精霊の綿毛 -Ⅴ
「ミリィおねえちゃん、ジグおにいちゃん!」
久々に親子の会話に花を咲かせていたところ、ショーウィンドウ傍の一角から声が上がった。
「ハンナちゃん、久しぶりだね!」
小さな体を揺らして、ミリィよりもまだ幼い少女が走ってきた。年の頃は四、五歳ほど。魔法学校の新一年生よりまだ小さい。
「マーサさんと一緒に来たの?」
「ママ、おそといっちゃったよ」
ハンナは店の従業員の娘だった。時々店にも顔を見せては無邪気にミリィについてまわるので、可愛がっている。
「今日はあなたたちが来たら、後はスタッフに任せて私は休暇にする予定だったんだけど。マーサはどうしてもって取引先のお客様に呼ばれちゃったし、パパさんも出先であと一時間は来られないみたいで、今すぐには出られないのよ」
ハンナが先程までいた場所にはラグが敷かれていて、お絵描き用の低いテーブルが置いてある。幼い子どもが訪れることも多い店には、遊んだり休憩できる小さなスペースが設けてあった。ラグの上には、おままごとの道具や人形が散らばっている。
「ハンナちゃんを一人にするわけにも、お店をカラにするわけにもいかないもんね。大丈夫だよ、待ってるから」
「ごめんね、もうすぐ別のスタッフも来るから」
「お茶飲もうって話したろ、淹れてくるよ。ミリィ、手伝って」
勝手知ったる様子で、ジグはレジカウンター奥のバックヤードへ向かう。ミリィはついていこうとしたけれど、スカートを引っ張る感触に足を止めた。
「ぬいぐるみ」
ミリィを引き止めたハンナが、
「この羊さんが気になるの?」
ハンナはこくりと頷く。
「おっきなぬいぐるみ、かわいい」
「じゃあこの子は、ハンナちゃんと遊んでもらおうかな」
ミリィは優しく、
『ミリィィィ?!』
一方、あまりに小さなハンナに抱き抱えられることとなった羊のぬいぐるみは、遠慮なくぎゅうぎゅうと締め付けてくる腕の中から叫ぶ。
「
『ちょ、おま、使い魔はベビーシッターじゃねええ!』
子守りをする使い魔もいると思うけど。
はしゃぐハンナと
「なにやってんだ、お前」
小さなテーブルセットを前にくたびれた様子の
「なかなかのシッターぶりだったわよー」
レジカウンターの中から店番兼ハンナの見守りをしていたメリッサは、愉快そうに笑う。
「何して遊んでるの?」
ハンナの分のミルクを運びながら、ミリィはテーブルの上を覗き見た。
天板の上には、絵本や図鑑、それにスケッチブックと一緒に鉛筆やクレヨンが転がっている。
「これはー、むかしのひとたちが、たびをしているところでーす」
ハンナは本の挿絵を指差す。世界史をベースにした、子ども向けの御伽噺の本だった。
『はーい、ハンナさん大正解でーす。君らのじーさんばーさんのそのまたじーさんばーさんの、もっともっとむかあああしの人達が、故郷を捨てて民族大移動してる様子ですねー。使い魔も一緒ですねー』
「それって私たちのご先祖さまが、戦争だか飢饉だかで、元々住んでいた土地で暮らしていられなくなったってお話? それでサルム大陸に移り住んできたって」
それこそミリィも、年少向けにわかりやすく書かれた歴史本で読んだことがある。
「
聞く度に、なんて過酷で非情な話だろうと思う。命を選別するような真似だ。
けれどミリィの日常よりも、遥かに生きることが大変な時代や国で。自分には想像の及ばない、苦難の道のりを歩まなければならない人達がいたことは理解できる。
『はあい、その通りです。ミリィさんも花丸でーす』
歴史の複雑さも難解さも丸め込んだ、やわらかな色使いの絵本。その隣のスケッチブックに、どこか呑気な花丸模様が描かれた。
「シープさんったらなあに、その話し方。なんの遊び?」
「がっこうごっこしてるの!」
ハンナは楽しそうに、張り切って手を挙げた。
「はい、せんせい!」
『はい、ハンナさん』
チョークのように握ったクレヨンで、羊の先生は小さな小さな生徒を指し示す。
「シープさんが先生なんだ」
精一杯先生らしく振舞っている
「つぎは、おやつのじかんがいいです!」
ハンナはしっかり手を掲げたまま、ミリィの運んできたマグカップに目を奪われていた。
『はい、じゃあおやつの時間にしましょうねええってかそろそろ先生役から解放してくれ』
体をふにゃりとさせて、
ミリィはアントンから贈られたチョコレートを取り出しながら言った。
「良い先生だったよ、シープさん」
『どいつもこいつも、先生なんか柄じゃねえっつーの』
そのままずるずるラグの上にへたり混んだ相棒を、ミリィはぽんぽんと叩いて労わった。
☆ ☆ ☆
『あーつっかれた』
無邪気な生徒からようやく解放され、
「ハンナちゃん、楽しそうだったね」
すっかり気に入られた
『ゆっくり茶ぁする暇もなかったぜ』
「お前、飲めないだろ」
『母さんのお茶にお付き合いするくらいはできるわ』
「ゆっくりお喋りする時間はまだあるわよ。お買い物しながらだってできるわ」
ハンナたちが帰り、入れ替わるように遅番のスタッフが到着した。引き継ぎを済ませた母と、子と一匹はようやく街へと繰り出した。
ちょうどお腹も空いた頃、クルミ通りを見て回りながら自宅へと戻る。
路地を挟む建物にはカラフルなガーランドが渡されていて、整備された街路樹は花壇が華やかだった。歩くだけでうきうきする。
「二人とも、何食べたい? ご飯でもおやつでも、何だって良いわよ」
張り切って商店街を行くメリッサにの足取りは軽い。放っておいたら、財布の紐を無限に緩めそうだ。
「母さん、なんでもは言い過ぎ。僕らをあんまり甘やかさないでよ」
「あ、でも、あんずジャムは買ってほしい……」
ミリィの要望にジグは渋い顔をして、メリッサはぱっと顔を輝かせた。
「ミリィも慣れない寮生活、頑張ったんだもんね! ジャムでも服でも、欲しいものがあったらなんでも言って!」
『母さんすっげえな』
「夏の長期休暇が怖い……」
離れて生活している間の分を、とびきりの愛情で埋めようとしているのだろう。今までジグが思い切り歓待されているのを見てきたけれど、これはミリィも甘えすぎには気をつけなくては。
『存分に甘えれば良いだろうよ。お前ら、幸せもんだぜ?』
「余計なこと言うな、
フンと鼻を鳴らしながら、ジグはあちらこちら目移りしているミリィに厳しい視線を送る。
「あなたたちは、母さんのわがままに付き合うつもりでいれば良いのよ。ジグはどれ食べたい?」
上に細長い建物の前で、メリッサは早くも買い物をしていた。開け放たれた店の小窓ははそのまま注文カウンターになっていて、中からはいい匂いが漂ってくる。
「……チキンと野菜のやつ」
「私は甘辛いお肉のがいいなあ」
「チキンサラダとスパイスビーフ、あとチリビーンズのを一つずつで!」
かしこまりました! の応答の後、待つことしばし。半分に切って開いたピタパンに、具材をたっぷり挟んだピタパンサンドが出来上がる。
「いただきます!」
油紙に包まれたビーフサンドを店員から受け取ったミリィは、喜色満面でかぶりつこうとした。
メリッサは自分の分をかじりつつ笑顔で見守って、ジグも何だかんだ嬉しそうに包みを開いて、それから、
『うまそうじゃないか』
ミリィはゆるゆると、ビーフサンドを口元から離した。
『どうした、ミリィ』
「……後で食べる」
「どうしたの、ミリィ。お腹でも痛いの?」
心配そうに顔を覗き込むメリッサに、ミリィはふるふる首を振った。
「シープさんが食べられないのに、私だけおいしいものを食べるなんて、酷い主人だもの。おうちに行って、部屋でひとりで食べる」
『そんなこと気にしてんのか!』
「そんなこと言ったら、普段の食事だっておんなじだろ」
そう言ったジグの肩の上では、
「使い魔はちゃんと訓練すれば、人間の食べ物はもらえないって覚える。そりゃ、興味を持つのは止められないし、分けることだってあるけど……ちゃんと別に、使い魔に適した食事を与えれば十分なんだ」
「普段の食事は、周りのみんなもあんまり使い魔に食べさせてなかったから気にしてなかったけど、みんな他のご飯を食べさせてるんだよね。シープさんはぬいぐるみの体じゃ、どうしたって食べられないんだもの」
なんで今まで気がつかなかったんだろう。
精霊とか使い魔の中には、食事を必要としないものもいるから失念していた。だけど
『そんなこと、気にしなくていい』
ピタパンサンドを握っていない方の手で抱えられた
『子どもが腹いっぱい食べてるのを見ると、大人は幸せなもんだ』
「でも」
『ほら、しっかり両手で掴んで食え。それ、こぼれやすいだろ』
ぴょんと地面に飛び降りて、
ふわふわの背中が、何だか少しだけ寂しそうで。
「……シープさんも、いつか一緒に食べようね」
その時、それはきっと彼の魂がぬいぐるみから離れた時。
その時自分たちが、どうなってるかはわからないけれど。
二人で美味しいものが食べられるといいなと思いながら、ミリィはピタパンサンドにかぶりついた。
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