物理学者が魔術を数式化したら世界最強になった件
taku
第1話 過労死で転生、ルーンフェルト王国へ!
死んだはずなのに、俺は生きていた。
脳裏に焼き付いているのは、素粒子の実験を行う加速器実験施設の冷たい床だった。
連日の徹夜、理不尽な叱責、重すぎるノルマ。もはや何日、太陽を見ていなかっただろう。
フラつきながら実験データを確認していた俺は、突然のめまいに襲われ、その場に崩れ落ちた。
目の端に映ったのは、仏頂面の教授の顔。その口元が、嘲るように歪んだ気がした。
ああ、これが俺の最後か──。
そんな皮肉な感想と共に、意識は暗転した。
けれど。
「……ここは……?」
重い瞼を開くと、そこには見慣れない青空が広がっていた。
研究室の鈍い蛍光灯でも、実験棟の無機質な天井でもない。
鮮やかな、どこまでも広がる澄んだ青空。白い雲が、ふわりと風に流れている。
草原の匂い、土の感触。
汗と薬品にまみれた空気とは別世界だ。
だが、それよりも驚いたのは、自分の身体だった。
「……小さい?」
腕も足も細く、明らかに子供のそれだった。
二十代半ばの大学院生だったはずなのに、今の俺は、どう見ても十代そこそこの少年だ。
なぜ? どうして?
戸惑いを抑えながら、俺はゆっくりと起き上がった。
周囲を見渡すと、草原はなだらかな丘陵地帯へと続き、その先には石造りの建物群が見えた。
まるで、教科書で見た中世ヨーロッパの町並みのようだ。
──転生。
ありがちな言葉が、脳裏をよぎった。
「まさか……異世界?」
呟いた瞬間、どこかから声が降ってきた。
【汝に、祝福あれ】
透き通るような女神の声。けれど、それきり何の説明もなかった。
システム音のようなウィンドウも、スキルポイントの配布も、親切なナビゲーターも存在しない。
ポケットを探るが、見慣れたスマホも、財布もない。
身につけているのは、質素な布製のチュニックとズボンだけ。
「……マジで、何もないじゃん」
ポツリと呟き、俺は笑った。
せめてチート能力のひとつでも欲しかったが、現実は甘くないらしい。
──いや、違う。
あるじゃないか。
俺には、前世で培った知識がある。
標準模型、量子色力学、電弱統一理論、相対性理論。
そして、数多の泥臭い実験と、数千時間に及ぶ理論の鍛錬。
「……物理は、裏切らない」
どんな世界だろうと、自然は一貫して法則に従うはずだ。
ならば、この異世界にも、「この世界なりの物理法則」が存在する。
俺はそれを、解き明かしてみせる。
ポケットのない服を手で払い、立ち上がった。
顔を上げると、風が頬を撫でた。
痛みを伴わない心地よい感触だった。
「俺の名前は──」
ふと、言葉に詰まる。
前世の名前で呼ばれたくない気分だった。
すべてを断ち切るわけではないが、ここからは新しい人生だ。
「──ファイ。ファイって呼んでくれ」
そう名乗ることにした。
無論、物理で「φ(ファイ)」といえば場の表現。
新たな場、新たな世界。悪くない。
草原の匂いを胸いっぱいに吸い込み、俺は歩き出した。
(絶対に、生き延びてやる──)
決意を胸に、未知の世界へ一歩を踏み出す。
草原を歩き始めて、どれくらい経っただろう。
太陽は高く、乾いた風が頬を撫でる。喉の渇きはひどく、腹も減った。
道らしい道はなく、ただ踏みならされた獣道が延びているだけだ。
それでも、遠目に見えた都市──おそらくルーンフェルト王国の城下町──は、少しずつ近づいてきた。
「……すげぇな、石造りの街か」
高い石壁に囲まれ、赤茶色の屋根瓦が連なる光景は、まるでファンタジー映画そのものだった。
町の外には小さな集落や畑が広がり、荷馬車や行商人たちが行き交っている。
門の前には、数人の兵士らしき男たちが立っていた。
腰には剣と──奇妙な杖。
異世界らしいアイテムに、わずかに胸が高鳴る。
(あれが、魔法か……)
だが、同時に警戒心も募った。
素性不明のよそ者を、無条件に受け入れる世界などない。
なるべく怪しまれないよう、ゆっくりと歩み寄る。
「おい、坊主! 何者だ!」
門番の一人が、鋭い声を上げた。
短く刈り上げた髪、鋭い目つき、重厚な鎧。
見るからに厳つい。
「旅の者だ。食べ物と水を求めてここに来た」
「身寄りは?」
「ない」
「身分証は?」
「ない」
門番たちは顔を見合わせ、ひそひそと話し合った。
──マズいか。
この世界にも、素性不明の人間に対する警戒感はあるらしい。
(やっぱり甘くねぇな……)
瞬時に頭を回転させる。
嘘はつかない。しかし、情報は選んで伝える。
「行き倒れるくらいなら、何でもする。仕事でも、雑用でも」
門番の一人が、苦笑混じりに肩をすくめた。
「……わかった。見習い扱いだが、仕事はある。手配書に載るよりマシだろ」
門番の指示に従い、簡単な身元登録を済ませる。
名前はファイ。年齢は十五と適当に答えた。
(ルーンフェルト王国か……本当に、異世界なんだな)
感慨に浸る暇もなく、石畳の町へと足を踏み入れる。
町の中心部は、活気にあふれていた。
石畳を行き交う人々。露天商の呼び声。香ばしいパンの匂い。
家畜を連れた農民、宝飾品を売る商人、そしてローブ姿の魔術師たち。
(まるで、中世とファンタジーが融合した世界だ……)
空気は埃っぽく、だがどこか懐かしい。
現代日本とは、あらゆるものが違う。
それでも、ここが「生きる場所」なのだと、身体が自然に受け入れていた。
ふと、広場の方から人だかりが見えた。
何かの催し物らしい。
気になって近づくと──そこでは、ひとりの少女がステージに立っていた。
「……あれは……?」
銀色に輝くプラチナブロンドの髪。
淡い碧眼。
小柄だが、凛とした立ち姿。
──そして、彼女の周囲に渦巻く、目に見えない力。
(魔法、か……?)
リオナ、と呼ばれていた。
周囲の人々が囁き合う。
「あの子、また出てきたのか」
「下級貴族の娘らしいが、魔力量は並以下らしいぞ」
「けど、妙に器用なんだよな……制御だけは、な」
耳に入ってきた言葉に、俺は目を細めた。
──火の玉が、宙に浮かぶ。
リオナが指先を動かすたびに、火球は軌道を変え、回転し、まるで意志を持つかのように跳ね回った。
(……違う。これ、絶対に偶然じゃない)
俺の目には、はっきりと見えた。
火球の動きは、単なる感覚的なものではない。
一定の運動方程式に、忠実に従っていた。
慣性。重力。空気抵抗。磁場のような力の干渉。
すべてが、物理法則に沿っていた。
(数式で……導き出せる……!)
脳が震えた。
ここにいる。
俺と同じ、「世界を理屈で捉えようとする者」が。
気づけば、俺は人混みをかき分け、ステージへと駆け寄っていた。
「待ってくれ!」
叫ぶ。
リオナが、淡い碧眼をこちらに向けた。
その目は、驚きと警戒に揺れていた。
「……何か用?」
緊張を隠しながら、俺は言葉を選ぶ。
「君の魔法、普通じゃない」
──沈黙。
周囲のざわめきが止まった。
リオナは、しばらく俺を見つめたあと、ふっと口角を上げた。
「あなたも、普通じゃないわね」
そう言って、リオナは歩み寄った。
人垣をすり抜け、俺たちは広場の片隅へ移動した。
露天商や行き交う人々の喧騒から少し離れた、静かな路地裏。
リオナは俺をじっと見つめる。
その瞳は警戒と好奇心がないまぜになっていた。
「……あなた、旅の人?」
「まあ、そんなところだ」
「武器も鎧もなしで、どうやってここまで?」
「歩いて、って答えたら信じるか?」
「……変な人」
ふっと、リオナの頬が緩んだ。
「いいわ。少しだけ話してあげる。私も……ちょっと興味があるから」
リオナは簡単に自己紹介した。
ルーンフェルト王国の下級貴族、リオナ・アークライト。
家柄は良いが、魔力量が少ないため、家族からも半ば見捨てられている立場だという。
「魔法の才能がないなら、せめて剣を……って言われたけど、納得できなかった」
リオナは静かに言った。
その横顔には、孤独と誇りが宿っていた。
「魔法って、もっと……わかりやすくできるはずなのに。
感覚だとか、天賦の才だとか、そんなものだけに頼るなんて、おかしい」
その言葉に、俺は小さく笑った。
「──同感だ」
リオナが驚いたようにこちらを見る。
「俺も、感覚じゃなくて、理屈で世界を見たい。
この世界の魔法も、きっと法則がある。なら、数式で解き明かせるはずだ」
「数式、で……?」
リオナの碧眼が、驚きに揺れる。
「そうだ。力を生み出すにはエネルギー源が必要だ。
エネルギーは媒介粒子を通じてやり取りされる。
場の揺らぎ、対称性の破れ、スカラー場、ベクトル場、テンソル場……
魔素が何らかの新しい場に対応しているなら、それを数式で記述できる」
「…………」
リオナはしばし沈黙した。
俺の言葉があまりに突飛で、すぐには理解できなかったのかもしれない。
だが、やがて──彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「──すごい。意味はよくわからないけど、すごい」
素直な感想だった。
そして、次に続いたのは、力強い言葉だった。
「私、知りたい。あなたの言う、数式の魔法ってやつを!」
その瞳に宿る光は、決意の色だった。
誰に強制されたわけでもない。
自ら選び取った、戦う意志。
俺はゆっくりと手を差し出した。
「──一緒に、やろう。リオナ」
リオナは一瞬だけ驚き、そして微笑んだ。
小さな手が、俺の手を取った。
「……うん。よろしくね、ファイ」
握手。
それは、契約だった。
この世界を、魔法を、数式で解き明かすための。
それからの数日は、目まぐるしかった。
リオナは王都郊外の小さな宿に住んでおり、俺も彼女に誘われてそこへ転がり込んだ。
ボロいが清潔な宿屋で、粗末なベッドと、固いパンと、ぬるいスープが出るだけ。
それでも、屋根の下で眠れるだけありがたかった。
昼間は市場で荷運びのアルバイト。
夜はリオナと二人、魔法について議論し続けた。
「魔法を数式で記述するには、まず魔素の性質を測定する必要がある」
「でも、どうやって?」
「実験だ。できるだけ単純な条件で、再現性のある現象を起こしてもらう」
俺たちは空き地に出向き、リオナに簡単な火球を作ってもらった。
火球のサイズ、速度、軌道、燃焼時間──
すべてを目視と簡単な測量器具(リオナが魔法で作った定規や砂時計)で記録した。
リオナは驚異的な集中力を発揮した。
普通の魔術師なら面倒臭がるような地道な作業を、嫌な顔ひとつせずこなした。
(……本当にすごい)
魔力量は少ないが、制御精度が異様に高い。
間違いなく、彼女はこの世界で最も"科学的"な魔法使いになれる素質を持っている。
──数日後。
リオナが生み出す火球の軌道から、俺は最初の「式」を導き出した。
「やった……! これなら……!」
重力加速度。運動エネルギー。慣性の保存。
さらに、未知の"魔素力場"による補正項。
全てを組み合わせた仮説モデルが、リオナの魔法挙動をほぼ完全に説明できた。
「ファイ……これ、本当に……」
リオナが目を見開く。
「──数式で、魔法が説明できたんだ!」
俺は叫んだ。
異世界に来た意味が、ここにあった。
科学で、理屈で、世界を理解する喜び。
前世で押し潰された、あの暗闇とは違う。
ここでは、努力が裏切らない。
俺とリオナは顔を見合わせ、そして──声を上げて笑った。
この瞬間から、俺たちの革命は始まったのだ。
(第一話 完)
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