019
足元がぬかるむ。
湿った腐葉土の匂いに鼻が慣れるまで、ほんの数秒。
倒木を踏み越えた瞬間、背後から小さなモーター音が追いついてきた。
「ヨモギ、映ってるよー! もーちょい前!」
アズサの声と同時に、ユイから借りた高画質ドローンが上空に位置取りを変えた。
樹々の間から漏れる人工昼光が、ダンジョン内の景色を柔らかく照らしている。
ここは――等々力渓谷ダンジョン。
視界を覆う渓谷の上空は、春霞のような白に透け、どこまでも穏やかに晴れ渡っている。
だが――妙だ。
雲は一つもない。
風も、鳥も飛ばなく、音がない。
木々はそよぎもせず、葉擦れのさえずりすら聞こえない。
まさに完璧な自然。
だが、静止した絵の中に放り込まれたような不気味さがある。
今日はこのダンジョンで、今は黄金筍という食材を探す料理配信をするつもりだ。
私の肩に、小型ドローンがぴたりと張り付いている。
これはユイから借りた追尾型極小ドローンで、チャンネルで神視点を提供する役目だ。
二つの視点、ふたつの配信。
視聴者からは人気者アズサ、片や謎に包まれた私――視聴者の反応がなかなか予測しづらい。
「ヨモギ、立ち位置ちょっと右寄ってー」
後方から、朗らかな声が響いた。
軽快な足取りで近づいてきたのは、肩口までの明るい茶髪を揺らした少女、アズサだ。
短めのジャケットと迷彩柄のパンツ、首元には薄いスカーフを巻いている。
機動力と映えを両立したコーディネートだ。
肩に引っ掛けた小型ドローンが、キィンと小さく駆動音を響かせて浮かび上がった。
「ユイも準備ができたっぽいね。アズサ、始めていいよ。」
「やっほ~!みんな今日もありがとね!
アズサチャンネル、あなたの心に一直線、アズサですっ☆」
ドローンが旋回し、ふたりを正面から捉えながらアズサの笑顔をアップで抜く。
華やかすぎるくらいがちょうどいい。視聴者のテンションは冒頭から最高潮だった。
これが人気ダンチューバ―か…
:キター!
:アズサ様の“一直線”で今日も生き返る
:背景まで映画じゃん
「今日はね、例の“黄金筍”を探すリアルガチ探索です!ダンジョン飯界のレジェンド、幻の香気を追いますよ~!今回、一緒に探索してくれる方はこの方です!」
そういうとこちらに手招きしてきた。
「ヨモギです。こないだの奥多摩で一瞬映ってた人ですね。」
「ちなみに、ヨモギのチャンネルでは神視点での配信をしているそうなので、ぜひ見てみてね!」
:ふぁッ⁉
:コラボできたのかよ
:たしか全く情報がなかったんじゃ?
「まぁまぁ、たまたま会ったんだよね?」
「そうだね、あと、これまでの配信のアーカイブを全て公開したのでそちらもぜひ見てください。」
そう、私の配信のアーカイブを全部公開することにした。
これは冗談で私がユイに言ったのが、配信の制約が消えたからいいんじゃないという結論で実現してしまった。
しかも、ユイが字幕を全部貼りなおしているらしい。
恐ろしい限りだね...
「ところでさ、黄金筍って聞こえはいいけど、合法依存系ってのが引っかかるんだよね…」
「そーいうとこがダメなの。もっとこう、夢見てこうよ?配信なんだし。」
腐葉土の香りが、足元からじわじわと立ち上がる。
ダンジョンの中腹に設けられた小さな橋を渡ると、谷はぐっと深くなる。渓流のせせらぎが左右から合わさり、耳の奥で響くような空間に変わっていた。
「あれだよね、ダンジョンって、音が澄んでるから、逆に足音が際立つんだよね。」
アズサが、愛剣をくるりと回しながら言った。
「それ、私も思ってた。」
私は小声で返す。
パペットたちは既に索敵行動を開始していた。
今日はクロウとアクアスを連れてきている。
私の頭上を駆けるのはクロウ。
アクアスは、渓流の底を静かに滑っている。
一歩進むたびに、苔のじゅうたんがふわりと沈み、ミシリと朽ちた枝が潰れる音がする。
アズサはまるで音を殺すように、脚を滑らせて歩いていた。軽い。踊るようだ。
配信用ドローンが滑空し、彼女を正面からフレームインする。
カメラ越しのアズサは、実に鮮やかだった。
「ストップ。木の幹、左。」
俺の声に反応して、アズサがぴたりと止まる。
ツタに見えたそれが、ゆっくりと蠢いた。
サクラツル――擬態に特化した植物系。
樹皮に混じって自己拡張を続ける種だ。
「先手、もらっちゃうよ?」
アズサが半歩前に出た瞬間、ツタが一斉に伸びてきた。
空間がみしりと軋む。
木の幹から広がる花弁のような構造が、光を集めて軌道を遮る。
「獄炎赫夜、三日月!」
声と共に、アズサの刃が風を裂いた。
軌跡に沿って赤い炎が広範囲に立ち上がる。
刹那、ツタが焼け落ち、黒煙を上げて崩れた。
「わたし的には、炎属性って王道すぎて好きじゃないんだけど……やっぱ便利だよねー♪」
笑いながら、彼女は肩をすくめた。
その瞬間すら画になる。
さすが配信者、隙がない。
***
渓流が合流する谷底の小さな窪地にほんのりと光っているものがある。
苔に覆われた小さな土の盛り上がりの中央に、ほんの少し、光を反射する“何か”がのぞいていた。
「……マジであった。黄金筍。」
それは金属のような光沢と、植物的な繊維の両方を持つ、奇妙な芽だった。
直径は親指ほど。
根本が淡く発光していて、周囲の苔すら照らしている。
:うおぉぉぉ!
:凄ぇ!
:うまそ
:確か数年前これで暴動起きたとかね...
「匂い……これだ。甘くて、ちょっと焦がしバターっぽい。」
アズサがうっとりと目を細める。
確かに、たったそれだけで胃が鳴るほど、芳醇な香りだった。
だが、同時に脳のどこかが警鐘を鳴らす。
あれ、なんかこの感じどこかで…
あぁ、あれだ、
「これ、合法ドラッグ系って言われない?」
「依存性はないけど、欲望が増すんだって。……いい香りすぎて、もうちょっと掘りたいって思うでしょ?」
掘り返そうとした、その瞬間。
ドォンッ!
土が炸裂する。筍を囲むように、太い根が縦横無尽に飛び出す。
褐色の樹皮に覆われ、表面はツツジの花弁に似た発光点を持つ。
シュロオニグサか…
地属性魔物で、漢字じゃ棕梠鬼草。
漢字で書くと中二病こじらせたように感じるのは私だけだろうか?
ちなみに繁殖期には、稀少植物を守るように根を張る生態を持つ。
仮にアレが繁殖期なら、あのタケノコはガチで珍しいという裏付けにもなる。
「あれ、わたしやっていい?」
「頼む。私はパペットで補佐に回る。」
「獄炎赫夜、双天月!」
アズサが宙を跳ぶ。
空中で二度回転しながら、剣を振るう。
炎の輪が広がり、根を焼き切る。
「アクアス、水壁で鎮火して。」
その瞬間、四方に水壁が現れ飛び火が勢いを失っていく。
:水魔法の使い手か!
:なるほど、アズサとコラボするって鎮火係ってわけか
根の動きが止まったのを確認し、私たちは慎重に土を掘った。
黄金筍は、見事な一本ものだった。
表面はほのかにぬれていて、金属光沢を持ちつつも繊維の縦筋がある。
香りはさらに濃くなっていた。香ばしさと、米のような優しさ。
呼吸が深くなる。脳が欲する。
「これ、正直、生でもいけるんじゃ……」
「おなか壊すよ?」
「じゃあ、加熱したらいいんだね?」
「え?まぁ、加熱すりゃいいけど…まさか!」
アズサは筍を空に投げると、剣に手を掛けた。
「獄炎赫夜、月断ち!」
ジュウッという音と共に、香気が爆発する。
:才能の無駄使いw
:えぇ...
「うわ。これ、視聴者に匂い伝わったら事件でしょ。」
アズサはその様子をしっかりドローンで追っていた。
味付けは醤油ベースのタレに少量の蜂蜜。
ちなみに蜂蜜はこないだのダンジョンのやつを持ってきた。
シンプルながら、黄金筍の旨みを引き立てる。
「……うんまっ!」
アズサがひと口目を食べて、目を見開いた。
「ヤバい。これ、依存性ないの嘘だよ。わたし、あと5本はいける」
私も試した。
ほんの一切れなのに、噛んだ瞬間、舌の奥に旨味が炸裂した。
出汁を一切使っていないのに、これは……完成された味だ。
「この味、反則だね。」
「これ、ぜったい世界大会レベルの食材なんだけど?」
私たちは黙々と食べた。
静かに、谷の風の音だけが響いていた。
***
調理を終えて、一息ついた頃。
アズサはドローンカメラにふわりと笑顔を向けた。
焚火のような温かさが、レンズの奥に届く。
「はいっ!というわけで、今回は――等々力渓谷ダンジョンからお届けしましたっ!」
彼女はぱちんと指を鳴らし、手元に残った黄金筍のスライスを高く掲げた。
「戦闘あり!発見あり!そして──うま過ぎるっ!」
小さく舌を出してウィンク。
演技ではない。
素で嬉しそうなのがわかる。
「今回も、同行してくれたヨモギに大感謝!本当に黄金筍採れちゃったけど……マジでやばい味でした!」
画面に切り替わって、アズサがそっと手を振る。
(……あの、喋って大丈夫?)
「喋って!」
「じゃあ……今回スムーズに行けて尺が余りかけたので次は多分、もっと高カロリーなダンジョンに行こうと思います。」
アズサが笑う。
「ふーん...こんなんじゃ生ぬるいって⁉」
軽やかなトーンで緩急をつけ、最後は画面に一歩近づいて締めの挨拶。
「それじゃあ、今日はそろそろ終わりにしま〜す!次回の配信も、お楽しみに……」
カメラ目線で、手を振りながら決め台詞。
「みんなの心を、笑顔でぶった斬るっ☆アズサでしたっ!」
:お疲れ様でした!
:消火係も凄かったです!
「あ、私は消火係なんかじゃn....」
配信終了。
画面がフェードアウトする。
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