第八話【君が背負うもの】
商業区から、橋を渡って西側の住宅街へと戻る。村人たちの暮らしが息づくこの区域は、夕刻の光に照らされてどこか懐かしい匂いがした。
そこから住宅の間を南へ進み、古びた石段を登ると、岩壁に沿うようにして神社が現れる。風に揺れる小さな布垂れと、木組みの鳥居。奥には、しっかりとした祈祷場の建物が構えている。
「……これが、風の社?」
シノンがふと立ち止まり、鳥居越しに祈祷場を見上げて問う。
「ええ。ただし、これは村人たちが後から建てた“祈りの場所”ですね。元は、風渡族が旅の中で残していった“風の社”……小さな自然素材の祈りの印が、ここにあったんです」
リオは石段を指差しながら続ける。
「それを見た村人たちが、“あの社を残しておこう”って建てたのが、この神社です。本来、風の社は時間と共に壊れるものなんですけどね。だからこれは、ちょっと特別な在り方かもしれません」
「……ムーンシェイドの一族が残したものか?」
「たぶん、そうでしょうね。土地に縛られず、風の様に何かをそっと残す風渡族の生き方……それに憧れた人がいたんでしょうね」
シノンは何かを思案するように神社を見やったまま、言葉を継いだ。
「リオ。さっき子供たちが“ギルド”って言ってたけど……ギルドって、どういう組織なんだ?」
「おや。興味、ありますか?」
リオは少し微笑んで、石段の手すりに手を添えながら歩き出した。
「正式には“魔物討伐管理組合”。
魔法国家の崩壊後、研究者たちが作った組織で、魔物退治を専門にしているんです」
「国の組織か?」
「いいえ。どこの国にも属していません。いわば、魔物対策のためだけに動く中立組織です。各地に支部を持っていて、討伐・調査・魔法士の育成なんかを担っていますね」
「調査もやるのか」
「もちろん。魔物の出現場所や傾向、原因の分析なんかも含まれています。現場の報告を集めて、次に備えるのもギルドの大事な仕事ですから」
「リオ先生も、その……ギルドの人なんだな」
「ええ。一応は。あまり前に出るような役ではないですが……調査のために足を運ぶ機会も、少なくはありません」
「なるほど……」
シノンは短く答えると、鳥居の先にある祈祷場をちらりと見やり、再び歩き出した。
* * *
神社を通り過ぎ、さらに奥へと進むと、洞窟の壁面に沿うように建てられた古い庁舎が見えてくる。木組みの外壁と石造りの階段は年季が入り、村の“古さ”そのものを感じさせた。
中に入ると、円卓を囲むように五人の長老が座っていた。本来なら六人構成の長老会だが、ミュンドは今回、同席していない。
「ご苦労さまですな。泉の“清掃”は、毎度感謝しております」
最年長の男が穏やかに語りかける。形式ばった会釈が一斉に交わされ、リオも静かに頭を下げた。
「今回は、その泉での調査を継続する必要がありまして。禁足地への立ち入り、許可をお願いしたく――」
「……その前にひとつ」
別の長老が、帳面を閉じながら口を挟んだ。
「“例の娘”が、勝手に立ち入った件は耳にしています」
「ミュンドの娘……パティだったか。あの子は元より特異な体質で有名でしたな。昔、熱を出して医師に診てもらったとき、体内にアルカナがあると聞いた。それ以来、気味悪がる者も少なくない」
「村の者たちともなじめず、夜な夜な村を徘徊しては、騒ぎの種ばかり。村人の不安を煽っている自覚が、あるとは思えませんな」
「先日の件もそうだ。夜中に禁足地で倒れていた“何者か”を保護してくるとは、常識では考えられん行動です」
責める声はどれも抑制されていたが、その分だけ、言葉の一つひとつに冷たい刃が込められていた。
「本人がもっと慎むべきでしょう。村人としての自覚があるなら、“禁足地”に足を踏み入れるなどもってのほか」
沈黙が一瞬、場を覆う。
「……危ないものを放っておけなかっただけだ」
シノンが低く、だがはっきりと呟いた。怒っているようには見えなかった。ただ、その眼差しはまっすぐに長老たちを射抜いていた。
だが、返ってくるのは無言の視線ばかり。
「調査の件には異論はありません。泉の異常は、村全体の問題でもありますからな」
「……ただ、あの娘に深入りすることだけはお控え願いたい……巻き添えで火の粉をかぶる者が出てからでは遅いですからな」
リオは、静かに深く一礼した。
「……ご忠告、感謝いたします。調査は責任をもって行います。立ち入りの許可、頂けますか?」
「……許可します。ただし昼に限って。報告も忘れずにな」
会話が終わったことを告げるように、空気が一度、緩やかに切り替わる。
外に出た途端、シノンがぽつりとつぶやいた。
「……あれが長老、か」
「まあ、いろいろありますよ。村って」
リオの声はどこか他人事のようで、けれど少し皮肉めいていた。
* * *
石段を下り、鳥居をくぐる頃には、空気に夜の気配が混じりはじめていた。村の家々からは夕餉の匂いが漂い、遠くで鍋の蓋が鳴る音が聞こえた。
神社の背を後にして、ふたりは並んで歩き出す。
「……あの言い方、嫌いだ」
ぽつりとこぼれたシノンの声は、ただの感想だった。怒りでも悲しみでもない。ただ、どこか引っかかるものがあった。
「僕もですよ」
リオも静かに応じる。その声に怒りはなかったが、少しだけ疲れた色が混じっていた。
「でもまあ……村って、ああいう空気になること、ありますからね」
「……それでも、気分のいいもんじゃない」
「うん。ほんとに」
短いやりとりのあと、少しの沈黙。
その中で、ふと、シノンが言った。
「……ゆでダコ頭のくせに」
「……え?」
数歩先を歩いていたリオが、ぴたりと足を止めた。
「それ……誰のこと?」
「一番左のやつ。頭つるつるで、怒って顔真っ赤だった」
「……ぷっ」
リオが、こらえきれずに吹き出す。
「……ははっ、ははははっ! 地味に刺さるな、それ……!」
道の端で、リオが膝に手をついて笑い出す。いつもは涼しげな顔をしているくせに、涙が出るほど笑っている。
「……何か変か?」
「いやごめん、ちょっと、ちょっと待って……“ゆでダコ”って……ははっ、たしかに、わかるけど……! あー、ダメだ、ツボ入った……! タコだけに……くくっ!」
自分で言ったことに耐えきれず、リオは肩を揺らしながら笑い崩れた。
一方、シノンは何事もなかったかのように表情ひとつ変えず、黙って先を行く。
リオは笑いながらも、ようやく足を動かし、肩を震わせたままその後を追っていった。
笑いの余韻を残したまま、ふたりの歩幅が自然に重なっていく。
家々から漂う夕餉の匂いが、静かに夜を包みはじめていた。
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