第5話 弟子と師匠



          * * *




 許さない───。



 私は、お前達を絶対に許さない───。



 この世界は私から全てを奪った───。



 今更許しを乞うたところで───。



 今更償いを果たされたところで───。



 足りるはずがない───。



 私は世界から全てを奪う───。



 私はこの世界を許さない───。



 報いを受けろ───。



 裁きを───受けろ。





          * * *





 海洋区では水棲種が暴れ、寒冷区では凍結から目を覚ましたの魔獣が動き出し、樹海区では巨大生物同士が理由なき争いを繰り広げていた。


 各職員たちは対応に追われ、中央棟の異変までは把握できていない中、スカイ・ファーム全地区の混乱はすでに極点に達しようとしていた。


 だが最も深い混乱の渦は、中央棟にあった。

 隔離施設から逃れた林鯱りんしゃちの暴走により、中央広場はすでに原型を留めていない。

 足場は抉れ、瓦礫が四方に転がるなか──。


 その混乱を鎮めるべく、イデア・コアへ“希望”を届けようとした男。スカイ・ファーム育成班班長、グレン・フォード。


 ウイルスに感染したイデア・コアへ、万能薬となる種子を転送するあと一歩のところで、彼は背後からの強襲にやられ倒れた───。


「────ッグハァ!」

 彼の目は真っ赤に染まり、口からはその目よりも更に深く濃い血の塊を吐き出した。


 彼の足元には無残に砕けた魔力増幅装置ドーナッツの残骸が転がり、崩れかけの姿勢で膝をついていた。

 その手から、転がり落ちた小さな種子が、硬い床を転がり──静かに止まっていた。


 「グ、グレ………ン君……ぬぐ!」


 重症の彼を助けに入ろうと所長も動くが、種子の生成による“反動”が全身に広がり、幹を軋ませながらその場に留まるしかなかった。

 バジルがグレンの背後に目をやった時には、すでに遅かった。


 ───ゴスペルティリオが、目を覚ましていた。


 グレンが倒れたのは、魔力の反動によるものではなかった。種子を転送する直前、彼の背後から、ゴスペルティリオによる音波攻撃が放たれていたのだ。


 転送魔術の発動直後、意識の一瞬の隙を突かれる形でその攻撃は直撃し、防御もままならぬまま彼の内部を貫いた。


 「クソ!浅かったか!」


 手加減を誤った攻撃を悔いるバジルをよそに、ゴスペルティリオは、傷ついた羽を無理やり広げ、粉塵を巻き起こしながら飛び上がる、腹に宿した新たな命でさえ、もはや眼中になく、イデア・コアへと迫っていく、まるで“何か”に導かれるように。

 

 『まずいぞ!イデア・コアに────』

 「リ、リゼ………任せろ」

 口角が裂け、牙が覗く。骨格すら軋むように変形し、バジルは“見た目通りの鬼”から、“鬼そのもの”へと成り果てた。


 先程まで押さえつけられている“だけ”だった林鯱の体に強い痛みが走しる。


 林鯱は冷や汗をかきバジルへ振り返ると、彼が掛けている漆黒のサングラスの中から赤い光が灯し、口からは蒸気機関の様に煙を吹き上げ、林鯱をまるで木の枝のように片腕でつかみ上げた。


 「うるぅあああああああああ!」


 咆哮と同時にバジルの片腕が振るわれ、林鯱の全身がまるで羽のように軽々と持ち上げられると、弾丸のごとき勢いでゴスペルティリオへと叩きつけられた。

 爆発のような衝撃音とともに、二体のモンスターはもつれ合いながら、そのまま力尽きたように、ゆっくりと墜落していった。


 「テメェら…………いい加減はしゃぎ過ぎだ」


 『おいバジル!やり過ぎだ!』

 「わ、悪りぃ……なんだか意識が────」


 リゼの怒号にバジルはハッと我に返り、ブンブンと頭を振って正気を取り戻す。

 サングラスの奥の赤い閃光は消え去り、鬼の形相は徐々に元の顔に戻っていった。


(まさか…イデア・コアの暴走魔法の波長がバジルにまで?)


「おい!無事か!」

「バジル…助かりました」

 バジルが駆け寄ると、グレンは既に自力で立ち上がっていた。全身に傷を纏い、顔色はすこぶる悪い。

 だが血で染まったその目だけは、曇りなく開いていた。


「まだ「出口」は残っている、早く転送を、種子は………?種子を……こっちへ……」

「馬鹿言ってんじゃねぇ!仕切り直しだ!」

「しかし…もう時間がありません!」

魔力増幅装置ドーナッツもないお前に何ができる!」


満身創痍でも種子の転送を諦めないグレン。それを、先ほどまで暴走しかけていたバジルが己の目眩を尻目に必死に止めに入る。

 声を荒げて言い争う二人の声が響く中、新たな余震で地に落ちた種子が再びコロコロと転がっていく。



 ───喧騒の中、誰もがそれを見逃していた。

 誰も手を伸ばせないまま、床を跳ね、静かに、止まった。


 止まった、というより“導かれた”ようだった。

 ひとつの手が、そっとそれを拾い上げる。


 細く、小さく、頼りない──。

 けれど、どこまでも優しく、確かに掴んでいた。


 誰よりも慎重で、

 誰よりも臆病で、

 誰よりもこの場所に相応しくないと思っていた。


 「私が……やります」


 だが、その両手が種子を握りしめる頃には──。


 「私が転送します!」


 愚直で、意固地で、どこまでも真っ直ぐな。

 師の眼差しを宿していた。


 『ミコト?』(忘れてた)


 「オイ無茶すんな!」(忘れてた!)


 「ミコ…ト君………」(忘れちゃってた!)


 「………何を言うかと……思えば」

 息を切らしながらなお、ミコトを睨むグレン。

 だがミコトは構うことなく、彼の前を通り過ぎて大樹とイデア・コアの前に立ち塞がった。


『待つんだミコト!』

 ドローンのスピーカーから、リゼの大声が響く。

『落ち着け!お前にはまだ転送の実践経験がない!』

 だがカメラがうまく機能しておらず、ドローンは彼女に近づけない。


『それに所長の遺伝子情報は複雑で、転送の為の一時分解は──って待って待って待って待って!?』


 ミコトは既に転送魔術を発動していた。

 リゼはモニターを突き抜けて飛び出しそうなほど、画面に張りついて彼女を呼びかけるが───。


「大丈夫です!私の魔法は対象物を傷つけて、最終的には破壊します!ならこの種子は、転送先で爆ぜてくれますから一石二鳥です!」

『いや!いや!いや!いや!いや!いや!いや!』


 動転の限りを尽くしたリゼはミコトを止めようと連呼するも、聞いているのかいないのか、ミコトは魔術を止める気配を見せなかった。


「ミコト……そんな支離滅裂な理論に、このスカイ・ファームの命運を委ねる訳にはいきません!いいから、その種子をこちらへ───」


 種子を取り返そうと、グレンが掴みかからんばかりに手を伸ばす───が。


 「やです!」


 ミコトはその差し伸べられた手を、跳ね返すように、真っすぐな声で拒否した。


 (これは………ッ!?)

 そのミコトの反応に差し出した腕をピタッと止め、グレンは静かにミコトの転送魔術を見つめる。


「牧場のみんなが困っていて、ここに住んでいる生き物たちが苦しんでいるのに……じっとしてなんていられません!」


 その駄々にも似た一言は、普段の“健気で素直なミコト”からはあまりも幼く、そしてかけ離れていた。

 だがその表情は、子どもじみた言動とは裏腹に、譲れぬ意地と覚悟が滲んでいた。

 その返答にバジルも、リゼも、一瞬言葉を失い、思わず、目を丸くする。


「私だって…」

 ミコトの目は真っ直ぐに種子を見つめていた。

 持てる全てを種子に向け、転送魔術を構成する。


「雑用でもなんでも私だってこのスカイ・ファームの一員!………なんです……よ…ね?」


 刹那の奮起は、その反動で刹那に我に帰る。

 ほんの一瞬で、かつて積み重なった数々の失敗が、ミコトの脳裏に焼き戻された。


 ぐちゃぐちゃに焼け焦げた肉の匂い。

 床に落ちて割れた器具と、吹き飛んだ机の残骸。

 今度はこの場の全員が、死ぬかもしれない。

 あの時みたいに、自分のせいで。


 「あ、あああ………」


 構築しかけていた魔術が、揺らいだ。

 ミコトの表情から血の気が引き、全身が凍りついたように強張る。

 両手の先で灯っていた魔力の光が、ぐらりと揺れた。


 恐怖と自己否定が、再び心を蝕む。

 “やっぱり私には、できないんじゃないか”──そんな声が胸の奥で囁いた。


『いけない!“ブレた”やめろミコ───』


 “2番目”に彼女の異変に気がついたリゼが叫ぼうとした次の瞬間───。



 「小娘ええええええええええええええ!!!」



 ───火山の噴火のような頭の芯が揺れるほどの怒声が、耳を打ち、ミコトは反射的に顔を上げる。


「あぇ────ッ?」


 胸の奥に張り詰めていた恐怖が一瞬で吹き飛ぶ。

 気がつけばミコトの両手が再び種子へと向いていた。振り返ると、グレンが血走った目で吹き出す血に構うことなく、仁王立ちしていた。


「かつてお前の母親は“命を賭した”転送で世界を救った!」

 

 その場の誰もが聞いたことのない、グレンの怒号。

 その口調を聞いたことある筈のリゼも息を飲み、バジルは一歩下がってしまった。


「その母親の意志を、お前が本気で継ぐ覚悟があるなら───この程度で怯えてどうするッ!!」


 グレンの声に、ミコトの目が見開かれる。

 幼き頃の記憶。母の背中。

 そして今、自分の手の中にある種子きぼう


「その程度の覚悟では、転送前に種子が粉砕されて終わりですよ!?」


 “口調が戻った”グレンの叱責にミコトは小さく息を吸い込み、手の震えを抑え───。


「そ……そんなこと、させません!」


 再び、魔術に集中する。

 

「“させません”で済んだら転送士はいらん!それに魔術の出力が足りん!」

「はい!!」

「構えも脇も何もかもが甘い!」

「はいっっ!」

「添付魔術がややこしい!もっと軽く!」

「はいはいはいいっ!」

「返事をする暇があるのですか!」

「──────ッッ!!」

「返事をせんかぁああ!」

「なんかドキドキする」

 最後の言葉は所長のものだった。


 グレンの叱責を受けながらも、ミコトは自身の部屋で、ワーピクシーたちが言っていた言葉を必死で思い出す。


(グレン班長が言ってた、転送士の…本質……!)




          * * *




 数日前───。




「ほう…貴方達はミコトに転送されたいのですか?」

『ウン!』


 グレンの書斎にはワーピクシー達が集まってなにやら抗議をしていた。


「そうですか、でも駄目です」

『ナンデサ!ミコトガ転送ヘタッピダカラカ?』


 既に仕事を終わらせているのか────。

 グレンは、香り高い琥珀色の液体を煽り、帰宅前の一杯を決め込んでいた。


「そうですね………それもあります」

『ブー!ブー!ブー!ブー!ブー!』

『グレンハ、ミコトノコトガ嫌イナンダ!』

『本当ハ、転送士ニサセタクナインダ!』


 グレンの周りを飛び回りながら次々と野次を飛ばすワーピクシー達。

 彼は虫を払うかのように手を振りかざしていたが、その抗議内容に疑問を持ち、払っていた手を止めた。


「何を言っているのですか?」

「誰がミコトを転送士にさせたくない言いました?」

 その声にワーピクシー達はピタッと飛行を止め、グレンの机の上に着地した。


「むしろ逆です──」

「彼女には……転送士になる為の“天賦の才”がある」

「その才能を潰させない為にも」

「彼女は慎重に──」

「なによりも──」

「大切に育てる必要があるンです──」

『アッ!グレンガ酔ッテル』


 グレンの様子の変化に気がついたワーピクシーの一人が、正座し始めた。


『リゼガ言ッテタ!グレンガ区切ッテ喋ッテイル時ハ、酒ト自分ニ酔ッテイル時ダッテ!』


 ワーピクシーの一言でその仲間達もてんやわんや慌てふためく。


『シカモチャント聞カナイト、ブチギレルラシイ』

『聞カナキャ!』

『メンドクサ!』

『メンドイ!』


 幸いその悪態は聞こえてなかったらしく、グレンは機嫌良く語り始めた。


「彼女に割り振ってる日々の業務──」

「その仕上がりは実に完璧です、周りの所員からの評判も良い──」

「あの真摯さは目に留まります──」

「それに……彼女に課している、この牧場の生物達の転送に必要な分子構造表──」

「アレを熟知するのは早かったなァ〜クックック」

『キモ………』

 思わず率直な印象を述べるワーピクシー。


「たった一度見ただけで記憶し、翌日には口ずさみながら作業していたのですよ!?」

「これが天賦の才でなくてなんだというのです!?」

 語るグレンの目は潤み、鼻は鳴り、口角はゆるむ。


『エ……何コイツ怖イ』

『コワイコワイ!』

 ワーピクシーたちは机の端っこにズリズリと移動して距離をとる。


「そして何よりも人や生き物を問わない他者への思いやり──」

「転送に行う為の魔力の量──」

「どれをとっても申し分ない──」

「だがしかァし!」

 まるで舞台の上で喜劇をしているかの様に全身を使って身振り手振りを交えながらグレンは叫んだ。


「過去に一度だけ行った訓練で、彼女の“ある弱点”が如実に現れたのです!」

「それを克服しない限りは、前に進ませたくても進めない!」

『弱点?』

「そう!それは“不安”です」

『返事ガ早クテ、ウザイネ!』

 聞こえてないと味を締めた、ワーピクシー達は言いたい放題に感想を述べる。


「確かに彼女の血筋は攻撃的魔術師“クラマ”一族のもの………」

「その殺傷力に怯え、縮こまる気持ちは分からんでもない……」

「だァがしかし!」

「このスカイ・ファームに攻撃魔法を特徴にしている魔術師はごまんといる!」

「その中にだって誇らしい転送士は存在しているのです!」

 ドンっ!と机を叩いてグレンは遠くを見つめて呟いた。


「……それでも彼女は、何度でも立ち上がってくるんです。失敗しても、めげずに、“次こそ”と前を向いて……」


「だから私は……彼女が本当に転送士になる“その日”が来るのを……」


 琥珀色の液体を一口含み、ふぅっと、優しく息を吐く。


「その瞬間を……見届けたいのです」

「「……………」」


 ワーピクシー達の返答がないことに焦ったグレンは、髪を掻きむしりながら慌てて話題の軌道修正を行う。


「つまァり!転送士に必要な「本質」はそこではないのです!」

「その本質自体は既に備わっているというのに──」

「まったく彼女の意識改革の遅さには困ったものです」

『転送士の本質?』

 グレンの本題と言える発言にワーピクシーの一人が首を傾げる。

「何だか………知りたいですか?」

『オー!イイゾ!イイゾ!』

『ヤンヤ!ヤンヤ!』


「転送士に必要な本質…それは─────」



          * * *



「転送士に……必要な本質──グレン班長がピクシー達に語った、あの言葉!今なら……わかります!」


 ミコトが転送魔術を種子に込め続けながら叫んだ。


『ミコトのやつ…これほどの魔力を…いつの間に』

 念の為に魔力観測を行なっていたリゼはその数値に思わず感嘆した。


 そこには、かつてミコトが初めてグレンに魔法を見せた時や、自室で自主特訓をしていた時のような“相手を壊す”性質は、微塵も感じられなかった。


「転送士の役目は、その向こう側にいる召喚士の元に“破壊の力”を送ることじゃあない、召喚士の信念と誇りを守る為、彼らを信じ、その想いを“貫く力”を届けること!」


 ミコトの心にはもう迷いはなかった。


「それが転送士の本質!それが───」


 グレンの想いに応えたかった。

 だから────。


 ミコトはグレンが放った一言を迷うことなく“そのまま”叫んだ。




 「“LOVEずっきゅん”!」




 バジルとリゼのドローンは静かにグレンの方へ目をやった。


 我に返ったグレンは顔を真っ赤に染め、ギリギリミチミチと歯と下唇を器用に噛み締めて、親指を立てていた。


 『うわぁ…………言ったんだ』

 画面では見づらかったが、リゼはその音で確信した。


 (──────ッ今だ!)


 ミコトは、自分の転送魔法が今この瞬間、完全に生成されたことを、確信をもって感じ取った。





 「────CALL!!!!」




 気合と共に叩き込まれた詠唱さけびが、種子に一気に注ぎ込まれる。


 次の瞬間──ヒュンッ!と鋭い音を立てて、種子は彼女の目の前から姿を消した。


 イデア・コア内で展開されていた召喚口は、維持限界を迎え、今にも消滅しかけていた──その刹那。


 パッと、閃光のように種子が「召喚」される。

 同時に、種子には亀裂が走り、火花のように爆ぜた。


 そして、それまで暗く紫色に濁っていたイデア・コアの中心から、眩い光が放たれる。



 その光は、スカイ・ファーム全土を包み込んだ。



 「ウイルス消失を確認!」



 モニターからウイルスの反応が消えたことをリゼはすかさず確認し、全化学班へ通達した。


「イデア・コアならびに、回廊帯正常化プロセス開始!」


「全地区への回廊帯放射装置、およびスカイ・ファーム全設備システム再起動!」


「中央棟で暴走していた生物たちから、すでに沈静化が始まっています!」


 リゼの号令を皮切りに、次々と化学班のメンバーが報告を重ねる。


「手が空いてる医療班!ゴスペルティリオの保護に回ってくれ……すまねぇっ!俺が……アイツを……!」


 言葉に詰まりながらも、バジルは無線越しに怒号を飛ばし、スカイ・ファーム全土に指示を叩き込んだ。

「子供を……あの子を助けてやってくれ……」

 その背中は、悔いと焦燥に満ちていた。


「訓練班! マーキングシステムは復旧してるはずだ! 全ての生物を確認するまで、油断するなと伝えろ!」


 そう言い終えるやいなや、バジル自身も己のすべきことを全うするべく、各地区へ向かう準備を始めていた。


 「それと────」


 バジルは膝をついて満身創痍になっているグレンを見つめて叫んだ。


「グレンが負傷している!」

『メンタルも含めて!』

リゼが補足する。


「早く医務室へ!」

『メンタルケアも含めて!』

リゼが輪唱するかの様に補足する。


 直ちに復旧に取り掛かった班長や所員達の中で、ミコトは息を切らしながら立ち尽くしていた。

「はぁはぁはぁはぁ…………」


「せ、成功した…の?」


 ミコトは自分の両手を見つめる。

 ブルブルと震えていた。

 両手だけじゃない、体全体が、震えていた。だが、それは恐怖のせいじゃなかった。


 自分の震えの理由が分からず、ただ呆然と立ち尽くす。そのとき、不意に背後から声がした。


 「ミコト君………」


 その声に、ミコトはゆっくりと振り返る。

 ──そこにいたのは、所長だった。


「園長!」

「……所長ね」

「その体は、一体……?」

「フフ……」


 言い間違えも、指摘も、ミコトの驚愕を止めることはできなかった。


 所長の体は、ボロボロに朽ちかけていた。

 葉はすべて枯れ落ち、ただの木くずのようになっていた。


 少しでも触れたら崩れ去ってしまいそうな所長の状態にミコトは唖然となり、どうすればいいのか分からず、ただ見つめることしかできなかったが、その背後で、空中のドローンからリゼの声が小さく響く。


『所長の種子…万能薬は、所長の中に溜め込んでいる数百年分の魔力を一気に解き放つ事で、あらゆる病気を治すことができる究極の回復魔法なんだ…』


 リゼは躊躇いながら、淡々と説明を続ける。


『その代償として、種子を生み出した本体は、その反動で朽ち果ててしまう』

「そ、そんな……」


 衝撃の事実に、ミコトの目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。その涙を拭ってやろうと、所長は朽ちかけた枝をゆっくりと伸ばす。


 だが、力尽きるように、枝は崩れ、所長はその場に倒れた。


「ああっ所長!」

「ミコト君………よく…よくやって…くれ…た……」


 空洞のようにぽっかりと開いた“目”。

 けれど、ミコトにはそれが、優しく微笑みかけているように見えた。


「君は……きっと素晴らしい転送士に………なれる」


「良い召喚…士と出会え…ること…を……祈って…いる…………よ」


 最後の言葉を残し、所長の体は風に乗って───。

 サラサラと音を立てながら、崩れ去っていった。



「しょ、所長……っ……!所長ォォォオオオオ!!」









『そして朽ち果てた体からは、それはもう綺麗な綺麗な“新芽”が生まれるんだ』


「ただいま〜」


 腐葉土と化した所長の亡骸から、ピョコっと一対の芽が現れる。

 そして、球根のような所長そっくりの顔が、ニョキッと飛び出してきた。


 「きゃああああああああああ!」


 ミニ所長の姿にミコトはゴスペルティリオに襲われた時よりも大きな声で悲鳴を上げた。


 「いやぁ〜今回はくたびれた!」


 そう言って所長は存在しない関節を鳴らして「やれやれ」とボヤいた。

 唖然としているミコトの背後から今度は違う声が聞こえた。



 『ミーーーーコーーーーートーーーーー!』



 複数の高い声が、空中から重なるように響いた。



 その声にミコトはすぐさま振り返った。

 その先にいたのは復活したワーピクシー達がミコトの胸目掛けて飛び込んできたのだ。


 「みんな!無事だったのね!」


 友人達の帰還にミコトも彼女達へ駆け寄り、思い切り抱きしめてあげるのだった。




         * * *



【スカイ・ファーム周知事項】


・スカイ・ファーム中央棟のイデア・コアが一時活動停止となり、各地区で大規模な混乱が生じるも、所長・各班の班長、そしてミコト・クラマの活躍により事態の収束に成功。破壊された施設の修復には数週間を要する見込みである。


・各地で暴走した生物たちは、余波による外傷はあるも命に別状はなし。特にダメージの大きかったゴスペルティリオの母体内にいた幼体も無事であることを確認。しばらくは中央棟での保護にあたる。


・今回の一件で所長のお体は球根型となった。可愛いからといって記念撮影を希望する者は、業務終了後に順番に並ぶこと。


・今回の一件でグレン班長を「ロマンティックメルヘン将軍」と呼んだことに心当たりのある者は、本人の前では決して言わないよう心がけること。

※既に複数の被害者あり。


──────以上。



          * * *





 一週間後。


あれから、スカイ・ファームの所員一同は牧場の復興に全力を注いでいた。

 被害の規模は決して小さくはなかったが、所員たちの持ち前の明るさと根性によって、徐々に再建の目処も立ちつつあった。


 「それで───」


スカイ・ファーム中央棟の所長室では、球根のような姿になってしまった所長と、リゼの二人が緊急の要件で顔を合わせていた。


「今回の騒動の原因は……?」

「申し訳ありません」


「外部からの侵入の形跡もなく、どの経路で感染したのかも不明です」


 リゼは事件の収束後も、イデア・コアに発生したウイルス感染の原因究明に尽力していたが、確かな証拠は得られていなかった。


「そうか…ではどうしても伝えたかった事とは、なんだね?」

「はい、少し気になる情報が」


 リゼは白衣のポケットから一枚の写真を取り出し、所長へと差し出す。


「お!ゴシップ?」

「………………………チッ」

「ごめんて」


 所長は冗談が通じなかった寂しさを覚えながら、提出された写真を覗き込む。



「これは───」 


「イデア・コア付近の幹に写っていた物です」



 写真に写っていたのは。


 一匹の「蟻」だった。


 その蟻の姿を見た瞬間、所長の表情がこれまでにないほど驚愕に染まる。 


 「リゼ君、これはまさか………」


 「考えたくはないですが」


 リゼもまた、顔色を曇らせながら、懸念を口にする。


 「『アリー』かもしれません」




         * * *




 中央棟の大樹の前の広場ではグレンが今日も忙しそうに、全所員達へ復興の為の指示を出していた。


 先日に負った傷の遺恨は残るものの、彼自身も生物たちの世話に戻りたくて仕方がないのか、どこかウズウズしている様子だった。


 誰もが一日も早いスカイ・ファームの復興を目指して精を出していた───すると。


「遅くなりました!」

「来ましたね…」

 大きな声でグレンに声をかけたのはミコトの姿だった。相変わらず全力で向かってきた様で、息を切らして両手で膝をついている。 


 「あ、あのお話というのは…」

 息を整えながら問いかけるミコトを、グレンはギロッと睨みつけた。


 「ひぃっ!」

 その視線にミコトはすぐさま萎縮した。


 ミコトはこの一週間、復興する所員のサポートの為に各地区へ飛び回り、グレンとまともに話すのも久しぶりだった。

 転送に成功したあの時の勢いはすっかり鳴りを潜め、今やすっかり元通りの気弱な彼女へと戻っていた。

 でも服の裾を摘みながら、目だけは逸らさずにグレンを見つめていた彼女に、グレンはフゥとため息をついた。


「まず…」

 グレンは深く息を吸った───。


「転送魔術の発動、種子へ与えた形成分解魔術、及び再構築の為の魔術プログラムの添付。何もかもが遅く、そして雑すぎる、つまりは稚拙ということです」


「すいません」


「そんな未完成な技術で感情の勢いに任せて見切り発車な転送をして──」


「すいませんすいません」


「今回はたまたま成功したからよいものの──」


「すいませんすいませんすいませんすいません」


「もし失敗していたらどうして────」


「すいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすい!」


 謝りすぎて語尾が可笑しくなり、再び謝罪製造機となったミコトの姿に流石のグレンも罪悪感が生じた。


「………まぁ説教はこれぐらいにしておきましょう」

 そう言って、グレンはミコトに背を向け、再び所員たちの方へ歩き出した。


「とにかく!」


 思わず声を荒げてしまったグレンは、軽く咳払いをして仕切り直す。


「……感情に任せて没頭した転送魔術は、後々“癖”がつきやすい、今回の反省点はしっかり把握して、スカイ・ファーム復興後の“修行”に活かすことです」


「すいません……………………え?修行?」

 その言葉にミコトがハッと顔を上げてグレンを見つめる。


「そ、それって───」 

「ああ、それともう一つ」

 グレンはミコトに背を向けたままミコトの言葉を遮った。


 「貴方が種子の転送した時に感じたであろう「達成感」これはいずれ転送士として貴方を支える「初志」に繋がるでしょう」


 彼は、最後までミコトの方を振り返らなかった。


 だからミコトは気づくことはなかった。けれどその顔には、弟子の将来を心から信じる者だけが見せる。

 あまりに優しい笑顔が浮かんでいた。


「今は解らなくてもいい…ですが、決して忘れることのないように…」

 グレンはそう言い残して、ミコトの前から立ち去っていく。


 その背中を見送りながら、ミコトは───。


「はいっ!」


 最大の笑顔で、そう答えるのだった。



「グレン班長!報告です!」

「どうしました?」

「あ、アレを…見てください。」


 仕事に戻ったグレンの元に早速所員が駆け寄ってきて、空に向かって指を差した。

「外来の飛空艇が一隻、スカイ・ファームに──」


 確かに大型の飛空艇だった、だがグレンだけでなく他の所員にもその飛空艇の違和感に気がつくのに時間は掛からなかった。


「なんだかやたら揺れていますね」


 飛空艇はフラフラと上下左右に安定しない姿勢で、ゆっくりと近づいてくる。


「戦闘艇ではないみたいです、着陸許可を求めていますが………」

「今は遊園地区の営業は一時的に停止しています、遭難者ですか?」

「いえ、それが、“あの方々”が乗っているとの情報でして───」

「まぁ、そうでしょうね」


 所員の報告に驚くこともなくグレンはフフッと呆れ混じりに笑みを溢した。


「着陸許可を与えてください」



          * * *


「むむっ?」

 所長の若葉がピーン!と反応する。


「どうされました?」

 妙な行動をとる所長の行動に首を傾げるリゼ。

「ムフフ…いい所に来たね!」 


          * * *


 着陸した飛空艇には、大きさの割に、たった四人しか乗っていなかった。


 扉が開いた後も船体はグラグラと揺れていた。


「あ〜やっと着いた!ずっと吸えないってのも堪えるわ〜」


「大将!アンタが不用意にくしゃみした所為で、墜落ちかけたじゃねぇか!」


「すまんすまん………それにしても相変わらず美しい場所だ」


 それぞれ気ままに言い合いながら、まず出てきたのは、決して堅気とは呼べない凶悪面の三人組。


 その姿を、ミコトは遠目に見つめていた。


 「あの人たちは………」


 ぞろぞろと降りてきた三人の陰から、四人目の小さな人影が、ミコトの視界に入った。


 「────女の子?」


 後ろから現れた少女は思わず駆け出して、三人を追い抜き、中央棟の広場へと躍り出た。


 「ここが…“空の牧場”スカイ・ファーム」


 アンジュは「はーーーッ」っと声を漏らしながら、牧場の景色に見惚れていた。

 楽しそうにグルグルと駆け回りながら周囲に見惚れていた彼女は、ミコトと目が合って立ち止まった。


 「────ん?」

 「────あ…」


 そしてこの小さくて大きな出会いが。

 そう、この大きくて小さな出会いが。


 アンジュ・トライバルが召喚士となる道を拓き。

 ミコト・クラマの転送士になる夢と交えた。


 それはまるで。

 我らの希望を予言するかのように。

 アンジュの鞄の中で静かに守られていた「卵」が。

 一度だけ───。


 小さく、確かに、ピクンと揺れ動いた。

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