第49話 震える子鹿、進んでしまう臆病とやさしさで編まれた、静かな反抗の物語
震えるのは、怖いからじゃない。
誰かの“涙”を、もう見たくないだけだった。
それが、臆病者のままでも進める理由になるなら――
今日もまた、小さな勇気が息をしている。
リオは、ふかふかのベッドの上で小さく震えていた。
目を疑うほど柔らかい枕に、吸い込まれるようなマット。
それは彼にとって、悪夢の続きのような“人喰い寝具”だった。
「ふかふかすぎます……夢じゃないですか……?」
声はかすれ、身体は芯から冷えていた。
それでも、いつもの“麻袋寝”よりずっとあたたかかった。
隣では、フェンが冷たいタオルをそっと額に載せる。
彼の笑みはどこか疲れていて、けれど優しさを含んでいた。
「……怖かったな。でも、大丈夫だ」
まず安心を渡す。
そのあとで、真実を、ゆっくりと差し出した。
「サシャは……もう歩けない。俺が止めた」
膝の腱――そう言いかけて、フェンはわざと口を濁した。
恐怖が先にある今は、すべてを語るべきじゃない。
心が落ち着いたとき、リオは自然と“理解する”だろうから。
「怖かったな。でも、本当に……もう、大丈夫だから」
その言い方が――
いつも“塩対応”だったフェンの声に、ほんの一滴だけ“ぬくもり”が滲んでいた。
リオは、震えながら口を開いた。
地下の――あの違和感だらけの空間について。
「フェン……“ボルケ”って……誰なんですか……? 地下水路で、何の……実験を?」
フェンは、一拍だけ間を置いた。
視線をリオに重ね、語るように、少しずつ言葉を落としていく。
「……地下には、“神父”って呼ばれる男がいる。名前は出ない。誰も本当の顔を見たことがない」
リオは、無意識に喉を鳴らした。
「神父……なのに、薬の実験……?」
「“奇跡”の名目で、魔力薬を信者に使ってる。裏で糸を引いてるのは、錬金術ギルド……サシャたちは、その“牙”だった」
その言葉に、リオの胃が小さくきゅるりと鳴った。
空腹でも、不安でもなく――“理解が届いた”音だった。
フェンは続ける。
「セスも動いてる。ギルドの内部まで、手を伸ばすつもりだ」
その名を聞いた瞬間、リオの胸がわずかに熱を持つ。
――セス。
まるで風のように静かで、何も語らない人だった。
でも、確かにあのとき、命を繋いでくれた連盟の首魁。
リオが名前を呟くと、フェンがふっと笑って言った。
「“沈黙が語るタイプ”。面倒な上司の典型だな」
その言葉が、なぜか胸をなで下ろすように響いた。
沈黙が戻る。
やわらかな静けさが部屋に満ちる。
リオは、ぽつりと口にする。
「……フェン。姉さまに、ぼくのこと……伝わったかな?」
フェンは、当然のように頷いた。
「伝えたさ。フロスト家の正式な封蝋を使ってな」
“遠く離れていても、絆は忘れられていない”――
その事実だけで、リオの身体がほんの少しだけ温もりを取り戻していった。
「……帰ったほうがいいのかな……」
胃が、再びきゅるると主張する。今度は迷いの音だ。
フェンは苦笑しながらも、真っ直ぐな目で言った。
「……なんでそんなにビビリのくせに、大事なときだけ逃げないんだよ」
それは、リオの核心に触れる問いだった。
本人すら気づいていない“軸”に、そっと手を伸ばす言葉。
「逃げるのが……もっと怖いって、どこかで……思ったのかも、です……」
震える声だったが、その心には確かなものが宿っていた。
そして――ぽろりと、零れ落ちる声。
「フェン……だいすき……」
フェンは少し目を逸らしながらも、声に温もりをのせて応えた。
「……だから俺が、お前の盾になる」
「盾って……打たれる側じゃないですかぁぁ……!」
「それでいいんだよ。お前は後ろで、“きゅるる”って鳴ってろ。全員に聞こえるくらい、堂々とな」
顔を覆いながらも、リオの胸がほんの少しだけ熱を持つ。
不安の隙間に、小さな“希望”が差し込んでいた。
――コマ送りのように、静かな時間が流れる。
(……三回目、だった)
フェンに助けられるのも、怖くて動けなかったのも、こうして“ほっとした”のも。
(偶然、かな……)
そのとき、リオのお腹が盛大に鳴った。
「きゅるるるるる……」
今度は――完全に空腹だった。
「うぅ……やさしく煮たカリカリ(三粒)でいいのでくださぁい……」
情けない懇願が、部屋にふっとした笑いを生む。
フェンは深くため息をつき、呆れたように言った。
「……お前、感情ぜんぶ“胃”に詰め込んでんな」
リオは堂々と胸を張った。
「ぼくの全てを、“きゅるる”で語ってますぅ……!」
フェンは目を細め、ぼそっと返す。
「お前、それ伝記のタイトルにでもすんのか。“胃袋で語る少年 リオ伝”ってやつを」
「か、かっこいいじゃないですかぁぁ……!」
「いや、絶対違うだろ」
笑いが小さな渦を作り、部屋の空気が柔らかくほぐれていく。
セスが背を向けながら、ぽつりと呟いた。
「三度目……また、だな」
その意味を、誰も理解していなかった。
ただ、静かに――また一つ、奇跡に似たものが積み重ねられていた。
リオは、自分が変わったのかどうか、まだ分かっていない。
ただ、誰かの声に、ほんの少しだけ応えられた気がした。
それだけで十分だった。
小動物は、今日も震えていた。
でも、その小さな一歩が、確かに“前”に進んでいた。
フェンは、リオの髪を一度だけくしゃりと撫でた。
それは言葉より確かな、「生きていてくれてありがとう」の証だった。
リオは、ベッドの上で小さくうずくまりながらも、少しだけ呼吸を深くした。
心のどこかで、“まだ、終わっていない”と知っている。
痛みも、喪失も、これからも続くだろう。けれど。
それでも今――
ほんの一瞬だけ、胸の中に、小さな光が灯った。
その光は、誰にも見えない。
ただ、それがリオにとっての「次の一歩」だった。
“震えても、生きている”。
それだけで、今日のリオには、充分すぎる奇跡だった。
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