第十四章 崩れた計画と儚い時間
春の初め、ルハルバの温泉街にはまだ柔らかな冷気が残っていた。
湖面にはかすかに霧が立ち、朝の光がそれを金色に染めている。
そんな穏やかな朝に——俺たちの“未来の設計図”は、呆気なく崩れ去った。
「……錬金工房、一時営業停止……?」
目の前で読み上げられた役所の通知に、俺は一瞬、耳を疑った。
しかし、現実は非情だった。
ロゼルの告発以降、王府は迅速に動いた。“才能奪取の疑いあり”との理由で、俺たちの営業は、正式に一時凍結されることとなったのだ。
「……ちょっと、待ってくれよ。俺たち、まだ何も悪いことしてないだろ?」
役所の職員は、申し訳なさそうに眉を下げるだけだった。
「規定でして……。正式な才能返還手続きが完了するまでは、営業活動は自粛願いますと……」
「そんな……工房、せっかくここまで……」
隣で、結望が小さく震えた声を上げた。
小さな肩が、今にも崩れそうに揺れている。
それを見るだけで、胃の底がぎゅっと縮むようだった。
やっとここまで来たのに。
借金を返して、街のみんなとも繋がれて、ようやく、スタートラインに立ったばかりだったのに。
俺たちが作ったスープも、鍋も、石鹸も——全てが、“営業停止”の一言で棚上げになった。
「……すまない、結望」
俺はただ、それだけを呟くしかなかった。
結望は首を振った。
涙をこらえながら、それでも精一杯の笑顔を浮かべた。
「お兄ちゃんのせいじゃないよ……だって、お兄ちゃんは、わたしのためにがんばったんだもん……!」
けれど、その小さな強がりが、余計に胸を締めつけた。
外に出ると、街もまた静かだった。
湯気は立っているが、活気はどこか消えかかっている。
俺たちの工房だけではない。温泉源の一部が減少し続け、観光客も目に見えて減っていたのだ。
「……街そのものが、疲れてるな」
ポンジュがぽつりと呟いた。
彼の丸い体から立ちのぼる湯気すら、どこか頼りなく見えた。
そんなとき——
「こらぁっ! しけた顔してんじゃないよ!!」
ドン、と背中を叩かれた。
振り向くと、暁紀が鉄板を抱えて立っていた。額には汗、腕には火傷の痕、口元にはニヤリとした笑み。
「落ち込んでる暇あったら、屋台出すぞ。失業者と一緒に鉄板焼きパーティーだ!」
「……は?」
「だってよ、工房が止まったらみんな困るんだろ? じゃあ、何もない場所で、何か作るだけさ!」
その単純さに、呆れるどころか、救われた気がした。
「……やるか。鉄板焼き屋台」
「うっし! じゃあ、焼きそば担当な!」
「おい、なんでいきなり主力張らせるんだよ!」
「家族は助け合いだろ?」
暁紀が無邪気に笑った。
そして、その言葉に、俺の心はすとんと軽くなった。
そうだ。
失ったものを数えるより、今できることを探す。それが、俺たちのやり方だったはずだ。
夕方。
湖畔の広場に、即席の鉄板焼き屋台がずらりと並んだ。
鉄板の上ではソースの焦げる香り、油の弾ける音。
子どもたちが手を叩き、湯気の中で老若男女が笑っている。
「お兄ちゃん、焼きそば、ひっくり返すときはジャンプだよ!」
「いやそれ絶対間違ってるから!」
そんな掛け合いをしながら、俺たちは鉄板の前に立った。
鉄の上で、キャベツと肉が跳ねる。
しょっぱい汗が額を流れる。でも、心の中は不思議と温かかった。
気づけば、広場の向こうでは、佐友季が即席ステージを設置し、子どもたちと“焼きそばダンス”を踊っていた。藍翔は屋台裏で“即席哲学カフェ”を開き、「人生はソースかけ過ぎがち」という名言を生み出していた。
「お兄ちゃん、これ、たのしいね!」
結望が笑った。
その笑顔を見た瞬間、心にふっと風が吹いた気がした。
たしかに、今は儚い時間かもしれない。
だけど、その儚さがあるからこそ、この瞬間はこんなにも輝く。
失ったものを悔やむより、今を、笑おう。
「おい、焼きそば、焦げてんぞ!」
「わぁっ!」
暁紀のツッコミに慌てて返しながら、俺は改めて思った。
家族とは、支え合うものだ。そして、笑い合うものだ。
たとえ計画が崩れても、たとえ未来が見えなくても、俺たちはこの街で、この家族で、笑って生きていく。
この、儚い時間を、決して無駄にはしない。
夜になる頃には、湖畔広場にはすっかり灯りが灯り、鉄板焼きの湯気とソースの香りが辺りを包んでいた。
子どもたちが紙皿を抱えて駆け回り、大人たちもビール片手に屋台をひやかす。
その光景を見ていると、どこか、胸の奥が温かく満たされていくのを感じた。
「お兄ちゃんっ、こっちこっち!」
結望が手を振りながら、どこからか綿あめを持って走ってきた。
ほおばった口の端に白い砂糖をくっつけながら、ニコニコと笑っている。
「……また甘いもんばっか食って」
「いいでしょー? 甘いと元気出るもん!」
そう言って、彼女はくるくる回りながら、夜空を見上げた。
満天の星。
この温泉街の、ありふれた、でもかけがえのない夜。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「わたしね、今日、ぜったい忘れないと思う」
「なんでだ?」
「だって……こういう時間って、ふつう、すぐ終わっちゃうから」
結望の声は、ほんの少しだけ震えていた。
小さな手が、俺の服の裾をきゅっと握る。
「みんな、ずっと一緒にいられるわけじゃないし、お店だって、街だって、いつか変わっちゃうかもしれないけど……でも、今日だけは、ちゃんと覚えておきたいんだ」
その言葉に、胸が締めつけられた。
そうだ。儚いからこそ、今を抱きしめるしかないんだ。
「よし、じゃあ、記念写真でも撮るか」
「ほんと!?」
結望の目が輝いた。
すぐにポンジュを召喚し、工房仕様の魔導カメラモードに切り替える。
住民たちも巻き込んで、即席の記念撮影大会が始まった。
「はーい、皆さん並んでくださーい!」
「佐友季、なんでピエロメイクなんだよ!」
「だって派手なほうが映えるじゃん!」
「暁紀、お前はハンマー持ったまま来るな!」
「仕事道具は手放せねえんだよ!」
わいわいと笑いながら、みんなで肩を組み合う。
背後には鉄板焼きの湯気、湖に映る星空。
カメラのシャッターが、パシャリと音を立てた。
「……いい写真になったな」
「うんっ!」
結望は手にした綿あめをひとかじりしながら、満足そうに頷いた。
やがて夜も更け、屋台も片付けに入り始める。
鉄板を冷ます音、掃除する箒の音。
そこに、さっきまでの賑わいの余韻が、優しく残っていた。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「……わたし、ちょっと寂しい」
「そうだな。……俺もだよ」
夜空を仰ぎながら、素直に言葉を返した。
今日のような夜が、永遠に続けばいいと思う。
でも、続かないとわかっているから、愛おしいんだろう。
「でもさ」
「うん?」
「またやろうな。屋台でも、焼きそばでも、鉄板まみれでも」
「うんっ!」
結望の笑顔は、夜空に浮かぶ星よりも、ずっとまぶしかった。
そして俺は、心に誓った。
どれだけ計画が崩れても、未来が見えなくても——
この“あたたかい時間”を、何度でも積み重ねていこうと。
たとえそれが、儚いものだとしても。
それこそが、家族ってものだから。
湖からの風が吹き、温泉の湯気が夜空に溶けていった。
そして、俺たちは肩を並べて、静かに、でも確かに、帰る場所へと歩き出した。
【第十四章 完】
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