第10話 低級回復ポーションの効能


ワシントンD.C.から車で一時間半、軍保有地に隣接する施設群の中でも、特に警備が厳重な一棟がある。米国にある某医療研究センター。

この施設では、ダンジョン関連の医療技術や治療薬の研究開発が密かに進められていた。


「彼はまだか?」


 小柄で短髪の男、グレッグ・サンダース主任研究員が腕時計を確認しながら尋ねた。白衣の胸ポケットには青いマーカーとレーザー温度計、首には研究用のIDカードがぶら下がっている。


「はい、すぐに到着します。D地区での掃討任務に従事していた陸軍の伍長です。ゴブリンとの交戦中、腹部と左脚を負傷しました」


 応じたのは、部下のトニー・ハルステッド。30代半ば、眼鏡をかけた理知的な雰囲気の青年で、研究センターの中でも臨床試験担当として経験を積んでいる。


「報告によれば、既存の止血剤や縫合で応急処置は施されたが、状態は安定していないらしい。やはり、ダンジョン内の生物にやられた傷は通常と違うな」


「ええ。感染症状も、一般的な細菌では説明がつきません。発熱も高く、抗生物質に対する反応が見られないそうです」


 二人が話していると、搬送用ストレッチャーを押して軍人らしき男たちが入室してきた。その上には、顔をしかめて荒い息を吐く中年の兵士が横たわっていた。腹部には厚いガーゼが巻かれ、脚からは点滴の管が延びている。


「普段はヒーリングポーションが現場で利用されているらしいですが、ヒーリングポーションの成分解析や作用機序の検証のため、応急手当後、設備の整ったこちらへ搬送されたそうです」


 なお、この前段階として、ヒーリングポーションは既にラットによる動物実験を経ていた。

ナイフで作った皮膚の裂傷には明確な治癒効果が認められ、即時治癒されるほどの硬貨を示していた。

ただし、骨折や内臓損傷といった深部へのダメージに対しては、傷口が完全に修復されるような効果は確認されていない。

しかし、炎症反応の抑制や組織再生の促進が見られたことで、全体的な回復期間の大幅な短縮が示唆されている。


 グレッグが金属製のトレイを開ける。中には、ガラス瓶に入った濃紅色の液体が一本、ラベルもなく無骨に置かれていた。


 これこそが、世界各地で観測されはじめた「低級回復ポーション」と呼ばれる謎の液体。日本で個人によって作られたと報告されているものと同様の品である。


「一応、無菌試験は済ませてあります。成分も化学的にはほとんど不明ですが、蛋白質の分解反応を促進する酵素に似た波長を放っているようです」


「波長?」

「ええ、現状では仮説ですが、既存の化学や生物学では説明しきれない反応です。まるで細胞に『修復せよ』と指示を出しているかのような作用があります」


 グレッグは少し眉をひそめたが、すぐに態度を改め、部下に指示を出す。


「では……規定量の1/3、まずは少量から試せ。口から与えろ。対象の意識はまだあるか?」

「はい、ただし、鎮静剤が効いていて会話は困難です」


 トニーが慎重にスプーンで赤い液体をすくい、兵士の口元に運ぶ。ゆっくりと流し込むと、兵士の喉がわずかに動いた。


「心拍に変化。97→101……102……下がっていきます。呼吸は安定」


 すると――


「主任、患部に変化が」


 グレッグが目を凝らすと、腹部の包帯がじわりと赤黒く染まり始めた。出血かと思われたが、数秒後には赤みが引き、ガーゼの下から皮膚が再生し始めているのが見えた。


「信じられん……細胞分裂を数百倍の速度で起こしているのか? これが、あの赤い液体の……」


「傷口が閉じていきます。炎症反応も低下。発熱は……38.9から36.2に急降下!」


 二人は顔を見合わせる。無言のまま息を飲み、目の前で起こっている現象をデータとして記録していく。

 およそ三分後。兵士の呼吸が安定し、顔から苦悶の表情が消えた。腹部を検査すると、ガーゼの下の傷跡は皮膚の色こそ赤かったが、まるで数日が経過したようにふさがっていた。


「効果は即時。しかも異物反応も今のところなし。副作用の兆候も見当たらない」


「こ、これは……」

 トニーがつぶやく。グレッグも口を開く。


「……これは、現代の医療が百年かけても到達できない水準の『治癒』だ。とても信じがたいが、映像に記録も取った。否定のしようがない」


 だが、彼の表情は晴れなかった。


「主任?」

「この液体が、単に治療薬ならよかった。しかし、これは兵器にもなり得る。傷を負った兵士を即座に戦場へ戻せるということだ」


 トニーも気づいたように息を飲む。


「しかもこの液体は、個人が作成したとされている……まるでゲームのように。どこまでが事実で、どこからが操作なのか、分からない。だが一つ確かなのは――」


 グレッグが、机の上の赤い液体を見下ろす。

「――我々は、すでに未知の領域に足を踏み入れてしまったということだ」




 検証結果が世界に向けて発表されたのは、その数日後のことだった。

 米国による公式声明では、「ヒーリングポーションと呼ばれる液体は、外傷に対して即効性のある治癒効果を持ち、特に裂傷や切創に対して顕著な改善を示す」と発表。

骨折や内臓損傷といった重傷に対しては、完治には至らないものの、治癒までのプロセスを大幅に短縮することが確認されたという。


 この発表は瞬く間に世界を駆け巡り、SNSやニュース番組では連日ポーションの話題で持ちきりとなった。軍事関係者や医療機関のみならず、一般市民からの注目も高まっていく。


 結果として、市場では低級回復ポーションの買い占めが始まり、価格は日に日に高騰していった。

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