異世界とダンジョンの間で
すぎやま よういち
第1話 相続と謎の部屋
夕暮れ時の斜陽が、祖父の遺影に映る温かな笑顔を照らしていた。佐藤翔は無表情のまま、香典返しの品を受け取る親戚たちを見送った。十七歳の誕生日を迎えたばかりの高校二年生にとって、突然の葬儀は現実とは思えなかった。
「お疲れ様、翔くん。」母親が疲れた表情で肩に手を置いた。「祖父さんのことは、もう心配しなくていいからね。」
翔は無言で頷いた。実際のところ、祖父についてはほとんど知らなかった。年に数回、正月や盆に会う程度の関係だった。それでも、穏やかで優しい老人という印象だけは残っていた。
「明日、祖父さんの弁護士さんが来るから。遺産相続の話があるみたいよ。」
母の言葉に、翔は初めてこの日、表情を変えた。
翌日、リビングのテーブルに座った弁護士の青木は、分厚い書類を広げながら話を始めた。
「佐藤義明さんの遺言状によりますと、郊外の屋敷と土地、そして預金の一部を孫である佐藤翔さんに相続させるとの内容です。」
翔は目を丸くした。両親も驚いたように顔を見合わせている。
「え、屋敷ですか?祖父が住んでた...」
青木は丁寧に頷いた。「はい、駅から少し離れた高台にある和洋折衷の大きな屋敷です。築50年ほど経っていますが、定期的にメンテナンスがされていますので、すぐにでも住める状態です。」
「でも、なぜ息子である私たちではなく...」父が困惑した様子で問いかけた。
「遺言状には『翔には特別な資質がある』との記載がありました。義明さんは生前から、孫に屋敷を継がせたいと強く希望されていたようです。」
青木はさらに書類を取り出した。「また、相続税や今後の維持費のための預金も一定額、翔さんの名義に移されます。ただし、使用目的は教育費と屋敷の維持費に限定されています。」
翔は黙って話を聞いていた。祖父からの突然の贈り物に戸惑いながらも、どこか期待感が湧いてくるのを感じていた。自分だけの屋敷。十七歳の高校生が手に入れるには、あまりにも非現実的な話だった。
「引っ越しはいつでも可能です。義明さんの遺品は既に整理されていますので。」青木は穏やかに笑った。「ただ、義明さんからのメッセージも預かっています。」
封筒を開け、青木は一枚の紙を取り出した。
『翔へ。この屋敷には二つの特別な部屋がある。東の部屋と西の部屋だ。その扉を開く時が来たら、君の真の旅が始まる。焦ることはない。すべては順序よく明らかになるだろう。—祖父より』
「...なんだか謎めいていますね」父が眉をひそめた。
青木は肩をすくめた。「義明さんは少し変わった方でしたから。詳細は私も存じ上げません。」
両親は顔を見合わせ、その後翔に向き直った。
「どうする?翔。」母が優しく問いかけた。「無理に引っ越す必要はないのよ。」
翔は窓の外、春の陽光が差し込む庭を見つめた。高校生活は順調とは言えなかった。成績は平均以下、部活もせず、友人は数人。特に女子との交流はほとんどなかった。毎朝、学校のマドンナ高橋美咲が廊下を通る姿を遠くから眺めるだけの日々。自分に何か特別な才能があるとは思えなかった。
しかし、何かが変わるかもしれない。そんな予感が胸の奥で膨らんでいた。
「行きます。祖父の屋敷で暮らしてみたい。」
翔の決断に、両親は驚いたように見えたが、すぐに理解を示した。
「わかったわ。でも最初の数週間は週末にお父さんと様子を見に行くからね。」母は心配そうに言った。
青木は満足そうに頷き、書類に必要事項を記入し始めた。「では、正式な手続きを進めましょう。来週末には引っ越しできる状態にしておきます。」
その日の夜、翔は自室のベッドに横たわり、天井を見つめていた。祖父からの謎めいたメッセージ。二つの特別な部屋。それが何を意味するのか、全く見当がつかなかった。ただ一つ確かなことは、この相続が自分の人生を大きく変えるきっかけになるという予感だった。
「東の部屋と西の部屋...」
翔はその言葉を繰り返し、やがて深い眠りに落ちていった。
一週間後の土曜日、翔は両親と共に祖父の屋敷に到着した。春の陽気の中、高台に建つ洋館と和風建築が融合した二階建ての屋敷は、想像以上に立派だった。周囲には広い庭があり、手入れの行き届いた松や楓が風に揺れていた。
「こんなところに住むのか...」父が感嘆の声を上げた。
青木弁護士が出迎え、屋敷の鍵を翔に手渡した。「おめでとうございます。これからはあなたの家です。」
重い木製のドアを開けると、玄関には古風な大理石の床が広がっていた。廊下の奥には和室が見え、右手には洋風のリビングルームがあった。家具はアンティークながらも手入れが行き届いており、埃一つ見当たらなかった。
「定期的に管理会社の人が掃除をしていますので、すぐに住める状態です。」青木が説明した。「では、館内をご案内しましょう。」
一階には、リビング、ダイニング、キッチン、和室、書斎があった。すべての部屋は広々としており、高い天井と大きな窓が開放感を与えていた。特に書斎は祖父の趣味が色濃く反映されており、古い本や地図、世界各地の珍しい置物が飾られていた。
「翔くん、見て。これ、あなたが小さい頃の写真よ。」母が書斎の壁に飾られた写真を指さした。
確かにそこには、5歳ほどの自分と祖父が庭で遊んでいる姿が映っていた。だが、翔にはその記憶がなかった。幼い頃、この家に来ていたことすら思い出せなかった。
二階には三つの寝室と浴室、そして廊下の突き当たりに二つの扉があった。
「ここが東の部屋と西の部屋ですか?」翔は青木に尋ねた。
青木は首を傾げた。「実は、この二つの部屋については私も詳しくありません。義明さんは『鍵は時が来れば現れる』と言っていました。」
翔は二つの扉を観察した。左の扉には「東」の文字が刻まれ、右の扉には「西」が刻まれていた。どちらも鍵穴はあるものの、提供された鍵の束には合うものがなかった。
「変ですね...」父が扉を軽く叩いてみた。「頑丈そうだけど、中は何なんだろう。」
青木は肩をすくめた。「義明さんはかなり変わった趣味をお持ちでした。謎解きのようなものが好きだったと聞いています。」
屋敷の案内が終わり、両親は翔の荷物を運び入れるのを手伝った。母は台所の冷蔵庫を確認し、すでに基本的な食料が揃っていることに驚いていた。
「本当に何から何まで準備されているわね。」母が感心した。
夕方、青木が帰り、両親も「何かあったらすぐ電話してね」と言い残して家に戻った。ついに翔は広大な屋敷に一人残された。
夕食はあらかじめ用意されていた食材で簡単な料理を作り、新しい食卓で一人静かに食べた。外は徐々に闇に包まれ、虫の声が聞こえ始めていた。
食事を終え、翔は二階の東西の部屋の前に立った。鍵がないのに、なぜ祖父はこれらの部屋について特別なメッセージを残したのか。好奇心が膨らむ一方で、不安も感じていた。
「祖父さん、一体何を伝えたかったんだろう...」
その夜、翔は主寝室で眠ることにした。広いベッドは驚くほど快適で、疲れていたこともあり、すぐに眠りに落ちた。
夢の中で、翔は自分が見知らぬ場所にいることに気づいた。暗い廊下を歩いていると、前方に光る二つの扉が見えた。一つは赤く、もう一つは青く光っている。
「選べ、佐藤翔。」見知らぬ老人の声が響いた。「東の扉か、西の扉か。どちらも君の運命を変える道だ。」
翔が近づくと、扉の鍵穴がはっきりと見えた。形状は特殊で、普通の鍵では開けられないように思えた。
「鍵はどこ...」翔が尋ねようとした瞬間、目が覚めた。
朝日が窓から差し込み、新鮮な空気が部屋に満ちていた。時計を見ると午前7時。翔は夢のことを思い出し、二階の部屋に向かった。
東と西の扉は変わらず閉ざされていた。昨日と同じように、鍵穴はあるが、鍵は見当たらない。
「時が来れば現れる...か。」
翔は屋敷の探索を始めることにした。何か手がかりがあるかもしれないと思い、特に書斎を重点的に調べた。古い本棚には歴史書や冒険小説、語学書など様々な本が並んでいた。そして一冊、特に目を引く革装丁の本があった。
表紙には「記録」とだけ書かれている。翔がそれを手に取ると、中から一枚の写真が滑り落ちた。それは翔がまだ赤ん坊だった頃、祖父に抱かれている写真だった。裏には「翔、未来の門番へ」と書かれていた。
本をめくると、そこには祖父の手書きの文字で日記のようなものが記されていた。しかし、内容は謎めいていた。
『第327日目。東の第六層で新種のゴーレムを発見。結晶体を3つ回収。』
『第342日目。西の領域で公国軍との小競り合い。エレメンタルの力を借り、なんとか脱出。』
『第350日目。翔が今日で2歳になった。まだ早いが、いずれ彼が後を継ぐことになるだろう。血筋は確かに受け継がれている。』
翔は困惑した。これは小説か何かのメモだろうか。祖父は作家だったのだろうか。ページをめくり続けると、さらに奇妙な記述が続いていた。
『第416日目。東の第八層到達。限界を感じる。歳をとりすぎたか。』
『第420日目。西の領域でミリアと再会。彼女の予言は当たっていたようだ。「二つの世界を渡る者」は一族から現れる。』
『第430日目。力が衰えてきた。そろそろ翔に真実を伝える準備をしなければ。』
最後のページには、直接翔に向けた言葉が書かれていた。
『翔へ。
この記録を読んでいるなら、おそらく私はもういない。屋敷を相続したことで、君の真の旅が始まる準備が整ったということだ。
東の部屋と西の部屋。二つの門は特別な者だけが開くことができる。我が家の血を引く者、特に強い「願望」を持つ者だけが鍵を見つけることができるだろう。
願いを持て。強く、明確な願いを。そうすれば鍵は現れる。だが覚えておけ。一度扉を開けば、君の人生は二度と元には戻らない。
選択は君次第だ。—祖父より』
翔は頭を抱えた。祖父の言葉は混乱を招くだけだった。強い願望?鍵?二つの門?何の話だろう。
書斎を更に探索すると、世界各地の地図や古代文字の研究書、そして不思議な模様が描かれた羊皮紙などが見つかった。まるで祖父は秘密の研究をしていたかのようだった。
午後になり、翔は思い切って両親に電話した。
「お母さん、祖父さんって...どんな仕事をしてたの?」
「えっと...確か古美術商だったと思うわ。世界中を旅して珍しい品物を集めていたって聞いたことがあるけど。あまり詳しくは知らないの。お父さんとも疎遠だったから...」
電話を切った後、翔はさらに考え込んだ。古美術商であれば、屋敷の中の珍しい置物や古い地図は説明がつく。しかし、日記の内容は明らかに現実離れしていた。
その夜、翔はもう一度東西の扉の前に立った。「強い願望を持て」という祖父の言葉を思い出し、自分の願いについて考えた。
高校で目立つ存在になりたい。
成績を上げたい。
スポーツができるようになりたい。
お金持ちになりたい。
そして、何より—
「美少女にモテたい。」
突然、翔は自分の口から出た言葉に赤面した。しかし、それが正直な気持ちだった。平凡な自分が、学校の美少女たちに振り向いてもらいたい。それが今の自分の最も強い願いだった。
その瞬間、不思議なことが起きた。ポケットの中で何かが温かくなる感覚。翔が手を入れると、そこには見覚えのない二つの鍵があった。一つは赤い石が埋め込まれ、もう一つは青い石が輝いていた。
「え...これは...」
翔は驚きのあまり言葉を失った。確かさっきまでポケットには何も入っていなかったはずだ。これは幻覚だろうか。試しに赤い石の付いた鍵を東の扉の鍵穴に近づけると、ぴったりと合うように見えた。
心臓が激しく鼓動する中、翔は決断した。今夜は遅い。明日、この鍵で扉を開けてみよう。どんな秘密が待っているのか分からないが、祖父の遺した謎を解き明かすべきだと感じていた。
ベッドに横になりながら、翔は祖父の最後の言葉を思い返した。「一度扉を開けば、君の人生は二度と元には戻らない」—その意味するところは何だろう。緊張と期待が入り混じる感情の中、翔はやがて眠りについた。
翌朝、翔は早起きした。今日は日曜日。両親は午後に様子を見に来る予定だった。それまでに、東西の部屋の秘密を探ることにした。
朝食を済ませ、二階に上がると、昨夜のことが夢ではなかったことを確認した。ポケットには確かに二つの鍵があった。翔は深呼吸し、東の扉の前に立った。
赤い石の付いた鍵を鍵穴に差し込むと、ぴったりと合った。ゆっくりと回すと、カチリという音がして、長い間閉ざされていた扉が少し開いた。
翔は緊張しながら扉を押し開けた。
部屋の中は予想外に普通だった。四畳半ほどの広さで、窓はなく、中央に円形の台座があるだけだった。壁には不思議な模様が描かれており、天井からは微かな光が差し込んでいた。
「これが...東の部屋?」
翔が部屋に足を踏み入れると、突然、中央の台座が青白く光り始めた。驚いて後ずさりしようとしたが、体が動かなくなった。光は徐々に強くなり、やがて部屋全体を包み込んだ。
目が眩む感覚。そして、足元から崩れ落ちるような感覚。
翔が目を開けたとき、そこはもう屋敷の中ではなかった。
冷たい石の床。薄暗い通路。遠くから聞こえる水滴の音。
「ここは...」
通路の先には、不思議な光を放つ結晶が壁に埋め込まれていた。足元には砂利と小石、そして何かの骨のようなものも散らばっている。空気は湿っぽく、かすかに土の香りがした。
翔は混乱した。これは夢なのか、それとも現実なのか。恐る恐る前に進むと、通路は徐々に広がり、小さな空間に出た。そこには石でできた箱があり、上部には見慣れない文字が刻まれていた。
「何だこれ...」
翔が箱に触れようとした瞬間、不気味な音が聞こえた。カタカタ...カタカタ...何かが動く音。振り返ると、骸骨のような生き物が、よろよろと歩いてこちらに向かってきていた。
「う、嘘だろ...」
恐怖で体が凍りついた。骸骨の生き物は、錆びた剣を持ち、ゆっくりと近づいてきた。その目は赤く光り、明らかに敵意を持っていた。
「助けて...」
翔は後ずさりした。逃げ道を探したが、来た道しかない。骸骨兵は徐々に距離を詰めてきていた。
その時、翔のポケットが再び温かくなった。手を入れると、小さな赤い結晶が光っていた。祖父の日記に書かれていた「結晶体」だろうか。
咄嗟に結晶を掲げると、驚くべきことに骸骨兵は一瞬ひるんだ。その隙に、翔は通路を猛スピードで駆け戻った。幸い骸骨兵は遅く、すぐに引き離すことができた。
通路を走り続け、ついに最初に目が覚めた場所に戻ってきた。そこには青白く光る円が床に描かれていた。翔は迷わずその中に飛び込んだ。
再び目を眩ませる光。体が浮き上がるような感覚。
そして、翔は東の部屋の床に倒れていた。部屋は元通りだった。ただ、中央の台座の光が消え、静かな部屋に戻っていた。
「何だったんだ...今のは...」
震える足で部屋を出て、廊下に戻る。時計を見ると、部屋に入ってからわずか15分しか経っていなかった。しかし、翔にはもっと長い時間が過ぎたように感じられた。
ポケットを確認すると、赤い結晶は確かにあった。幻ではなかったのだ。そして、もう一つの青い石の付いた鍵も。
翔は西の部屋の扉を見つめた。東の部屋があのような場所だったなら、西の扉の向こうには一体何があるのだろう。好奇心と恐怖が入り混じる中、翔は西の部屋の扉に鍵を差し込むことにした。
青い石の付いた鍵がぴったりと鍵穴に合い、カチリと音を立てて回った。扉を開くと、そこにも同じように中央に台座のある部屋があった。ただし、壁の模様が東の部屋とは異なっていた。
「ここも同じような...」
勇気を出して部屋に足を踏み入れると、予想通り台座が光り始めた。今度は緑がかった光だった。同じように体が動かなくなり、光に包まれる感覚。
今度目を開けたとき、翔を迎えたのは、青い空と緑の草原だった。
温かな日差しと、草の香り。遠くには森が見え、さらにその向こうには山々が連なっていた。鳥のさえずりが聞こえ、風が頬を撫でていく。
「ここは...外?」
翔は困惑した。骸骨兵のいた暗い洞窟とは完全に異なる世界だった。しかし、ここが日本のどこかだとは思えなかった。風景が違う。空気感が違う。そして、何より...
遠くから響く角笛の音。
翔が立っている丘の向こうから、騎馬に乗った一団が現れた。中世ヨーロッパのような鎧を着た兵士たちだ。翔は慌てて身を隠そうとしたが、すでに一団に気づかれていたようだ。
「おい、そこの者!」甲高い声が響いた。
翔の心臓が早鞭を打った。この状況をどう説明すればいいのか。逃げるべきか、それとも応じるべきか。
決断する間もなく、一団は翔のもとに到着した。先頭の騎士が馬から降り、翔に近づいた。
「見慣れぬ服装だな。どこの国の者だ?」
翔は言葉に詰まった。騎士の言葉は理解できたが、なぜか自分の知っている言語とは違うように感じた。それでも意味は通じている。
「僕は...日本から来ました。」翔は恐る恐る答えた。
騎士たちは顔を見合わせた。「日本?東の海の向こうの国か?」
翔は曖昧に頷いた。状況を理解できないままだったが、とりあえず敵意はなさそうだと感じた。
「私はライアン。ソレン公国の国境警備隊長だ。」騎士は鎧の胸当てに刻まれた紋章を指さした。「この辺りは危険だ。魔物の出没が増えている。一人で歩き回るのは命知らずだぞ。」
「魔物...?」翔は思わず聞き返した。
ライアンは真剣な表情で頷いた。「ああ。先週も村の若者が襲われた。幸い命に別状はなかったが...」
この会話が現実なのか、それとも 幻想なのか、翔にはもはや判断がつかなかった。ただ、骸骨兵の恐怖を思い出し、この場所も同じく危険かもしれないと考えた。
「どうした?顔色が悪いぞ。」ライアンが心配そうに尋ねた。
「あの...帰り方がわからなくて...」
ライアンは翔を観察し、何かを悟ったように頷いた。「もしや、君は『訪問者』なのか?」
「訪問者?」
「この世界に突然現れる者たちだ。昔から伝説にある。別の世界から来るという...」
翔の表情を見て、ライアンは確信したようだった。「やはりそうか。久しぶりだな、訪問者は。最後に会ったのは十年以上前だろう。背の高い老人だった。」
「老人...?」翔の頭に祖父の姿が浮かんだ。「もしかして、その人の名前は...」
話の続きを聞く間もなく、突然、地面が揺れ始めた。ライアンの部下たちが騒々しくなり、馬たちも落ち着きなく動き回った。
「魔物だ!逃げろ!」ライアンが叫んだ。
地面から巨大な何かが現れ始めた。土を掻き分け、石のような皮膚を持つ巨大な生き物。ゴーレムだろうか。
「早く!」ライアンが翔の腕を掴み、馬に乗せようとした。
しかし、翔のポケットが再び光り始めた。今度は青い結晶だった。それを握りしめると、同時に頭に響く声。
「帰りなさい。まだ時期ではない。」
その瞬間、翔の周りが青く光り始め、体が宙に浮いたような感覚に襲われた。ライアンや騎士たちの驚いた顔が見え、そして魔物の怒りの咆哮が聞こえた。
次の瞬間、翔は西の部屋の床に倒れていた。
息を荒げながら立ち上がると、部屋は元の静けさを取り戻していた。ポケットを確認すると、確かに青い結晶が入っていた。
廊下に出て、時計を見る。今度も15分ほどしか経っていなかった。だが、翔の中では確かに別の時間が流れていた。
翔はふらつく足で自分の寝室まで戻り、ベッドに倒れ込んだ。心臓は今でも激しく鼓動しており、額には冷や汗が浮かんでいた。ポケットから取り出した二つの結晶—赤いものと青いもの—を手のひらに乗せて見つめた。
「これは...本物だ。」
現実とは思えない体験だったが、この結晶の存在が全てを証明していた。翔は祖父の日記を思い出し、急いで書斎に向かった。
革装丁の本を再び手に取り、必死にページをめくった。
『東の結晶は力を、西の結晶は知恵を与える。しかし、使い方を誤れば危険だ。』そんな記述を見つけた。
他にも、『東の第一層は初心者向け。骸骨兵は弱いが、油断は禁物。結晶を使えば一時的に力が増す。』
『西の領域、ソレン公国は比較的安全。だが、魔物の活動が活発化している。青い結晶は空間移動の助けになるが、消耗が激しい。』
翔は頭を抱えた。祖父の書いていたことは全て真実だった。東の部屋はダンジョンへの入り口で、西の部屋は異世界への扉だったのだ。
そして、ライアンが言った「訪問者」。それは祖父のことだったのだろうか。祖父も同じように二つの部屋を行き来していたのか。
「なぜ僕なんだ...」翔は呟いた。「なぜ祖父さんは僕にこれを残したんだ?」
答えを求めて日記をさらに読み進めると、ある記述に辿り着いた。
『血筋は力を授ける。我が家の血には、二つの世界を渡る力が眠っている。しかし、それを目覚めさせるのは強い願望だ。私の場合は「知識を得たい」という願い。翔の願いは何だろう。彼が扉を開けたとき、それが彼の力となる。』
翔は自分の「願い」を思い出して赤面した。「美少女にモテたい」。そんな単純な欲望が、この驚異的な扉を開いたのだ。少し情けなく思えた。
しかし、祖父の日記を読み進めるうちに、ある可能性に気づいた。
『ポイントシステムは、両世界の経験を変換する仕組みだ。東で得た力は西で、西で得た知恵は東で使える。そして、両方の経験は現実世界でも力になる。』
翔はポケットから結晶を再び取り出した。赤い結晶からは力強さが、青い結晶からは知恵が感じられるようだった。
「これを使えば...」
呟きかけたとき、玄関のチャイムが鳴った。時計を見ると、もう午後2時。両親が来る時間だった。
翔は急いで結晶をポケットにしまい、階下に降りた。
「翔、元気そうで安心したわ。」母が笑顔で言った。
父も屋敷の中を見回して感心している。「思ったより快適そうだな。一人で大丈夫か?」
翔は無理に笑顔を作った。「うん、全然平気だよ。広いけど、慣れてきた。」
両親に二つの部屋のことを話すべきか迷ったが、今はまだ秘密にしておくことにした。信じてもらえないだろうし、心配をかけるだけだ。
「学校は?明日から普通に通えるの?」母が尋ねた。
「うん、駅まで少し歩くけど、電車で20分くらいだから大丈夫。」
両親は安心したようだった。母は台所の冷蔵庫を確認し、買い物リストを作り始めた。父は庭を見て回り、管理状態を確認していた。
「ほら、食料を買ってきたわよ。」母がスーパーの袋を見せた。「今日の夕食は私が作っていくわ。」
翔は感謝しつつも、早く一人になって二つの部屋のことをもっと調べたいという焦りがあった。午後のひとときを両親と過ごし、夕食を一緒に食べた後、ようやく両親は帰っていった。
「また週末に来るからね。何かあったらすぐ電話して。」母が強調した。
翔は頷き、玄関で両親を見送った。
夜の屋敷は一層静かに感じられた。翔は書斎に戻り、祖父の日記をさらに調べることにした。ページをめくるごとに、祖父の経験が明らかになっていった。
祖父義明は若い頃から二つの部屋を行き来していたようだ。彼は東のダンジョンで戦闘技術を磨き、西の異世界で知識を集めていた。その経験は彼の現実世界での成功—古美術商としての目利き、交渉術、体力—に繋がっていた。
『ポイントは慎重に使うべきだ。均衡が大切。一方に偏れば、もう一方が危険になる。』
翔は結晶をどう「ポイント」に変換するのか考えていた。答えは日記の後半に記されていた。
『結晶を砕き、その粉末を水に溶かして飲む。すると体内でポイントに変わる。赤い結晶はダンジョン用、青い結晶は異世界用のポイントとなる。』
試しに、赤い結晶の一部を削り取り、コップの水に溶かした。水が赤く染まり、微かに光る。恐る恐る一口飲むと、甘く温かい感覚が全身に広がった。
翔の前に突然、半透明の画面のようなものが浮かび上がった。そこには「ステータス」と書かれ、数字が並んでいた。
『ダンジョンステータス』
体力:10/10
攻撃力:5
防御力:3
スキル:なし
所持ポイント:15(赤い結晶から変換)
『異世界ステータス』
体力:10/10
魔力:5
知恵:7
カリスマ:3
スキル:なし
所持ポイント:10(青い結晶から変換)
『現実世界ステータス』
体力:7/10
学力:5/10
社交性:4/10
特殊スキル:なし
所持ポイント:0
驚いたことに、これが祖父の言っていた「ポイントシステム」だったのだ。翔は熱心にこの画面を調べた。どうやらポイントを消費することで、各世界でのステータスを上げることができるようだ。
「これを使えば...」
翔は考えた。現実世界のステータスを上げれば、学校での生活が変わるかもしれない。特に「社交性」を上げれば、人気者になれるかもしれない。クラスの美少女たちとも話せるようになるかもしれない。
だが、ポイントをどう分配すべきか。東と西の部屋も探索し続けなければ、新たなポイントは獲得できない。バランスが必要だ。
深い考察の末、翔は決断した。まずは現実世界の「体力」と「社交性」に各5ポイントずつ割り当てよう。残りは東西の部屋をさらに探索するために取っておく。
ポイントを割り当てると、体がわずかに光り、何かが変化するのを感じた。鏡を見ると、顔つきがほんの少し凛々しくなったように見える。そして不思議と自信が湧いてくるのを感じた。
「これが...祖父さんの遺産か。」
翔はベッドに横になりながら、明日からの学校生活を想像した。少しでも変化があるだろうか。そして、放課後には東西の部屋をさらに探索しよう。いつか祖父のように深層まで到達できるだろうか。
夜が更けていくなか、佐藤翔の新たな生活が幕を開けようとしていた。東の部屋と西の部屋。現実世界と二つの異なる世界。三つの世界を行き来する「門番」としての運命が、彼を待ち受けていた。
眠りに落ちる直前、翔は祖父への感謝と、未知の冒険への期待を胸に、静かに目を閉じた。明日からの日々は、きっと今までとは全く違うものになるだろう。
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