狼の目に狐の面

褄取草

第1話 穴

あれは俺が5歳の頃。

初めて赤ん坊の弟を抱き上げた時だった。

強烈に脳裏に浮かんだ想いは『護らねばならぬ』という使命感だった。

いや、幼い時分だ。言葉ではなく直感。それは兄としての自覚の芽生えなどではない。

言語化できないが、強く印象付ける電気信号のようなものだったと覚えている。

ただ目の前のこの小さな命を護らねばならないという命令にも似た感情だった。


・・・・・・・・・・


「先輩、そろそろ着きますよ?」

そう言って俺の肩を揺する声がする。だが体が重い。目を開けるのも億劫だった。

俺は目を瞑ったまま「着いたら起してくれ」と言った。

「だから、後2分もしたら着きますって!いい加減おきてくださいよ!」

更に体を揺する力が強くなる。いい加減うっとうしくなって俺は目を開ける。

「あ、起きた。おはようございます」

俺が起きた事で安心したような顔をしている男性が隣に座っている。

「俺そんなに寝てねーだろ?まだ瀬戸大橋は渡ってないだろ?」と言うのだが

「もうとっくに過ぎましたよ。大橋の前にも起しましたからね俺。絶対絶対起しましたからね?」と念入りに自分の行動を主張してきた。

「ふあ~…嘘だろ?一瞬じゃねーか。岡山から乗ってもう香川かよ」

楽しみにしていた大橋の光景を見ることが叶わずやる気が随分下がった。項垂れながら携帯を取り出し時間を確認した。確かに一時間弱寝ていたようだ。冤罪で危うく後輩を問い詰めるところだった。

俺は後輩の横をチラッと見て


「なあ何か違和感を感じないか?」と聞いた。


「何がですか?普通ですけど?それより先輩、そろそろ駅に到着しますからね。荷物の準備してください」そう言いながら後輩は自分のお菓子やら小説をリュックにしまって降りる準備をし始めた。

後輩にそう言われたのだがマリンライナーに乗って直ぐに寝てしまった俺は特に荷物を座席に出していない。準備もへったくれもないのだ。

「なあ教授は先に現地に着いてるんだろ?ホテルにだったっけか?」

『寝ぼけた振り』をしながら後輩に問いかけチラリと後輩を見るのだが自分の準備に忙しいらしく「そうですそうです」とかなり適当な言い方で返事をしてきた。


もう一度チラッと『後輩の横』を見て

「なあ直人…今更だがこの研修旅行、おかしいと思わないか?違和感とかないか?」

念押しにもう一度聞いてみた。


隣の席の【高崎直人(たかさき なおと)】に問いかけるのだが、直人は首を傾げるだけで「全然普通じゃないですか?どうかしたんですか?」と返してくるのであった。

直人と俺はサークルの先輩後輩で2年間の付き合いがある。ある程度気心も知れているのだが…違和感を感じないという相手にわざわざ言う事でもないだろうと思い荷物を膝の上に置き降りる準備を終わらせた。

(まあ…『それ』は気が付かないのは仕方がないが、だがもう一方は気が付けよな大学生なんだからよ)

などと思っていると香川の坂出駅に到着し下車することとなった。


「香川と言えば『うどん』ですよね?俺食いたいんですけど」と直人が言うのだが

「取り敢えず教授に連絡が先だ。その後時間を考えて行動する」と直人の要求を却下した。

ぶつぶつ文句を言っている後輩を横目に携帯を取り出し教授に電話をした。


プルルルルル プルルルルル

「はい、【新崎(しんざき)】です」

「お疲れ様です教授。今高崎と坂出駅に着きました。教授はもう移動しているんですか?」

開口一番教授に今の状況を伝え、今日の予定の変更がないか確認をした。

「ああ、お疲れさん。瀬戸大橋からの景色はどうだった?良かっただろ?あれが出来た時私は『人の力は凄い!』と何度も思ったものだよ。また帰りも見れると思うと今からワクワクするぐらいだ」

何故開口一番状況を伝えたか、それはこの長話だ。物凄く脱線する。そして少々イライラする。決して瀬戸大橋の景色を見れていない悔しさからではない、断じて!

俺は一呼吸置き「すみません教授、ちょっと人が多いので動きながら話しますね」と今は人も多くない駅で状況を説明する言葉を挟んだ。教授の長電話を阻止するためだ。

「おっとすまないね。ついつい感動を思い出して饒舌になってしまっていたよ。ああ、私の状況かい?予定通りだよ、今そちらに向かっているから10分ぐらい待っていてくれ」

「ありがとうございます。では駅前で待っておりますので」

そう言って強引に通話を終えた。

「先輩、教授は何って言ってました?時間がかかるようだったら、俺うどん…」と直人が会話の内容を聞いてきたのだが

「もう少ししたら来るから駅前で待機だ」と説明すると、直人は肩を落とすのだった。

(そんなにうどんが食べたかったのかこいつ?)

駅前に移動した俺達は教授の到着を待った。その間直人は暇を持て余していたのか俺を相手にべらべらと喋り始めるのであった。

「そういやさっき『この研修旅行はおかしい』とかなんとか言ってなかったでしたか?」

「ああ、言った。だが、気にならないのならどうでもいい」

この話題を触れてくるという事は先程俺が言った会話は耳に入っていたってことかと確認が出来た。直人の様子からするとやはり分かっていないらしい。こいつが鈍感なのか、それともそこまで考えられていないのか、そもそも俺が知らないだけで『何か替えが効く』のか。かわいい後輩のために教授には確認をとっておいてやろうと思ったのだった。

どうも俺の言い方が気に入らなかったらしい直人は「だから何なんですか?気になることって?教えてくださいよー」と20歳の男性とは思えないダダを捏ね始める。正直げんなりする。

(ダダか…弟も小さいころは遊んでくれとダダを捏ねてたな)

などと思うと後輩の幼稚な仕草になんだかほころんでしまうのだが、爆音が聞こえてきたのでそちらに目をやった。

「おい直人、教授が来たぞ」

「あ、本当ですね。あの音間違いなく新崎教授です」

とキリッと態度を一変させ教授の車を直立不動で待つ二人だった。

駅前で居た人達はなんだなんだと爆音のする方を見始めた。

その音の方向から一台のブルーのセダンタイプの車が到着する。驚くのはまず見た目が異様なのだ。その車種はよく公道を走っているハイブリット車なのだが、どう考えてもそのエンジン音はありえない。有り得ないのだが爆音がするのである。

俺達の前にその車は停まり窓が開く。中から中年の男性がサングラスでこちらを見ている。俺達は何も言わず後部座席に滑り込んだ。

何故何も言わないかというと、恥ずかしいからだ!他人の目が!だ!

「…教授、お疲れ様です」

乗り込んで開口一番に俺達は教授に挨拶をした。

「おう、おつかれさん。じゃあ出るぞ?忘れ物ないな?」とサングラススタイルの教授はニヤリと笑った。

(笑った?…拙い、さっさとシートベルトしろ!)

小声で直人に指示するが「あわわ、ちょっとま…うおおお!!」間に合わなかった。

急発進するブルーの改造車(主にエンジン)。直人が振り回されたが教授は鼻歌を歌いながらアクセルを踏み込んでいる。

(これさえなければ、いや、他の悪い癖も沢山あるからな…取り敢えずこの癖直してほしいぜ…)

やれやれと思いながら左手はシートベルトをガッチリ握り右手で直人を抑えつけた。

「うおおお!ちょちょちょ!」とカーブの度に直人が吹き飛ぶさまは、ちょっと笑ってしまった。

(よくこの運転で捕まらねーな教授は…まあこれで事故歴0件とかありえんだろ…)

などと思いながらも後部座席でひと眠りすることにした。



「先輩…先輩起きてください先輩…」

また焼き直しかと思うような直人の声が聞こえた。車の爆音も聞こえている、つまりまだ教授の車の中なのだろう。どうやら事故せず生きているようだと思い目を開く。

開口一番に「よくこの運転で寝れますね先輩…」と青ざめた直人が横から覗き込んでいた。

「慣れだ」

「そうですか…」

今にも吐きそうな顔の直人が悟りを開いたような(悲壮な)表情をしている。

窓の外を見ると場所は郊外。どうやら目的地の近くらしい。

「ふむ、我ながらナイスドライビングテクニック」と教授は自画自賛しているが、正直微塵も褒められない。だがまあ…『時間ギリギリ』だった事は確かだ。そんな時にしかこんな運転はしないのだから。


一旦車が減速し、何やら教授はシフトレバーの横のスイッチを押していた。その次の瞬間、爆音が消えた。

直人は目を丸くして「え!?何事ですか!?」と驚いている。

完全に電気自動車のモーター音だけとなった教授の愛馬は物凄く静かに、そして安全運転となった。

教授は後部座席の俺を見て「そろそろ着くからな?」と言った。

その教授の言葉に『期待』が込められているのも俺は感じ取れた。


だがその言葉に俺は無言で首を横に振る。


「『直人、俺は降りるが、お前は教授と宿に行くことになる』。俺の荷物は俺が持って降りるから気にするな」と直人に予定を伝えた。

直人は全く意味が分かっていない。

その時運転席の新崎は間違いなく酷く残念な顔をしていただろう。サングラスをしているのでわかりにくいのだが、多分そうだ。

そんな空気を流石に読めずに「え?先輩だけ単独行動何ですか?」と予定表には無い行動に直人は頭にハテナマークが出ているようだ。


(それはそうだ。この旅行が『ただの研修旅行』だとしか伝えていないのだから)


車が停車し、そして俺は車から降りる。

窓を開けて教授は「2時間後に迎えに来る。頼んだ」と言い、そのまま車を発進させた。チラッと見せた教授の顔はやはり残念そうにしていた。


俺は腕時計を見る。デジタル表記のそれは15:56を示していた。

「流石新崎教授…よくもまあ間に合っちまったもんっすよ」

ため息と悪態が出るのだが、引き受けたからにはこなさなければ単位がない。いわば教授と俺は会社の上司と部下だ。

(きっちり成果を上げなければな、家族の為に)

そう思いながらバッグの中から一本の20cm程の黒い棒を取り出した。それを右手に持ち、一気に振り降ろした。


カシャ カシャン!


その黒い棒は伸び、60cm程の大きさになっていた。夏を前にして熱くなっている筈の今、その黒い棒の周辺だけ5度低いような感覚を覚えるような異様な光を反射する。

「…仕事だ。行くぞ」

背後には『既に』黒衣を着こんだ白髪の女性が立っていた。

「そんな小難しい立ち回りはいい加減止めればどうかぁ?」

とその女性は呆れたような声で俺に話しかけてくる。その問いに俺は面倒くさそうに答えた。


「長男だからな、俺は」


そう一言だけ伝えると、

目的地である 目の前の廃工場 に足を進ませるのであった。


昔、飼っていた犬が死んだ。

あの時幼い弟は大泣きしていたな…

その時からだ。こいつとの付き合いは。

思えば…あの時から弟とはギクシャクしている、全部こいつの所為だ…

妹は…まあ歳が離れすぎているからな、思春期だし。


チラッと横目で黒衣の女性を見て昔の思い出と感情が湧きだした。

横に立つ女性は大柄で、175cmの俺よりも頭一つ分背が高い。そのくせ白髪ロングの髪が地面につきそうな勢いで垂れ下がっている。


「本当に辟易する」


口から自然に漏れたその悪態はきっと自分の過去の甘さに対してだ。

廃工場は狭く、中小企業のサイズ。鉄工所だったのだろう。ウインチや切断用の機材がそのまま放置されていた。そしてそれらはまるでバリケードの様に工場の中心には近づけないように置かれているようだ。その機材をかき分け、避けながら工場の中心へと進む。


するとそこには井戸サイズの穴がぽっかり地面に口を開けていた。


俺はそのまま何の躊躇もせず工場の中央のにある穴の前に立った。その穴からは生暖かい風が吹き出されている。そして底は全く見えない。ここで間違いないと確認して自分の腕時計を見た。

『15:59』

「時間だ。間に合ったな」

そう言って隣の黒い女に目配せした。

女はニヤリと笑いながら俺の真後ろに立ちぼそぼそと耳打ちしてくる。

「今日は何が出てくるか楽しみねぇ」

とまるで舌なめずりをするような言い方で俺の耳元に温かい息を当ててきた。

「出す訳ねーんだよ。それが仕事だろうが」

苛立ちながら秒針の表記が00になるタイミングを見計らい黒い棒を振り上げる。

58

59

00

「セイ!!!」

ビュン!

勢いよく振り降ろされた黒い棒は空気を切る音と共に一瞬輝き、それは太陽の光のようにさえ見えた。


ガキィイイイィン!!!


それは黒い棒が『何か』と衝突した音だと分かるのは光が弱まったからである。

「ちぃ!!早かったか!?」

つい失策の声が出た。だがその失策をカバーするのが背後の女である。

「あら珍しいわねぇ」

涼しい声をしているが、多分顔は満面の笑みだろう。

俺の背後から伸びる女の異様に長くなった手がその『何か』を掴んだ。

拘束されたその『何か』は藻搔いているように見えるのだが、俺はそんな事はどうでもよく、もう一度振り降ろした。

今度は先程とは比にならない程の速さと光がその『何か』を縦に通過した!


ギュイ!


小さく何か呻くようにその対象は消える。

まるで砂の様にその『何か』はサラサラと崩れていき、そしてその残骸で穴が埋められていく。

「ふう…何とかなったな。単位」

俺は安堵しながら穴が埋まっていく様を見ていた。背後の女は久しぶりにした俺の失敗をニマニマと笑いながら「こんな時にも学校の心配?大変ねぇ~」と気の抜けるような言い方をしながらだらりと俺の背中にもたれ掛かってきた。

「…重い」

そう俺が文句を言うと「軽いといいなさい、傷つくわ~」とニヤニヤしている。

完全に穴が埋まったのを確認し、教授に電話をした。

「はい、新崎です」

「教授、無事終わりました」

要件は簡潔に教授に報告した。

「早かったね【白上(しらがみ)】君。今高速に乗ったから、予定通り2時間後になるから少し待っててくれるかな?」

とハンズフリー通話であるだろう教授の返答が帰ってきた。

「了解しました。お待ちしております」

そこで通話が終わる。

携帯を仕舞おうとするとメッセージが入っていた事に気が付いた。

どうも祖母からの連絡らしい。

内容は今日の夕食の確認だった。繁忙期の両親に替わり孫たちの夕食の準備をしてくれているのだろう。ありがたいのだが少し心配にもなった。

「今日から四国にゼミ旅行だって言っておいたんだけどな…一応返信しておくか」

と携帯のメッセージを打ち込んでいると

「【幸子(さちこ)】もボケてきたのかな~」と能天気な言い方で黒い女は煽ってきた。

「ウチの婆さんがそんな簡単にボケると思うか?」と聞くと

「いいや~?あの女がボケるとか、まあまずないだろうねぇ~」と未だ負ぶさりながらニヤニヤしている。

「【狐(きつね)】…いい加減離れろ、うっとうしい」

狐とのやり取りに嫌気がさし、邪険に剥がした。

「あら~今日も【大和(やまと)】はいけずねぇ~。まあいいわ。『あなたの左手首』に戻っておくわね~」と言い白髪黒衣の女は姿を消した。


廃工場で一人天井を見上げ大きなため息をついた。

黒く大きな染みのような天井が、夕日になりかけている西の空の灯に焼かれていた。

それはまるで逢魔が時の始まりと終わりを現しているように見える。

俺の名前の由来の時間の終わりを告げているようだった。

外に出て携帯の打ちかけになっていたメッセージを完成させ転送する。


その文面は

「今日の晩飯は【裕也と夜風】の分だけでいい。俺は今日からゼミの研修旅行で今は四国だよ」

と書かれていた。



カサが要る日は雨が降る 外伝 「兄の務め 壱」 終

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