第40話 祖国にて6(別視点)

 キアラがオズベルトから婚約破棄を宣言されてから、一月ほどが経った。

 

 婚約破棄をされたというのに、恐ろしい程の静かな時間が続いていたが、キアラにとってその静けさが逆に不気味だった。もちろんその間、オズベルトがキアラを訪ねてくることは無かった。


 体の自由が利かなくなっていた。

 今では、供儀すら出られなくなっている。それは、ロディシアとベアトリスも同じようだった。


 聖女としての務めも果たせないまま、時間だけが過ぎていった。


 だがその静けさは、キアラの父訪問によって、突然破られた。


「……どういうことだ、キアラ。何故そんな醜悪な姿になっているんだっ!!」


 事前の連絡もせずにやって来た父親は、変わり果てたキアラを見て酷く驚いた様子を見せたが、すぐさま厳しい言葉を浴びせてきた。


 キアラだって、理由が分かるなら知りたい。しかし未だに、キアラが年老いてしまった理由は分からない。


 そんな中、キアラは父の口から信じられない発言を聞くこととなる。


「オズベルト殿下とお前との婚約が、先ほど白紙になった」

「は、白紙……?」


 ひび割れた声で、キアラは父の言葉を反芻した。

 確かに、オズベルトは婚約破棄を宣言した。しかし、キアラはクロラヴィア王家を支える侯爵家の娘。


 すでに正式に結ばれた婚約を、個人の一存で破棄できるとは思っていなかったのだ。


 そう思っていたからこそ、何とか元の姿に戻れないか、試行錯誤を繰り返していたというのに――


 しかし父の発言を聞いて、何故こうも簡単に婚約を白紙にできたのか理解した。


「オズベルト殿下の新たな婚約者として、リリックの名が挙がっている。クロラヴィア王家の了承が得られ次第、リリックを新たな聖女にし、オズベルト殿下の正式な婚約者にする予定だ」

「リリック……ですって!?」


 喉の奥から絞り出すような声色で、キアラが叫んだ。喉が痛み、思った以上に声が出なかったが、それでも精一杯の発言だった。


 リリックは、キアラの腹違いの妹だ。リリックの母は側室でありながら野心家で、何かとキアラの母と対立してきたのだ。そのため、それぞれの娘たちが対立しても仕方なかった。


 今頃リリックの母は、高笑いしているだろう。奥歯を強くかみしめると、金臭い匂いと味が口いっぱいに広がった。


 ――全てが上手くいっているはずだった。


 聖女になり、邪魔者だった平民女を追放し、王太子の婚約者になった。見たこともない存在に力を与え、豪華ではあるが侯爵家よりは狭い部屋で窮屈な思いをして、なおも我慢出来たのは、ゆくゆくはこの王妃として、全てを手に入れられるはずだったからだ。


(それを何もしていないリリックが、全部奪っていくなんて……!)


 怒りを噛みしめるキアラに向かって、父が吐き捨てた。


「お前は姿が醜くなっただけでなく、聖女としての役目も放棄していたそうじゃないか! そのせいで、クロラヴィア王国の結界が弱くなり、その影響が国内に出て来ている! それを告げられたわしの身にもなれ! ったく……金も時間も山ほど使ったというのに、こんな姿では他に嫁がせることもできぬではないか。この……役立たずが!!」


 ――役立たず。

 

 脳裏を過ったのは、かつてここにいた四人目の聖女――セレスティアルの顔。


 以前は、キアラが彼女に『役立たず』だと責め立てる側だった。


 しかし今は……


 感傷に浸る間もなく、父がキアラの手を引っ張った。


「この部屋は、リリックのものになる。お前は私たちと一緒に領地へ戻るのだ!」

「い、いやぁっ!!」


 伸ばされた手を振り払うと、キアラは部屋を飛び出した。


 老いた体に、急激な動きは辛かった。しかし今はそんなことなど気にならないほど、心の痛みの方が強かった。


「追え! キアラを捕まえろ!!」


 父の叫び声と、追う者たちの足音が響き渡る。


 逃げて逃げて――辿り着いたのは、供儀の間だった。


 供儀を行わないときは、最低限の明かりしか灯っていない。窓もなく、どんな天気でも変わらない薄暗い供儀の間を、キアラは肩で息をしながら進んだ。


 今になって、急激に走ったダメージがやってきた。息も絶え絶えになりながら、守護獣の像の前でへたり込んだ。


(どうして……どうして私がこんな目に……)


 ふと顔を上げると、ろうそくの光で揺れる守護獣像が見えた。


 雄々しい四足の獣の像を見上げていると、猛烈に怒りがこみ上げてきた。


 思い出したのだ。

 自分の体に異変が起こりだしたときのことを――


(セレスティアルがいなくなった後に供儀を行ったのが、全ての始まりだったわ……)


 あのときは、ただ疲れただけだと思っていた。

 しかし供儀の回数を重ねる度に、疲労は蓄積し、体に変化が起こりだした。


 視界に映る守護獣像がぼやけてきた。それはみるみるうちに目尻に溜まり、雫となって頬を伝う。


 そのとき、


「キアラ! 出てこいっ!!」


 供儀の間の外で、父の叫び声が聞こえてきた。


 ここは、許された人間しか入ることができない。そのため父も部屋の前で叫ぶことしかできないのだろう。


 しかし、入室が許可されている神官や、神官長であるフォルシルを呼ばれれば、キアラはここから引きずり出されてしまう。


 体が恐怖で震え出す。

 混乱と怒りで、冷静な判断ができない。


 視界に守護獣像を映すと、キアラは守護獣像に掴みかかった。怒りにまかせ、像を拳で叩く。


「お前の……お前のせいだっ!! 一体私に何をしたの!? 私を……わたし、を……元に戻してっ!!」


 静かな部屋に、キアラの絶叫が響く。

 力に任せて像を叩いていると、


「痛いっ……」


 右手を押さえてうずくまった。


 痛む場所を左指先でなぞると、ぬるっとした感触がした。どうやら守護獣像の尖った部分があたり、血が出てしまったようだ。


 血は小指の下辺りいから湧き出て肘まで伝い、ポツリと床に落ちた。


「あっ……あぁっ……」


 流れる涙と血。

 そして、自分の名を呼ぶ父の怒声。


 もう何も考えられなかった。

 気づけば、口から言葉が衝いて出ていた。


「たす……け、て……」


 そう呟いたキアラを、理性が嘲笑った。


 一体誰が助けてくれるというのだろうか。

 皆がキアラの敵となったというのに……


 そのとき、


(ソレハ……コノ国ヲ守ルコトニナルノカ?)


 低いうなり声のような声が、キアラの頭の中に響き渡った。


 ハッと顔をあげ、周囲を見回すが、もちろん誰もいない。だが冷静さを失っていたキアラは、反射的に叫んでいた。


「も、もちろんよ!! 私が王妃になることは、この国の為になるわっ!! あなたが何だか知らないけど……戻して……私を美しい姿に戻してっ!!」


 次の瞬間、キアラの足下から黒い触手が這い上がった。


 いや、足下だけではない。供儀の間の床全体から、黒い触手が湧き上がっている。

 あまりにもグロテスクな光景に、キアラは悲鳴をあげようとしたが、口を開いた瞬間に触手が入り込み、目の前が真っ白になった。


(コノ国ノ為ニナルノナラバ……助ケテ、ヤロウ――)


 意識が途切れる直前、その声が確かにそう言ったのをキアラは聞いた。


 *


「フォルシル様、こちらです!!」


 神官たちの知らせを聞いた神官長フォルシルは、供儀の間の扉を叩きながら叫んでいるキアラの父親を落ち着かせると、一人部屋に入った。


 数本のロウソクが照らす薄暗い部屋。

 部屋の中央に立つ、守護獣像。

 像を囲むように立った、四つの柱と水晶。


 いつもと変わらない様子だった。


「キアラ様?」


 呼びかけながら供儀の間を一回りする。

 そして部屋に誰もいないことを確認すると、フォルシルは供儀の間を出た。


「キアラ様は、供儀の間にはおられません。もしかすると隙を見て、神殿内の他の場所にお逃げになったのかもしれません」

「そ、そんな! わしは確かにここにキアラが入ったのを見た――」


 キアラの父が訴えたが、フォルシルは供儀の間を振り返りながら、訴えを遮るように静かに告げる。


「ここは守護獣シィ様がおわす場所。何が起こっても不思議ではございません。しかし……あの身ではそう遠くには行けないでしょう。今すぐ、神殿内を捜索いたしましょう」


 供儀の間の端で動く黒いモノが地面の中に吸い込まれていくのを、視界の端に映しながら、フォルシルは供儀の間の扉を閉じた。


 

 その後、神殿中を探したが、キアラを見つけ出すことは出来なかった。

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