第2話 迎えの使者

 そうしてフローラは、国境の地に降り立った。


 大国の王家である権威を示す、豪華なだけで空っぽな馬車に乗っているのは、フローラただ一人。

 外見の体裁だけは整えられているが、護衛の騎士もお付きの侍女も、付いてきてはいなかった。

 それを望む者が、皆無なのだから仕方がない。


 イザイア国からの迎えの馬車も、こちらほどではないにしろ少人数に見えた。

 質素な馬車が一台と御者の他には、護衛の騎士が数人だけの様子である。


 だがこちらは単純に、フローラへの嫌がらせというよりは、人手不足の可能性が大きい。

 力を付けてきているとは言え、イザイアはまだまだ発展途上の国なのだ。

 大国からの嫁入りに侍従してくる人員を当てにしていたとしても、可笑しくはない。


 正直双方共に、今から嫁ぐ王女を乗せる物として質素過ぎるのは、間違いなかった。

 だが、それも当然である。

 表向きは、大国から友好の印として嫁いで来た王の花嫁だが、実際は単なる人質なのだから。


 それに、フローラは今まで一度も、貴賓扱いされた事などない。

 国としての常識がどの程度のものなのか、推し量るのは難しかった。


(迎えに来て下さっただけでも、有り難いわ)


 そうでなければ、フローラはここでたった一人、置き去りにされるしかなかったのだ。

 仮にも王家の血を引く王女が、誰の手も借りることなく、たった一人で馬車から降りようとしている。

 その姿を捉えて、慌てた様に駆け寄って来た一人の騎士らしき男性が、そっと手を差し伸べてくれた。


 その手は、戦う男らしくゴツゴツとしていたけれど、今まで一度も男性にエスコート等された事のないフローラにとっては、恐ろしさよりもとても温かく優しいものに感じられた。

 緊張で上手く動かない身体をそっと支えてくれながら、男性はフローラを地上に降ろす。


「ようこそ、イザイアへ」

「お世話になります」


 城を出る前に、「お前は何をされても、従順に大人しく頭を下げていれば良い」と、叩き込まれた淑女の礼を取り顔を上げると、そこには金髪碧眼の見目麗しい男性が、にこりと微笑んでいた。

 背は高く、毛皮のマントを身につけ鎧に身を包み、腰に剣を佩くその姿は、正しく戦う者である事を示していたけれど、とても凶暴で野蛮な民族には思えない。


 戸惑うフローラを余所に、あれよあれよと迎えの馬車に乗せられて、旅路は続く。

 乗り込んでみて分かった事だけれど、イザイア国が用意した馬車は、フローラの乗って来た様な煌びやかさはないものの、丈夫で圧倒的に揺れが少ない。


 外観の質素さとは違い車内は明るく、沢山のクッションが用意されており、旅慣れていないフローラの負担を考えてくれている配慮が、一目で分かる。

 正直な所、ここまで乗ってきた外側だけが豪華な馬車よりも、ずっと乗り心地が良かった。


 先程エスコートしてくれた男性が、何故かフローラと共に一緒に車内へと乗り込んで来る。

 雪の多い土地柄でも、寒くない様にとの配慮だろうか。乗り込んで座るのと同時に、厚手のストールをフローラの膝にかけてくれた。


「失礼」


 体験したことのない至れり尽くせりの状況に戸惑っていると、隣に座った男性が身につけていた毛皮のマントを外し、そっとフローラの肩に乗せる。


「あ、あの……」

「その格好では、寒かっただろう。この国は冬の間、とても雪深い。温かくしておかないと、風邪を引く」


 人質同然ではあるけれど、フローラは大国の第三王女として、嫁入りに来た身だ。

 いつも身につけている町娘のような普段着ではなく、所持していた数少ないドレスの中から今日の衣装を選んだつもりではあったけれど、気候の差までは考えていなかった。


 フローラの住んでいた後宮は、冬でも滅多に雪の降る気候ではない。

 実際には、上に羽織るものを持っていなかったというのが正しいのだけれど、これでもフローラからしてみれば、持ちうる限りの最上級の格好だったのである。


 けれど、国境でさえ既に雪が降っているという気候を考えれば、確かに随分薄着であると捉えられても仕方がない。

 男性の温もりが微かに残る、国内ではあまり見慣れない毛皮のマントは、冷えた身体にはとても有り難かった。


 イザイア国は隣国であるが故に、完全に交流を断つ事は難しい。

 頻繁にとは行かないまでも、年に数度は訪れる使者を見ては「毛皮を身につけるなど、蛮族の象徴の様なものだ」と、継母や兄弟達はよく陰口を叩いていた。

 けれど、雪深く寒さの激しいこの地で生きていく為の知恵である事が、身につけてみるとよくわかる。


「ありがとう……ございます」

「まだ冷たいな」


 馬車に乗り込む際にも、当然の様にエスコートを買って出てくれた男性だったが、乗り込んだ後もフローラの手を放さなかった。

 どうやら、緊張と寒さで冷えたフローラの指先が、気になっているらしい。

 そっと両手で包み込んで、男性はそこを温める様に「はぁ」と息を吐く。


 フローラはこんなにも至近距離で、見知らぬ男性と触れあった事などない。

 フローラの傍に居たのは、大好きだった母だけで、父親である王さえ謁見時以外に、会話をしたことさえなかった。

 その母も幼い頃に居なくなってしまったので、人との触れ合いには全く慣れていない。


 恐らくこの男性は、王の命でフローラを迎えに来た騎士に違いない。

 主人の下へ連れて行く前に、病気にでもなられたら責任問題だと考え、良くしてくれているのだろう。


(あまりにも大切に扱って下さるから、勘違いしてしまいそうになる)


 フローラを王女として、壊れ物を扱うように接してくれている目の前の男性は、見た目だけでなくその行動も、野蛮な民族とはとても思えない。

 道中を預かる男性としては、どんなにみすぼらしくても主人である王の妻になる他国の王女という立場のフローラを、ぞんざいに扱う事は出来ないのだろう。


 だが、女性を物の様に扱い、力なき者には奴隷のような生活を強いるのが当然というお国柄だと聞かされていたので、噂との差違に戸惑いの方が大きかった。

 身体を冷やしてしまったのは、フローラの知識不足によるものだ。

 内心では「小娘が、面倒をかけやがって」等と思っていて、我慢しながら世話をしてくれているのかもしれない。


「申し訳ございません。私の知識が浅く……」

「貴国とは気候が全く違うのだ、貴女が謝る必要はない。むしろ、こちらから衣装を贈るべきだった。配慮が足らず、申し訳ない」

「そんな」


 謝罪して、必要以上に気を遣う必要はないのだと告げるつもりが、逆に謝られて恐縮する。

 愛し合う恋人同士という関係ならまだしも、ハロルド王とは顔を合わせた事もない。

 突然決まった、政略結婚相手だ。


 手紙や物を贈り合う様な親しさは一切無いし、またそうする時間も無かった。

 何せ、フローラが人質同然の結婚を言い渡されてから出発まで、三日もなかったのだから。


 それに、花嫁が自国の衣装で嫁いで来るのは、普通の事である。

 確かに王家同士の結婚ともなれば、本来ならば何度も打ち合わせを重ね、満を持しての花嫁行列となるのが通常であるから、摺り合わせが出来るものなのだろう。


 けれどフローラにそんな権利はなかったし、もしイザイア国が何か申し出てくれたとしても、継母が断ってしまっただろう。

 格下の国相手に嫁ぐ厄介者の人質が、花嫁行列なんてもっての外だと、鼻で笑われたに決まっている。


 こうしてマントを貸してくれて、ストールやクッションを沢山用意して国境まで迎えに来てくれただけで、充分すぎる程なのだ。

 ふるふると首を横に振るフローラに苦笑しながら、男性はそのままずっと手を包み込んで温めていてくれた。

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