第11話 学園祭は波乱の香り 前編

 一


 十月も半ばを過ぎると、キャンパスは普段とは違う熱気に包まれていた。そう、年に一度の大学祭――通称『明青祭(めいせいさい)』の季節がやってきたのだ。構内には色とりどりの看板や装飾が施され、あちこちで模擬店の準備やステージのリハーサルが行われている。俺、安倍晴太も、成り行きで所属するクラスの模擬店の手伝いをすることになり、ここ数日は講義そっちのけで準備に追われていた。


 俺たちのクラスが出すのは、定番中の定番、たこ焼き屋だ。言い出しっぺは、もちろん田中健介。

「やっぱ学祭といえば粉もんだろ! たこ焼きで一攫千金だぜ!」

 なんて、威勢のいいことを言っていたが、実際の準備は結構大変だった。テントの設営、機材のレンタル手配、材料の買い出し……。まあでも、クラスの皆とワイワイ言いながら準備するのは、案外楽しいものだ。


「安倍くん、そこの看板、もう少し右にずらしてくれる?」

「あ、はい!」

 指示を出してくれたのは、鈴木美咲さん。彼女もクラス委員として、準備の中心になって動いていた。テキパキと作業をこなし、時折見せる笑顔が眩しい。俺は、彼女と共同作業をするたびに、いまだに心臓がドキドキしてしまう。でも、夏休み前よりは、少しだけ自然に話せるようになってきた……気がする。

「おーい晴太ぁ、鈴木さんの指示だからって、そんな嬉しそうな顔すんなよー」

 隣でペンキを塗っていた田中が、ニヤニヤしながら茶々を入れてくる。

「う、うるさいな! 別に嬉しそうな顔なんてしてない!」

「いやいや、顔真っ赤だぜ? 隣の美人さん(・・・・・)に悪いと思わねえのか?」

 田中はまだ、俺が九美さんと特別な関係にある(しかも俺が主導権を握っている遊び人)と固く信じているらしい。あの時の誤解は、解けるどころか、彼の脳内でさらに美化・誇張されているようだった。訂正するのも面倒なので、最近はもう放置している。

「田中くん、ちゃんと手伝ってよー」

 鈴木さんが苦笑しながら田中をたしなめる。そのやり取りを見ていると、なんだかんだで、大学生活も悪くないな、なんて思ったりするのだ。


 二


 そして迎えた、明青祭当日。

 空は雲一つない快晴。絶好の学園祭日和だ。朝早くからキャンパスは多くの人でごった返し、活気に満ち溢れていた。俺たちのたこ焼き屋『踊る! 大たこ焼き本舗』(田中命名)も、無事に開店を迎えた。俺の担当は、主にたこ焼きを焼く係だ。エプロンと三角巾を身につけ、鉄板の前に立つ。


「へいらっしゃい! 安くて旨い、愛情たっぷり大たこ焼きだよー!」

 田中は、はちまき姿で威勢のいい呼び込みをしている。意外と様になっていた。

 慣れない手つきで、生地を流し込み、タコを入れ、くるくるとひっくり返す。最初は苦戦したが、何度か練習するうちに、なんとか形になってきた。じゅうじゅうと焼ける音と、ソースの香ばしい匂いが食欲をそそる。

「おっ、晴太、なかなかやるじゃん!」

 田中が、客の途切れたタイミングで覗きに来た。

「まあな。練習したから」

「よーし、この調子でガンガン売るぞー!」


 昼近くになると、模擬店はさらに忙しくなってきた。ひっきりなしに客が訪れ、俺は鉄板の前で汗だくになりながらたこ焼きを焼き続ける。

 そんな時だった。

「安倍くーん、頑張ってるね!」

 聞き覚えのある、明るい声。はっと顔を上げると、そこには鈴木さんが、数人の女友達と一緒に立っていた。私服姿の彼女は、いつもよりずっと可愛く見える。

「す、鈴木さん! いらっしゃい!」

 思わず声が上ずる。まただ。彼女を前にすると、どうしても緊張してしまう。

「すごいね、たこ焼き焼いてる姿、様になってるよ」

「そ、そうかな……はは」

 照れてヘラヘラ笑う俺を見て、田中がすかさず横から口を挟む。

「おっ、鈴木さん! 晴太の勇姿、見てやってくれよ! こいつ、意外と器用なんだぜ?」

「やめろよ、田中!」

「いいじゃんかー。あ、たこ焼き買う? もちろん、晴太が焼いたやつな!」

 田中が強引に鈴木さんたちにたこ焼きを売りつける。鈴木さんは楽しそうに笑いながら、財布を取り出した。


「はい、お待ちどうさま!」

 俺は、少しでも格好つけようと、いつもより丁寧に、ソースとマヨネーズをかけ、青のりと鰹節を振りかけた。

「わー、美味しそう! ありがとう、安倍くん」

 鈴木さんが笑顔で受け取ってくれる。その笑顔だけで、疲れが吹き飛ぶような気がした。

「あ、あの、よかったら、ゆっくり見ていってね。他の模擬店とかも、色々面白いのあるから」

 なんとかそれだけ言うのが精一杯だった。鈴木さんたちは「うん、ありがとう!」と言って、他の店の方へと歩いて行った。

「……ふぅ」

 緊張から解放され、俺は大きく息をついた。田中が、「お前、ほんっと分かりやすいよなー」と呆れたように笑っている。うるさい。


 三


 再びたこ焼き作りに集中していると、ふと、視界の端に、妙に場慣れしていないというか、周囲から浮いているというか、そんな独特のオーラを放つ人影を感じた。

(……ん?)

 気のせいかと思い、作業を続ける。しかし、その気配は徐々にこちらに近づいてきている気がする。なんだろう、この感じ。デジャヴュ? いや、もっと直接的な……。


 まさか、と思いながら、恐る恐る顔を上げて、人混みの中を目で追う。

 キャンパスを行き交う、Tシャツにジーンズ姿の学生たち、親子連れ、楽しげなカップル……。その流れの中に、明らかに異質な存在がいた。

 すらりとした長身。ぴったりとした黒のタートルネックセーターに、体のラインがくっきりと出るタイトなミニスカート。足元はピンヒールのブーツ。顔には大きなサングラスをかけているが、隠しきれない圧倒的な美貌と、豊満すぎるスタイルのせいで、悪目立ちしている。

 間違いない。


「きゅ、九美さん……!?」

 思わず、小さな悲鳴が漏れた。

 なんで、この人がここにいるんだ!?

 昨日、「明日は学祭で一日中いないですからね!」って、念を押しておいたはずなのに! しかも、なんだあの服装は! 学園祭に来る格好じゃないだろ! 確かにいつもよりは布面積が多いかもしれないが、方向性が違う!


 九美さんは、人混みの中から俺の姿を見つけると、サングラスを少しずらし、にっこりと微笑んで、ひらひらと手を振ってきた。その仕草だけで、周りの男子学生たちの視線が釘付けになっているのがわかる。やめてくれ、こっちを見ないでくれ!


 よりによって、最悪のタイミングだった。

 俺は、ちょうど、少し離れたところで友人と談笑している鈴木さんの姿を目で追っていたのだ。九美さんから見れば、俺が鈴木さんと親しげに話しているように見えたかもしれない。


 そして、俺は見てしまった。

 俺と、その先の鈴木さん(おそらく)を交互に見た九美さんの表情が、ほんの一瞬、ほんのわずかに、すっと曇ったのを。

 すぐにいつもの掴みどころのない笑顔に戻ったけれど、あの瞬間、彼女の瞳の奥に宿ったのは……まさか。


 波乱の、いや、大波乱の幕開けを告げるかのように、学園祭の喧騒は続いていた。

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