勇者よ、手の鳴るほうへ
京野 薫
前編
【※本作は俗に言う「胸糞展開」「不快な表現」「憂鬱な展開」を多量に含んでいます。せっかくの貴重なお時間頂き、ご不快な思いをさせてしまうのは……と思うので、そのような作品が苦手な方はどうか読むのをお控え頂くよう、お願い申し上げます。勝手ですいませんが……】
●○●○●○●○●○●○●○●○
終わった……
俺は、剣の切っ先を大理石の床に突き立てると、その場に崩れるようにしゃがみこんだ。
もう一歩も動くことは出来ない。
文字通り全ての力を使い果たしたかのようだ。
俺は広間の奥に倒れている魔王を見た。
顔中に不気味な刺青のある、だが美しく魅惑的な女性。
だが、長きに渡りエルドア王国に恐怖をもたらした魔王。
その身体が斜めに切られ、倒れている。
「大丈夫? レイ」
同じパーティの魔法使いのセシリアが心配そうに駆け寄ってきた。
彼女も持てる魔力の全てを使っているのに……
俺は無理やり笑顔を作った。
「大丈夫だ。ただ……王宮に帰るのにはお前の力が必要だ。飛行の魔法は……使えるか?」
セシリアは頷いた。
「その分は残してあるから。せっかく魔王を倒したのに、英雄レイモンドが戻れなかったら、みんな悲しむよ」
「英雄は……お前だろ? お前が居なかったら魔王は倒せなかった」
「本当に……長かったわね」
「ああ……五年か……俺たちは色々失った。仲間も……時間も……でも、全て終わった」
この広間に来るまでに俺たちパーティは、俺とセシリア以外仲間を皆失った。
彼らの遺体を持ち帰ってやることも出来ないほどの形で。
その時の事が脳裏に浮かび、奥歯が痛くなるほどかみ締める。
まだ体力があるならさらにあの死体を切り刻んでやりたいくらいだ。
セシリアはそんな俺を優しく抱きしめると呪文を詠唱し、背中に魔力の翼を出した。
そして俺を抱きしめたまま続ける。
「これからはゆっくり休んで。あなたは救国の英雄。もう何にも悩まなくてもいい。怯えなくてもいい」
そうだ……やっと終わった。
セシリアの言うとおりだ。
これからは……彼女と二人で失ったものを少しづつ……取り戻したい。
そう思い深く息を吐いたとき。
突然広間の奥から強い風が吹き、セシリアの身体を大きく揺らした。
「おい! 大丈夫か!」
セシリアは少しの間、俯いていたがやがて顔を上げるとニッコリと微笑んだ。
「うん、大丈夫。いきなり風が吹いてきてびっくりしただけ。じゃあ行こうか。私たちの故郷へ。そして……新しい生活へ」
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「親父、エールを一杯くれないか? 後、岩トカゲの串焼きも」
カウンターに座り、そうつぶやくように言った俺をマスターはカウンター越しに横目で見ると、ぶっきら棒に言う。
「金、あるの? 先月分のツケは当然払うんだよな?」
「すまん、それは来月に……」
俯いて小声で言う俺の耳に他の客の声が飛び込む。
まるで調律の狂った弦楽器の音のように不快に、だが強引に。
「金、払えないのに良く来るよな」
「言ってやるなって。勇者様に切り殺されるぞ」
「いいな~、勇者様はタダで飲み食いできるんだ。俺もなろうかな」
「マジかよ。なって何、倒すんだよ。野うさぎか? モンスターなんてもうどこにも居ないんだぞ」
「だよな」
その後に続く笑い声に胃の奥に痛みを感じ、俺は無言で席を立ち店を出た。
これは……なんなんだ。
俺は怒りと情けなさで身体が震えた。
魔王を倒した俺とセシリアは王宮に帰ると、生まれて初めてと言っていいほどの歓待を受けた。
天上の美を体現したかのような音楽に踊り。
そして、めまいを起こしそうな美味しさの料理と酒。
そして出発するときには、他に派遣した数百の冒険者たちに向けるのと同じ、石ころを見るようだった国王や王妃の熱狂的な視線。
それらはこの五年の恐怖と苦痛の日々を取り返してあまりある物だった。
だが、生涯続くと思われたそれらは半年も過ぎると……消えた。
驚いたことに魔王が居なくなると共に、地上から一切のモンスターや死霊の類が消えた。
それどころか、なぜか分からないが人に害をなす猛獣の類も、共食いを起こし絶滅した。
それによってそれまでの恐怖に満ちていたエルドア王国は一転、地上の楽園となった。
だが、それと時を同じくして隣国からの侵略も増えた。
急激に平和と繁栄を得たエルドア王国の資源や豊かな土地を狙ってのものだった。
そう。
これまでは魔王による支配を受けていて、危険に満ちていた国。
そんな所に隣国は魅力を感じて居なかったのだ。
そんな中で、俺とセシリアの価値は急速に失われた。
俺は魔王との戦いで左腕が動かなくなり、セシリアは自らの魔力を使い果たして以後、以前の様に魔法を使えなくなったとのことだった。
そのため、国は本来定期的に受け取るはずだった俺たちへの報酬をいつしか打ち切った。
戦争が激化しそれどころではなくなったのだ。
国は新たな英雄……勇猛果敢な兵士やそれを神のごとき智謀で使いこなす戦略家を求め、それらの才を持つ人物に国の残り少ない財産から高い待遇を与えた。
そう。
俺とセシリアは時代に取り残されてしまったのだ。
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「ただいま」
街の裏通り近くにある粗末な集合住宅。
台風が来れば吹き飛ばされかねないあばら家。
それが今の俺と彼女の住処だった。
「お帰りなさい。お仕事探し、お疲れ様。スープを作ったんだけど、食べる?」
「ありがとう」
俺は力なくつぶやきテーブルの前に座ると、セシリアの用意してくれたスープに口をつけ、小声でつぶやいた。
「仕事は……ゴメン。まだ……」
「いいよ、仕方ないよ。無理せずゆっくりと探して。それに最近街に変な疫病が広まってるでしょ? あまり無理してあなたまでそれにかかったら……ね?」
「でも……お前にも無理させてるし」
「いいよ。気にしないで。私たち……夫婦じゃない」
そう。
俺とセシリアは魔王討伐の翌月結婚した。
その時は二人で生涯幸せになろう、なれるはず。
そう思ってたのに……
「なんで……こんな事に」
「レイ、それは……」
「なんで全部悪いほうに行ってる? 隣国が攻め込んでこなければ。モンスターが急に居なくならなければ。国の財政がもう少し余裕があれば……時代の流れが全部悪いほうに行ってる。どんなに頑張っても……まるで濁流に流されてるみたいじゃねえか!」
言わずに居られなかった。
どれか一つでも歯車が合っていれば。
そうすれば俺とセシリアの価値は生きていた。
あまりにも全てが俺たちの存在を置き去りにしていた。
「なんで急に国王は手のひらを返した? どうなってる? 俺とお前くらい養う事はできるだろ! そんなにこの国は貧乏なのか!」
「レイ……仕方ないよ。戦争って、お金掛かるらしいじゃない。元々、私たちが旅立つ時だって魔王への備えや被害の復旧で国の財政は逼迫してる、って言ってたでしょ? だから……」
「こんな国のために俺たちは……五年だ! どれだけ絶望してきた? 仲間もお前以外みんな死んだ。何回も死んだほうがマシだと思うくらいの恐怖が続いた。出発する時は『選ばれし者』とおだててたくせに、出発してから何か助けてくれたのか! 放り出しじゃねえか!」
「もういいよ……レイ。もうやめよう。私たちに出来る事を……しよ。私はあなたが居れば……幸せ」
セシリアはそう言って近づき、俺を抱きしめる。
「いつか……二人だけの世界で暮らしたいな。誰にも脅かされない。あなたと私だけの理想の世界……」
「ああ……そうだな。俺も……そうしたい」
そう言うと俺を抱きしめるセシリアの腕に力が入った。
「本当に……そう思ってくれる?」
「ああ。俺はお前が世界の全てだ。他はもう……いらないよ。ずっと俺たちだけで暮らそう」
「……嬉しい。私……頑張る」
「お前は充分頑張ってる。もういいよ。俺が頑張る番だ」
「ううん。一緒に……ね」
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