第二章
第一節 ―拠点にて― フロム・リオナ ①
◇
人と魔獣の戦いは、始まりの時より絶え間なく続く。
千年前の闘争により、世界は躍動する。
力ある者は、東へ。
上がる戦番は、力の象徴。
果てに立つ者は、最強の力を宿し、最強の魔獣をその身で迎え撃つ。
この構図こそ、終わりなき戦闘体制。
戦う力なき者は、西へと退いた。
やがて、楽園が築かれる。
◆
――風は戦線を避けて吹き、人の止まる地に、風もまた立ち止まる。
街の片隅にだけそっと吹き込む風に、誰も理由を与えられない。
風だけが知っているのかもしれない。
ただ、語らぬだけで。
語っているのかもしれない。
遠回りだから、誰も気づかないだけで――。
ここは、風が吹く街、ジェボン。
魔獣戦線、五番戦線領域の街である。
街外れには、殺伐とした空気とは馴染まない一角がある。
【宿屋ハートルル・五番戦線店】
かつて、戦士たちの休息地であったその場所は、今ではとある組織に引き継がれ、拠点として用いられている。
もともとの宿主は、大商人夫妻だった。
十番戦線で開いた宿屋の成功を好機と見て、五番戦線まで手を伸ばしたのだった。
西の造詣が深い、木造二階屋。
豪奢な様式は、戦線の荒々しさに逆らうように佇んでいた――
逆らいきれなかった。
宿屋が失敗した理由は、誰の目にも明らかだった。
街の外は魔獣戦線のただ中にあり、五番戦線ともなれば、
朝、バルコニーに出ようものなら、眼前の荒涼地帯での戦闘を目の当たりにしかねない。
猛者の戦士にとって、暖かな布団と食事は安らぎにはなるが、それは戦場に戻るための一時の通過点――それ以上にはなりえない。
ましてや、探求心旺盛な旅人がいたとして、力が無ければ五番戦線へ到達することすらできない。
そもそも、豪勢な宿を求める客層がほとんど存在していなかった。
それは、構想の段階で失敗していたのだった。
二年前のこと。
無人の影響で建物のあちこちに痛みが出始めそうな頃、ひとつの目が、密かに宿屋へ向けられた。
そして、譲渡交渉が進むなか――裏では、かつドタバタの末――宿主の愛娘は、交渉相手の組織に加わることになった――。
光の大地のある日の昼下がり。まだ名前のない組織の一室にて。
ヴァンは、届いたばかりの手紙の封を開けようとしていた。
その手つきは丁重で、お気に入りの書物に触れるような――文字そのものに敬意を払うような――慎ましい愛情が感じられた。
ヴァンの切れ長の目が、文面を鋭く射抜く。
短く刈った黒髪。顔立ちは見た瞬間に人の心を奪うほど整ってはいるわけではないが、それでも、どこか人を惹きつけるものがあった。
彼は、分類学者であり、作家であった。
齢二十二にして、日に日に増していくあふれでる
そのうえ、カリスマ性まで知らぬ間にまとっている。
だが、それに気づいていたとしても、あえて言及する者はいないのである。少なくともこの魔獣戦線においては。
手紙の差出人は、リオナ・ハートルル。
今日は、彼女が黒い森の名残の調査に出発してから三日目にあたる。
リオナの所在が、そろそろ気にかかり始めた――そんな頃だった。
書かれている内容は、調査の結果報告のようなものだろう。
急に、ヴァンは机をばんと叩き、立ち上がった。机の上の紙の束が跳ね、ペンが転がった。
「ふざけてんのかあいつはッ!」
ヴァンは叫んだ。
「なんなんだこれ……!」
ヴァンの通りの良い声が部屋に響いた。空気が、びくりと跳ねる。
いつも誰かの一言で――
二言で――
組織の雰囲気は、陽気に染まっていく。
「うるさいなあ!」
ミナコが即座に反応する。「なんて書いてあるの?」
ヴァンの机から少し離れたソファには――いつものように――ミナコがいた。
宿屋時代、受付と食堂だった一階の広々とした部屋は、今では組織の居室となっている。
食堂の面影を残したまま、仲間たちが集う場所へと変わっていた。
「なんで! あいつは手紙になると、くそバカになるんだ!」
ヴァンは立ったまま、手紙をのぞき込んでいる。
「追伸じゃねーぞ。それ言う段階にすら達してねーからな、お前は」
そう言うヴァンは、手紙そのものに話しかけているようにも見えた。
「うるさいなー」ミナコは同じ言葉を繰り返す。
「手紙、みしてみ」
ソファから降りて、たたたっ、と駆け寄る。
机に両手を張って微動だにしないヴァンは、まるで、ミナコが手紙を取りに来るのを待っていたかのようだった。
ミナコは顔を傾け、リオナの口調を真似ながらそれを読み上げる。
『みんなへ
黒い森はありませんでしたね……。
ヴァンに伝えてほしいな……。
あ! 仲間が増えたよ。ランド。
リーダーに頼まれた。カルラの依頼だって。
十二番戦線に行きます。中央街道のね。
リオナより
追伸:ランドの荷物おくるね!
早くみんなに合わせたい!』
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