世界はおもちゃ箱ではない

 飛んできた鳥に括り付けられた手紙を読み、イクセルは眉間を揉み込んだ。そうでなかったら、眉間に刻まれてしまった皺を伸ばすことができない。


「あのう……なにが書いてありましたか?」


 おずおずとアンジェリカが尋ねると、イクセルは手紙を見せた。


「王都から、民を脱出させるから保護を求めるとのことです。王都はこれから大変になりますね。陛下がきちんと玉座に戻ればいいのですが……」

「……ハワワ、陛下も王族の皆さんも大変なことになってるんですか? でもそうだった場合、コンスタンスさんたちは大丈夫なんでしょうか?」


 基本的に脳天気ではあるが善良なアンジェリカの言葉に、イクセルは頷く。


「古代兵器は、古代兵器にしか対処は不可能とはいえど、相手は宰相なのだから……全ての古代兵器の起動は不可能だとしても、一機くらいは必ず起こすかと思います」

「ハワワワワ……コンスタンスさんが召喚してるあれをそんなにたくさん動かすとなったら、王都の皆さん本当に死んじゃいますよ。助けましょう。すぐにうちの食料庫、どれだけ在庫があるか確認しますから!」


 善良なアンジェリカが慌てて保護する人々のために、寝場所の準備と出せる備蓄の確認に勤しむ中、イクセルも考え込む。


(近衛騎士たちのほうにも、なにかしらてこ入れを送ったほうがいいのかもしれない)


 一度は遺跡を起動させて大変なことになったイクセル。古代兵器が人の手に余るというのを、既に体感してしまっていたし、アンジェリカがいなかったらとっくの昔に死んでいたのだ。

 コンスタンスたちの行いは、「これは他国の越権行為では?」と思わなくもないが。彼女の場合は婚約者を助けに行くという大義名分があるために、アンジェリカ最優先で動いたイクセルはこれ以上言うことはない。

 せめて、彼女たちが王都奪還を成してくれるならばと、イクセルは騎士たちに「王都から脱出している民の避難誘導を手伝うように」と言って聞かせることとなったのだ。


****


 各地での戦いは様々だ。

 とある神殿では、お茶会が開催されていた。


「あと少しで王都の中、このようにお茶会までしていただくとは」

「いえいえ。本部の皆様は壮健ですか? この領地に来てからというもの、なにかと大変でしてね」


 ベリージャムを使ったジャムクッキーを振る舞われ、それをありがたくいただく本部から出向してきた神官をもてなすヴァルナル。それを神殿に保護期間中下働きを命じられていたオーケは「うげえ」という顔で見ていた。

 彼らがコンスタンスたちから依頼されたのは、本部から出向してきた神官たちの足止めお呼び王都監査のための告発であった。

 寄付金が物をいう神殿。王族からの寄付金で動く中、宰相による玉座譲渡の件を食い止めるためにも、王都で行われていることを訴えなければならなかったが。本部には鳥を飛ばしてもなお時間がかかるため、本部から出向してきた神官たちをそのまま捕まえて訴えなければならなかった。

 しかし本部の人間は基本的に頭が固いため、元々本部出身で本部の神官たちとは知己のあるヴァルナルでなかったら、なかなか訴えを耳に入れてくれることすらなかった。


「大変? ご実家のほうは割とベリー栽培で潤っていると伺っておりましたが。このジャムクッキーだって、こちらの特産品のベリーを使ったものでしょう?」

「ええ。おかげさまで、うちは比較的。ただ、なにやら王都できな臭い噂がありましてね。その辺りでどこの領地もピリピリしているんですよ」

「うん? きな臭い噂? こちらまで流れてきてはいませんが」

「どうしたんでしょうね。普段噂を運んでくれる商業ギルドが王都に立ち寄らないせいでしょうか?」

「……さすがにそれはありえないのでは?」

「ところがですねえ、それがありえるんですよ」


 さすがに様子がおかしいと思ったのか、本部の神官たちが姿勢を正して話を聞く体勢に入る。オーケはそれを掃除しながら眺めていた。


(このおっさん……ほんっとうに頭の固い神官たちに話を通しやがった)


 オーケからしてみれば、本部の神官に遺跡のことやら古代兵器のことやらを訴えたところで、事なかれ主義でなかったことにされるだろうから、王都で行われた宰相のやらかしの一部は、そのまんまなかったことにされるだろうと踏んでいた。

 しかし、宰相のやらかしは放っておいたら世界レベルで厄災になりかねないことだった。

 魔力や万物の源であるマナの代わりに人間の命を使っての実験の推奨。王都の人々の拘束。それらの行いに反対した貴族たちから身分を引き剥がした上で手駒に使える人々に領主の座を置き換える……。こんなものがまかり通っていたら、いつかは絶対に戦争に発展する。

 なによりも。その王都の様子をつまびらかに露呈させてしまったコンスタンスたち隣国の王族と従者の集団。他国の姫を巻き込んでしまったのが、そもそものケチのつきはじめだったのだ。


(俺はいいところで上がれたってことなのかね)


 オーケは小悪党ではあるが、普通に自分の命は惜しいし、やり過ぎには引くし気が咎める程度には良心が残っている。

 彼はコンスタンスたちに相当怒られたが、基本的に助かった部類なのである。

 だが、あの宰相は怒られて終わる部類なのかどうかは、オーケにも預かり知らぬところであった。


****


 王都の民が避難指示をされて王都から逃げ出し、下水道でクロとベルンが戦いを繰り広げている中、王都を舞台に白亜の守護神と漆黒の守護神の戦いも苛烈を極めていた。

 コンスタンスは顔を歪めながら、白亜の守護神を駆っている。


「もしもし、姫様?」


 宰相は彼女が顔をしかめているのを見逃さなかった。


「白亜の守護神の兵装を全解除したことで、もしや魔力が底を尽きかけているのでは?」

「……尽きませんし、わたくしは死にません」

「ご冗談を。我が漆黒の守護神は、魔力をたんまりと補充させていただいております。この国の王族が魔力を湛えているのが幸いでしたなあ」

「……陛下と殿下の魔力を、吸い尽くしたというのですか!?」

「まだ死んではおりませんよ。虫の息ですがね。陛下は元々魔法の素養がありましたからまだ命を削るほどでもありませんが……妃はもう駄目でしょうね。そろそろ死にます」

「人の命を、なんだと思っているのですか!?」


 白亜の守護神が、向かってくる漆黒の守護神のシールドを受け止め、それを漆黒の守護神に投げ返す。それを宰相は「おおっと」と言いながら漆黒の守護神の他のシールドを使って受け止める。

 だんだんコンスタンスの言動が彼女の呼吸と一緒に荒くなっているのは、既に彼女が魔力を削りきったから、命を削っているに他ならない。

 そこに宰相の勝機があった。


「ええ。死に絶えます。この時代に古代の栄華を再現できるのです。その礎になるのですから、感謝すべきでしょうね」

「あなたは……民が死んで、王族が死んで、宮廷魔道士たちだけ生かして……その世界でなにをしたいんですか!?」

「そんなこと、どうだっていいのです。どうせこの都から人が消えたところで、人間が死に絶える訳ないじゃないですか」


 宰相はさも当然のように言う。

 そこにコンスタンスはゾッとした。

 宰相には人間の理屈が通じない。人間の感情が通じない。人間の痛みすら全て他人事で、ただ自分の欲望を達成させること以外なにも考えていないし感じていない。

 人間は他にもいる。それは事実だろう。ただ王都から人がいなくなっただけ。これも間違ってはいないだろう。だが。


(そんな人に誰もついていかないと、本気で考えていない……! この人が人でなしじゃないと言うのなら、誰が人でなしと言うの……!?)


 自分勝手。身勝手。そう言ったところで、宰相の心になにひとつ傷を付けることも、良心の呵責が咎めることもない。彼はそんなところから心は離れてしまっているのだから。

 だからこそ、コンスタンスは少しだけ呼吸を整えて、冷静になった。

 現代において、マナは少なくなってしまった。だからこそ、魔法を行使する際のマナも、そこから練り上げられる魔力も、産み出す方法が乏しくなってしまったが。それでも一時的に魔力を増やすことはできる。


(……簡単に命を削りきっては駄目ね。それは宰相の思うつぼなのだから)


 目をすっと細めて、コンスタンスは宰相を見た。


「わたくしはあなたを許しません。もちろんあなたはそんなこと、どちらでもよろしいでしょうが」

「よく弁えてらっしゃる」

「ですが……命をかけずとも、想いは魔力になることをご存じ?」

「……はあ?」


 自分勝手で身勝手な御人では、この方法では魔力をつくることはできない。

 コンスタンスは叫んだ。


「殿下! アンネさん! どうか、願ってください! 祈ってください! この場を打開したい、王都に平和を取り戻したいと! 願いは、魔力になります!」

「馬鹿なことを……人の心なんて、古代兵器を動かすのになんの役に……」

「この国では魔科学ばかり研究していて、魔法の研究は遅れていたから、ご存じないでしょう? どうして神官様たちが、祈祷で魔法を行使するのか。心からの想いや願いはマナを育み魔力を産み出すとは、我が国ではとっくの昔に発見研究されていることですのよ?」

「そんな……無駄なことを!?」

「あなたが無駄と思って削ったものこそが、本当の力です……!」


 元々魔法の研究を行っていたアルベーク王国において、神官たちはほとんど魔力を持っていないのにも関わらず魔法を使うことに着目し、その理由を解明した学者がいた。

 信念を持ち、金や甘言に動じない心を持った者の祈祷は、素養がなくとも魔力を産み出すと。それは転じて、人に対する願いや祈りに対しても、同等の効果を発揮すると。

 コンスタンスに叫ばれたイリスとアンネは、窓から身を乗り上げた。


「理屈はわかりました……どうか、どうか……!」

「わ、私にはまだよくわかりませんけど……これ以上皆さんから、なにも奪わないでください!」


 わずかなふたり分の魔力かと思いきや。

 王都から、ポツポツと魔力が竪琴の音色の乗せて、送られてきたのだ。それにコンスタンスは少しだけ目を細める。


(ドナのおかげですね……あとでお礼を言わないと)


 疲労で回らなくなってきていた頭が少しだけすっきりとしてくる。魔力が満ちてきたおかげで、やることもはっきりとしてきた。

 宰相だけは、狼狽えている。


「……自分が、これで終わりだと!?」

「終わらせます! 絶対に!」


 白亜の守護神の背中のソードが引き抜かれた。祈りを帯びた巨大な剣だ。


「いい加減、観念なさい!」

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