青春に一つまみの現代ダンジョンを

ビト

第1話 よくある導入


 コツコツコツ。

 岩肌を靴が叩く硬質な音が響く。

 周囲を見れば上も下も右も左も、どこもかしこもが黒々とした岩石に覆われている。天井までの高さは優に十メートル以上あり、横幅はそれ以上だ。

 大人数が悠々と行き来できる、広々とした空間が広がっていた。


 そこは洞窟だった。

 人が頭の中で思い浮かべる、洞窟らしい洞窟といった見た目だ。

 日の光は一切差し込んでおらず、光源となるのは壁面に等間隔に設置された松明だけだったが、一寸先も見えない暗闇ということもなく、薄暗くはあるが不思議と目を凝らさずとも周囲を見渡せた。


 そんな薄暗い洞窟の中を一人の男が進んでいた。

 年の頃は十代半ばといったところか。青年というには早く、少年というには遅い、年若い男だった。


 そのような若い男がこんな場所を歩いているというだけでも奇妙な事柄なのだが、その男の格好がことさら奇妙さを際立たせていた。


 彼は、肩甲骨辺りまで伸ばした艶やかな黒髪を、先端付近で束ね、真っ赤な丸いサングラスをかけ、派手な刺繍の施された桜色のコートを纏っており、インナーこそありふれたシャツとジーンズだが、足には軍用と思われるごついブーツを履いているのだ。

 たとえこの場所が街中であっても目立つであろう奇妙さだった。


 だが、男の最も特異な点は服装ではなかった。


 男の腰に巻かれた太いベルトには、刀が佩かれていたのだ。


「……ここ入ってからもう結構経つのに全然湧いてこないんだけど、どうなってるの?」

 歩みを止めることなく男がぼやくように呟く。

 声は小さく、陰気さを覚えるようにこもり気味だったが、周囲を岩で囲まれた洞窟内では思いの外響き、聞き取り辛さを感じさせなかった。


 赤いサングラスに隠された目が、退屈そうに垂れ下がっていた。

 ぼやきながら、その視線を滑らせる。

 その先には――――。


 :もう十分近くエンカなしだもんなー

 :ここまで湧かないことってあんまないよな

 :てか、湧かない間はトークでつなげや配信者

 :なんで無言で歩き続けてんのよ

 :モモタローだからしかたがない

 :さすモモ

 :そこにしびれないあこがれない


 空中に浮かぶ、半透明のディスプレイがあった。

 ディスプレイには、男の言葉に反応したコメントが浮かび上がっては消えていく。


「……何度も言うけどモモタローじゃなくてヒャクタローだからね。」


 :わかったよモモタロー

 :りょーかいモモタロー

 :モモタローモモタローモモタロー

 :ヒャ……モモタロー


 明らかに悪ノリし始めたコメント達を見て溜息を吐く。

 何時も通り過ぎて怒りも湧かなかった。


 男の名は狸穴百太郎まみあなひゃくたろう

 ここはダンジョン。

 彼は摩訶不思議なダンジョンに潜る、迷宮探索者ダンジョンダイバーだ。



 ◇………………………………………………………………………



「……ヒマ過ぎて眠くなってきた。帰って寝ていいですか?」


 :いいわけねーだろ

 :仕事だろうが

 :眠いならここで寝ろ

 :ダンジョンで寝たらマジで死ぬぞ

 :でもモモタローなら大丈夫と思えてしまう

 :それな


「……だからモモタローじゃないって……ふぁっ、あふぅ。」

 そんなダンジョンダイバーである百太郎は現在、ふらふらとした危なっかしい足取りでダンジョン内を闊歩していた。

 彼のサングラスに隠された瞳には、退屈の色が滲み出ていた。

 普段から表情に乏しい男であるため、仮にサングラスを外しても親しい友人以外には気付かれなかったであろうが、百太郎のテンションは先程から下がる一方だった。

 顔には表れずとも、その気持ちははっきりと態度に出ていた。いや、態度どころか声に出ていた。

 その惰性が脳というフィルターを通さずに、欠伸とともに口から吐き出されたかのような発言に、ディスプレイにもツッコミのコメントが多数流れる。

 コメントを送る者達を舐め腐ったかのような態度だが、彼は何時如何なる時もこんな感じだ。彼等もそれを理解して百太郎を見ているため、コメントでは辛辣な内容が並ぶが、本当に怒っている訳ではない。

 百太郎と彼等の間には、ある種のお決まりのやり取りがあるのだ。


「……あぁ~~、うぁ~~。」


 :とうとう言葉を捨て去ったか……

 :久しぶりだね、こうなるの

 :まあ、最近はもっと高ランクのところいってたし、ここまで湧かないのもほとんどなかったしな

 :いやでも、いくら低ランクでももっと湧くはずなんだけど


「……もう配信終了して帰っても――――っ!?」

 瞬間、直前まで寝ぼけ眼だった百太郎の瞳に鋭い光が宿る。

 腰の刀を慣れた手つきで抜き、正眼に構える。

 小さく静かに息を吐くその雰囲気は、先程までの気だるげな少年とは打って変わって、狩人の如く静謐でありながら突き刺さんばかりの剣呑なものへと変貌していた。


 :おっ?きたか?

 :エンカキタコレ!

 :いつものことだけど臨戦態勢になると別人だな

 :がんばれモモタロー!


 百太郎が刀を構えて数秒、彼は身動ぎもせず前方の暗闇を見つめていた。

 するとその視線の先から、小さな足音が聞こえてくる。

 足音は時を経る毎に大きく響くようになり、硬い岩の地面を伝って断続的な振動が足の裏へと伝わる。

 張り詰めた緊張感からコメントも疎らになり始めた時、それは姿を現した。


 暗がりから現れたそれは、人の形をしていたが明らかに人ではなかった。

 身長はおよそ2メートル強。

 筋骨隆々の体躯で、足の太さなどは凄まじく、まるで巨木の幹を思わせる程だ。

 その筋肉の塊を深緑の肌で包んだ大男の額には一本の角が生えており、この生物が自然界の生態系の外にいることを物語っていた。


 :オーガキター!

 :モンスター発見!これより戦闘行動に移行する!

 :オーガかぁ

 :あれ?オーガってこんな初ダンにでてきたっけ?


 モンスター。

 それはダンジョンに生息する生物の総称。

 いや、生き物であるかどうかも定かではない。

 地球上の動物と似たような姿をしていてもサイズが巨大だったり、人と近しい姿をしながら人にはない器官を具えていたり、果ては鉱物や液体状の身体を持つものなども存在した。

 ダイバーの活動の一つが、このモンスターの討伐である。


 百太郎の前に現れたのは、オーガと呼ばれるモンスターだ。

 その脅威度は中々に高く、熟練のダイバーでも一人で対峙するのは避ける程の大物だ。

 なにせ、強い、硬い、大きいと三拍子揃っている。

 並の人間が相手をすれば、即ミンチにされてお終いだろう。


「……ん~、オーガかぁ。」

 死の化身と言っていいような怪物が目の前に迫っているというのに、百太郎の顔には悲壮感など欠片も浮かんではいなかった。

 警戒こそ緩んでいないものの、ポツリと零れた言葉からは拍子抜けしたと言わんばかりの軽さが滲んでいた。


「ゴガアアアァァァ――――!!」

 刀を構える百太郎に気付いたオーガが、ビリビリと空気を震わせるように咆哮を上げた。

 それはまるで獲物を見つけたことへの歓喜の声にも聞こえる。


「ガァッ!!」

 瞬間、オーガが爆発的な勢いで駆けだした。

 一歩毎に岩の床を抉りながら、凄まじい速さで迫ってくる。


 対する百太郎はその場から動くことなく、静かに呼吸を整え、迫りくる脅威を鋭い目で見据えていた。


「グルァ!!」

 あと一歩という距離まで近付いたオーガは、突進の勢いそのままに太くて長い腕で殴り掛かった。

 当たったが最後、人体など発泡スチロールのように拉げさせてしまいそうな剛腕が間近に迫る中、それまで微動だにしなかった百太郎が動き出す。


「……ぬるいね。」

 彼は腰を落とすことで拳を躱すと、低い姿勢のまま滑るように一歩踏み出し、流れる様な太刀筋でオーガの脇腹を斬り裂いた。


「――――ッオオオアアアァァァッ!?」


 拳に感じるはずの肉を叩く感触がないことにポカンとした表情を浮かべたオーガは、次の瞬間、突如として腹部に発生した灼熱のような激痛に悲鳴を上げた。


「……うるさ。」

 間近から響いた大声に五月蠅げに眉を顰めながら、再度刀を振るう。

 その一閃は、痛みに足を縺れさせて倒れかけていたオーガの首を、豆腐でも切るかの如くするりと切断せしめた。

 首を失ったオーガの身体がズシンと重たい音を響かせて倒れ伏す。

 少しのタイミング遅れで、身体から放り出された首がボールのように地面を転がっていく音が聞こえた。


 たった二振り。

 それだけの動作で、百太郎は強大な化物を退治して見せたのだった。


 息絶えたオーガの身体が、少しずつ黒い霧となって空中へと霧散してゆく。

 これがモンスターが生物であることを疑問視される一番の要因である。

 通常、生物の死体は風化やバクテリアなどの微生物による分解などで形を失っていくものであり、完全に消えてなくなるには、相当な時間を要する。しかも、骨などに至っては、環境によっては数千年単位で形を保っていたりもする。

 だというのに、モンスターは絶命して数秒から1分程度でその身を黒い霧へと変えてしまうのだ。

 生態どころか物理法則すら無視したその在り方は、モンスターとは何かという議論で一番に取り上げられる内容である。


 モンスターが完全に消え去ってからしばらくしてから、ようやく構えていた刀を下す。

 たとえモンスターを斃した後でも残心を忘れない姿勢に、百太郎の高い技量が見て取れた。


「……ふぅ。」

 短く息を吐いて刀を鞘に納めると同時に、戦闘中は息を潜めていたコメント欄が溢れ出した。


 :おおおお――――!

 :一撃かよ!

 :いや二撃だったでしょ

 :普通オーガを二撃で仕留めるなんて上級者でもできないんだがなぁ

 :モモタローが上級者と同程度だと思うてか

 :まぁ若いもんなモモタロー

 :ティーンでここまで強い人なんてほとんどいないだろうしね


 己を称賛するコメントをスルーして、先程までオーガの身体が横たわっていた場所に近付き、そこに残されていた物を拾い上げる。


「……ん~、そこそこ?」

 目線の高さまで持ち上げたそれを、目を細めながら値踏みする。


 百太郎が手にしていたそれは、石だった。

 大きさはピンポン玉程度、古ぼけたガラスのような鈍い透明度で、光にかざすとぼんやりとした輝きを放っていた。


 :オーガにしては大きめの魔石だな

 :これだけで日給くらいにはなるな

 :命がけの報酬がそれだけとか……

 :やっぱオーガは割に合わねー

 :ゴブリンでも十体も斃せばそれくらいいくよ

 :でもオーガはドロップアイテムが期待できるから……

 :期待できる(確率0,1%以下)


 オーガが落とした石。それは魔石と呼ばれるものだ。

 正式名称オトギナイト。

 この魔石こそがダンジョンが人類に齎した恩恵の際たるものだ。


 ダンジョン黎明期、世界はダンジョンの謎を解き明かそうとこぞってダンジョンへ足を踏み入れた。

 そして発見されたのが、モンスターを斃した際に残される魔石だ。


 魔石を研究した学者達は、その凄まじさに驚愕した。

 魔石を形作る要素は、あらゆるエネルギーへの変換が可能であったのだ。当然、電力にもだ。

 しかも、その変換効率は既存の発電機構を遥かに凌駕した。なにせタービンを回して電気を創り出すという間接的な方法を取らず、直接電力に変換できるのだ。さらに廃棄物を出さないというおまけつき。

 火力発電や原子力発電では不可能だった、ロスのほとんど出ない発電が可能だったのだ。

 それにより、世界はエネルギー革命を迎えた。


 それ故、各国がダンジョンを油田のように管理・保護したため、一般人がダンジョンに入れるようになるまでに、100年近い年月を要するのであった。




 ◇―――――――――――――――――――――――――――




「フッ――――!」

 振るわれた刀が、オーガの頭から股間までを唐竹に両断する。

 左右に分かたれた身体が地面に倒れ込む前に霧となって消えた。

 血肉も付いていない刃を一度大きく振ってから鞘に納めた百太郎は、深い溜息を吐いた。


「……オーガ、多っ。」


 :たしかに今日オーガしか見ないな

 :ここ初心者ダンジョンだったよね?

 :もっと上のダンジョンじゃないと出てこない筈なのに

 :イレギュラーかねぇ


 最初にオーガと遭遇してから十数分。

 百太郎はすでに片手の指の数を超える数のオーガと接敵していた。


 初心者向けのダンジョンとしてはこのエンカウント率は異常だ。

 しかもエンカウントするのはオーガという上級者向けの大物ばかり。

 何かが起こっているのは明白だった。


「……報告上げたし、討伐隊も出動してるだろうから、そろそろ引き上げようか。

 最悪、封鎖入るかもしれないし。」


 :それがいいよ

 :仕事は見回りだから討伐まではしなくていいわけだしな

 :むしろ下手に居残ってたらペナルティ食らう可能性もあるし

 :残念だけど今日はここまでか

 :しゃーなし


 配信時間的には十分とは言えなかったが、危険性も考えるとダンジョン内にこれ以上留まるわけにもいかなかった。

 視聴者達もそこは弁えたもので、文句を言う者はいなかった。


「……仕方ないね。じゃあ、今日はこれで――――。」


 出口へ向かうために踵を返したその時――――。



「きゃああああぁぁぁぁ――――!!」



 甲高い悲鳴が洞窟内に響き渡った。


「っ――――!!」


 悲鳴を聞いた瞬間、百太郎は弾かれたように走り出した。


 :悲鳴!?

 :かなりガチだったぞ!?

 :初心者ダンジョンのイレギュラー中なわけだから……

 :急げモモタロー!!

 :ダッシュだー!!


 慌てふためくコメントを背に受けながら、百太郎はぐんぐんと加速していった。




 ◇―――――――――――――――――――――――――――



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