いつまでもそれが、続くだろうか?

『……誰だ?』

 意識が浮上する寸前。

 聞こえた言葉に、彼の視線が向いているだろう背後を振り返る。飛ばされた花びらと思しき光が遠くちらちら瞬いているだけで、ミリィには他に何も見えない。

「シープさん……?」

 もう一度彼の顔を見ようとしたけれど、今度こそミリィの意識は現実に呼び戻されてしまった。








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