第9話

それから、何度か和樹とキスをした。和樹は僕を抱きしめてキスをして、しかしそれ以上の行為も言葉も求めなかった。挨拶のような軽さで和樹はそうしてきた。好きだと言ったのは最初だけだった。和樹にキスをされるたびに、僕の心の底に重い石ころのようなものが溜まっていった。


黒くて重たいその石は、和樹にキスをされるたびにごろごろと転がって、と僕を責めた。


「こんなことでいいのか」「どうするつもりだ」


 それは僕自身や僕の頭の中の家族の非難。妄念に過ぎないとわかっていても、それは僕を苦しめた。


 そんな僕を知らない和樹は楽しそうだった。僕にキスを求め、応えてしまう僕に喜んだ。


「祐也の違う一面を見ちゃった」


「何がだ」


「嫌な顔をするくせに、キスをさせてくれる」


「嫌な顔をしていると思うならやめろ」


「祐也が嫌だと言えばやめるよ」


 だが、僕は拒まなかった。和樹が望めば、ひょっとすると身体も許してしまったかもしれない。


 嫌な顔を作ることだけが、僕の最後の抵抗だった。和樹に対してではなく、僕に対しての。僕は和樹と恋人の関係になるつもりなどないと、僕自身に抗っていた。


 僕は和樹を好きだったが、かといって彼と共に生きたいとは思わなかった。というより、そんなことはできないと、心を封じていたのかもしれない。それなのに、和樹の求められるがままだった。心の奥底にたまった石は、いつか喉からこぼれそうなほど溜まった。


 苦しくて、もう最後にしようと思いながら、次のキスを待っていた。唇に感じる和樹の感触や、背に回された腕に悦んだ。こんな優柔不断な己が存在することを知って、嫌で仕方なかった。


 恋人というわけではないが、友人の距離感とも違う。そんな不安定な日々が続くわけはなかった。それは、冬の日だった。その年一番の寒い日で、雪が降り始めていた。


 和樹にもう一度告白された。


 夜の公園だった。和樹は寒さが苦手だというのに、外を歩きたいからと連れ出されたのだ。誰もいない公園の奥へと歩いて行った和樹は、ベンチに座ろうと言った。普段の僕なら「この寒いのに何を言っている」とくらい言っただろうに、黙って言うとおりにした。和樹と並んで座り、綿雪がアスファルトに降りては音もなく溶けていくのをみつめていた。やがて僕たちのコートや靴に降りた雪が白く積もり始めたころ、和樹は言った。


「前は俺の気持ちを言うだけだったから、もう一度言おうと思って。酒も入ってたしな」


 柄にもなく改まった顔をして、和樹は言った。


「好きなんだ。付き合って欲しい」


 これはもう曖昧にできない。前は和樹の気持ちの表明に過ぎなかったが、今度は違う。もともとはっきりさせる性分だ。幸い、この寒さの中で僕は冷静になっていた。


「僕は金沢に帰って、向こうで結婚して生きていくつもりなんだ。それは変えるつもりはないよ。……今までのことは悪かった」


「そっか。俺のことは、どう思っているんだ?」


「いい友人だ。それ以上の行為を許したのは悪かったと思っている」


 和樹はなぜ何度もキスも抱擁も許したのかとは問わず、「わかった」とだけ言った。僕にとって、普通ではない道は受け入れ難かった。どれだけ和樹のことを想っていても、僕は和樹に想いを伝えるなど選択肢になかった。


 僕たちはもう触れ合うことはなくなった。和樹はまるでそれまでのことがなかったかのように、普通の友人としてふるまい、僕もそうした。ただ、互いに連絡をとることは次第に少なくなった。部屋を行き来するこ*とも、それを境になくなった。和樹がどう思っていたのか、あの冬の日以来聞いていないから、僕は知らない。*

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る